〈当たり前〉だと思ってることが、〈当たり前〉に現実化してるだけ

ビルゲイツが一億稼ぐことは、

ビルゲイツにとって、「当たり前」

 

一般人は、「当たり前」に一億稼ぐ

ビルゲイツのことを、「すごい」と思う。

 

つまり、ビルゲイツは一億稼ぐことは「当たり前」で

ビルゲイツの「現実」「日常」は、ビルゲイツにとって、

「当たり前」だと思ってることが、「当たり前」に

「現実化」「日常化」してるだけ。

 

ということは、一般人がビルゲイツのことを「すごい」

と判断する限り、思う限り、一生、ビルゲイツには、なれへんって

ことやんな。

 

だって、何度も書くけど、(自分)

「当たり前」だと思ってることが、「当たり前」に

現実化してるだけ

 

これ、(自分)っていうところが、(ビルゲイツ)になっても、(親友)でも、(あなたが嫉妬してる人)でも、意味とおるねんで!

これって、法則!(フレミングの法則とか三平方の定理って、絶対やん!そのレベル)

 

だから、一番だいじなこと書くなー

自分が相手のこと「すごい」って、思い続ける限りは、一生「すごい」って、思い続けて野垂れ死ぬだけなんよ。

つまりな、人生変えるって、自分が「すごい」って思ってること、

今の自分からしたら、「信じらへん」って思ってることを

信じようが、信じなかろうが、やってみて、「信じれる」ようになることなんやでー

そうやって、「信じらへん」とか「考えられへん」とかっていうことを、いったん

脇に置いといて、やればやるほど、「すごい人」のこと「すごい」って思わんようになるねん。これマジで。

いま、めっちゃなにかに悩んでる人!これやると、悩みなくなるよー

悩んでるときって

自分に集中できてないとき

 

悩んでるときって

他人に意識のベクトルが向いてるとき

 

悩んでるときって

複雑に、難しく物事考えてるとき

 

悩んでるときって

どうしたいかが分からない

 

反対に

うまくいってるとき

・全部シンプル

これ好き➡これ食う、くれやる

ディズニー行きたい➡即、ディズニー

みたいな感じ

 

・自分に集中できてる

 

・どうしたいかがクリアに分かってる

 

・自分のものさしだけで動けてる

 

当たり前だけど、うまくいってるときって、悩んでないよね。

だから、悩んでる人は、うまくいってる人になりたいわけだよね。(まー当たり前か)

 

どうやったら、ロダンの悩んでる人から抜け出せるか(間違えたー下向いてるから、オナってる人?それも違うか、考える人か(笑))

 

抜け出す方法皆さんに教えまーす。

 

まず、悩んでる人は、「混乱」してるー。

たとえていうなら

・靴紐めっちゃからまってて、何結びで結んでんのか、そもそも、何結びなんこれ?

とか何重結びこれ?まぁ、2つ紐もって、スーってほどける状態じゃないってことやな

 

・富士の樹海いったら、コンパスぐるぐる回ってもて、どこ進むん状態(実際には、樹海いっても、コンパスぐるぐる回らへんって、池上彰によく似たはげが言うてらしたーまー池上彰もはげやけど)

 

混乱してるー、散らかってるー状態なんよー

 

だから、お片付け、整理してあげれば、混乱おさまるよー

混乱おさまるってことは、悩みなくなるってこと。

 

まずね、えーと

職場の環境が劣悪だとかまーそういう広く言えば

人間関係で悩んでるんだと思うのよ。ってか、人間の9割の悩みは人間関係って友達のアドラーが言ってたから、ほぼそうちゃう?なんであれ。

 

で、「あーもしかして、あの人に、嫌われてるんちゃうんかな?」って悩んでるとするやん?

いや、なんでもええねんけど、そういうネガティブなことずっと考えてるわけやんか?

まず、それ考えてる最中、

眠たくない?

疲れてない?

食べたいもの食ってる?

