はっきり言おう!なにも持ってなくても楽しめる!

心の仕組みとして、「他人と比べてるときは、うまくいっていないとき。

逆に、うまくいってるときは、他人と比べてないとき」というのがある。

うまくいってるのは、ノーストレスで入れてるってときね。

他人と比べて、劣ってると悩むが、そもそも他人と比べることをしなければ、悩まない。

だから、究極