まず、三大欲満たしてまっかー。

食う、寝る、セックスそれが無理ならしこる、自分磨き、一人エッチしたいかー?

っていう話ー

まず、そこ「食う、寝る、シコる」の欲求があるなら、満たす。

これで、低次の欲求の整理は完了!

コンパスのグルグルもちょいましになったかもね

グルグルグルグルコサミン♪世田谷育ちのグルコサミン♪

グル1個減ったと思う(てか舞の海元気?)

 

それ終わったあと、「あーあの人もしかしたら、俺のこと嫌いかもしれん」で悩むと思うねん。

たぶん三大欲の整理が終わって、混乱終わるっていうひとおるかもしれんけど、まーだいたいは、視界が少しクリアになるぐらい

 

ほんで、悩んでる状態って、「身体が」悩んでるとか「頭」が悩んでるじゃないやんかー

「心が」悩んでるわけやん!

もっといえば、「心が」ネガティブに、マイナスに、暗くなってるわけやな。

まとめると、ネガティブな感情が常に渦巻いてるわけでっしゃろ。

 

それを全部、吐き出すねん。

できれば、ノート広げて、ペン持って、今の「感情」かきまくねん。

 

自分の感情なんて、人間分かってるようで、分かってへんねん。

だって、感情って見えへんやん?

そんなもん自分の感情なんか大体わかるっていう奴、おるかもしれんけど、分かってたら、そもそも悩まへんし、どうしたいか分かるやんそんなん

悩んでるってことは、自分の感情、分からへんねんそいつ

自分の感情、自覚するために、かくねん、めっちゃ、かくねん

書けば書くほど、めっちゃ楽になってくるで、体験したらわかるわー

 

書けば、書くほど、感情が片付いてくるねん不思議なことに。

知らんあいだに、感情の整理完了!やわ

そっから、次、最後やわ。

「どうしたいか」をこれも、ノートとペンもって書いたら、いいわ。

まぁー、「感情の整理」した時点で、「どうしたいか」なんて、見つかってるから、「それにきーめた」って、ノートに書くだけ。

まー「それにきーめた」の答えもシンプルだと思うよ。

それでも、やるのかやらないのかだけ(笑)

「今」を楽しく生きることだけに集中する

やりたいことだけして

やりたくないことはやらない

 

それができれば、ずっと楽しい。

僕は、「やりたいことだけして、やりたくないことはやらない」を普段から意識して、行動してるから、楽しい。

でも、たまにやりたくないことやっちゃったとき、すげぇ疲れる。特に、精神的に。

同様に、我慢してるとき、嫌いなことしてるとき、いいたいこといえないとき、すげぇ疲れる。

普段、我慢しないし、いいたいこというから、余計に疲れる。

我慢しない体質だから、我慢や嫌いなことに免疫がないから、弱い。

そのおかげで、やりたいことや好きなことしかできなくなった。

だから、これからも、やりたくないことなんて絶対やらねぇし、嫌なこと言われたら、「なんで、そんなこと言われんといけんの!」って言い返すし、仕事で疲れたら、休憩時間じゃなくても、サボるし、サボってなんか言われても、聞いたふりしてサボるし、自分のできること、好きなことだけするようにする。たとえ仕事でも。

どうせなら、笑って、楽しく生きたいでしょ?

ストレスだらけで、苦しんで生きることと笑って楽しく生きるを選べるなら、多くの人は笑って楽しく生きるを選ぶでしょ。

「お笑い見てゲラゲラ笑って、漫画とか小説読みまくって、眠たくなったら寝て、FIRE  tvで映画見て、仕事も遊んでるように仕事して、尚且つ稼いで、今こうやってブログ書いて、暇になったら、誰か友達誘って、話して、笑えば楽しいよ」

毎日、こんな感じでしか暮らしてないから。もうちょっとで、TVが届くから、もっとゲラゲラ笑えるよー。

自分を満たすことができるから、他人を満たすことができる

「心地よい・好き・居心地いい」というエネルギーからは、なんとなく良い現実(お金、人、豊かさ)がもたらされる。

「居心地悪い・嫌い」というエネルギーからは、なんとなく悪い現実がもたらさる。

 

これは、この世界は、目に見えない(エネルギー)=95%、目に見えるもの=5%という法則で成り立っていることを分かってくれれば、腑に落ちるはず。

詳しくは、こちらを見て。

thinkergirl.hatenablog.com

 誰しも、良い現実を望んでいる。

そうするために、良いエネルギーを発しつづける、波動を高い状態にする。

「良い現実をつくるには、良いエネルギーを出すだけでいい」

すごくシンプルな法則。

良いエネルギーを発するなんて、誰にでもできる。

やりたいこと、好きなことをやっていれば、「心地よい」エネルギーが発せられる。

だから、やりたいことと好きなことだけやっていればいい。

「結果」という現実も、自ずと、勝手に、やってくる。

頑張らなくても、苦労しなくても、エネルギーにさえ、気をつければ、「結果」なんて勝手に入る。

逆に、頑張って、苦労すれば、当然、「悪いエネルギー」が生まれるので、悪い現実、結果になってしまう。

だから、毎日、「心地よい」エネルギーを発すること以上に大切なことはないと言っても過言ではない。

だが、「心地よい」エネルギーを出すことで、「良い現実」になるスピードは個人差がある。

僕の場合は、緩やかに、「良い現実」になっている感覚。

それもまだ、目に見える「良い現実」ではなく、目に見えないところが良くなった。

ストレスはないし、人見知りしなくなったし、好きなことも多くなったし、やりたいこともどんどん見つかる。

物質的な幸せ、相対的な幸せは、まだ貰ってないけど、精神的には、ものすごく幸せなのだ。

要するに、「自分は満たされている」状態。

だから、次に、自ずと、「他人を満たすこと」を考え、行動するから、物質的な幸せ、相対的な幸せも、いずれ入ってくる。

好きなことでお金が稼げるとか、ブログのアクセス数が伸びるとか、友達・恋人ができるとかは、どこかのタイミングで入ってくるんだと思う。

「自分は満たされている」状態なんだから、他人を喜ばせるために、楽しませるために行動できるはず。

そうやって、身近な人を楽しませることができたら、ブログも、人間関係も軌道にのっていく。

ポジティブな感情を与えれば、お金は稼げる

好きなことで稼ぐには、どうすればいいか?

大切なのは、2つだけ。

1つは、得意なこと。もう1つは、好きなこと。

1つ目の「得意なこと」とは、

本人は、当たり前に、普通に、やっていること。

それは、大勢の人にとって、当たり前ではない可能性がある。

日常生活の中で、当たり前に、普通にやっていることを見つけてみよう。

また、親や友達から、やんわりと「自分のすごいところ」を聞くのもいいかもしれない。

でも、聞いた結果、拍子抜けするかもしれない。

なぜなら、「すごいところ」を聞いた答えは、本人は、空気吸うのと同じぐらいの感覚で、毎日、やってることだから、「すごいところ=得意なこと」という認識がない可能性がある。

・2人子育てしている母親

・毎日、料理をしている

・毎日、ブログを書いている

・初対面の人と話すのが、苦ではない

など、当たり前に、普通に、吸って吐くが如く、毎日やっていることは、得意なことに分類される。

次に、「好きなこと」に関して。

僕の場合は、

・ブログ書く

・映画見る

・読書

・心理

・人と話す

・料理

などなどある。前の記事でも書いたように、好きなことをやる理由は一つだけで。

それは、単に自分を楽しませるためだけ。

そして、そこに、「お金を稼ぐ」という概念が加わると、相手を楽しまなければならない。

なぜなら、すべてのサービス・物は、そのサービス・物の背後にあるポジティブな感情があってこそ、そこに需要が生まれるから。

風俗からは快楽、マッサージからは癒し、飲食店からはおいしさ。

そのポジティブな感情を、人に与えられるものとなると、だいぶ限定されるし、その中で、金を生み出せるのも、一部だけ。

僕の場合、自分が楽しめるもので、尚且つ、相手も楽しめるもの、ポジティブな感情を与えられる可能性があるという条件だと、「ブログを書く」「人と話す」「料理」ということになる。

それにプラス、「得意なこと」であるかどうかも加わる。

(吸って吐くが如く)ブログを書けるのか?

(吸ってはくが如く)人と話せるのか?

(吸って吐くが如く)料理するのか?

こうやって、枕詞をつけた。

おそらく、ブログは、好きなことの枠から超えられない。僕にとって、ブログを書くことは吸って吐くが如くではない。

毎日、書くのは、正直苦しい。今、毎日、更新しているが、これは、12/1~12/13は仕事だと思い込んで書いているからであって(無給)、その期間後は、スキー場で働くので、その後は、とびとびの更新となるはずだ。

だから、ブログは✖。

残り、「人と話す」「料理」は、

好きなこと➡〇

吸って吐くが如く➡〇

ポジティブな感情を与える➡?

ポジティブな感情を与えられるかは、分からないけど、期待は持てる。

自分の顔がコンプレックスな人ほど、自分の顔写真をSNSに載せるべきじゃない?

 

thinkergirl.hatenablog.com

 この記事を書いた手前、SNSのプロフに「顔写真」載せることに関して、一歩引けなくなりました。

なので、昨日、今日と、まず、ラインから自分の顔写真にし、ブログも「プロフィール」の所に顔写真を貼りました。

正直、前の記事でも書きましたが、顔写真をさらしたくなかったんです。

でも、一度もSNSに「顔写真」を貼ったことがないなら、試しに、一度、載せてみて、それで、「やっぱ嫌だ」となったら、元に戻そうと思いました。

これは、「顔写真」だけでなく、すべてのことに言えますが、

一度も、やったことがないことを、「やりたくないこと」BOXに入れてしまう習性が人間にはあります。

その、「やったことがないこと=やりたくないこと」は、やろうと考えたら、怖いと感じます。

僕の場合、「顔写真」を載せることが怖いわけは、自分の顔に対して、コンプレックスがあるからです。

自分という存在のあらゆる所を肯定できていますが、唯一、自分の顔だけは、肯定できないんです。

それは、小さいときから、今まで、顔が悪いだの、ブサイクだの言われて、自ずと「顔」というコンプレックスから目を背け、コンプレックスを人と会うときは、隠そうとする意識を持ちながら、コミュニケーションをとっていたように思います。

だからこそ、「顔写真」を載せることは、僕にとって、一番、怖いことなんです。

でも、自分の顔を肯定できないままなのは、もっと怖い。

だから、自分の顔を肯定するために、手始めに、SNSに顔をさらしました。

結果どうなっていくかは分かりませんが、経験則として、自然の法則としては、正しいはずです。

コンプレックスに限らず、

「隠そうとすれば隠したくなる現実、逃げようとすれば逃げたくなる現実が現れる」

という単純な法則があって、だからこそ、自分の弱みやコンプレックスを、出さなければ、自分の顔を肯定できないんです。

自分が顔さらすことで、外の現実に対して自分の顔を隠していないことを証明して、「案外、大丈夫だ」と確認できれば、コンプレックスも緩和していきます。

ホントに、「顔がブサイク」だとコメントが入るようなら、また、元に戻せばいいだけなんです。

でも、人の心配事なんてほとんど起こりませんから、たぶん大丈夫なはずです。

それで、最後に、もう一つ。

怖いと思ってることほど、一度もやったことがないなら、やったほうがいいです。

友達に金を借りる、親と仲良くする、わからないこと、できないことを頼みたい。

人によって、様々です。それを、怖いけど、やってみてください。

やってみたら、案外、新たな発見があるかもしれません。だって、未経験のことだから。

だから、ホントに、最後に。

前半と、言ってること違うけど、

怖くて、手をつけてないことほど、やりたいことかもしれないよ。

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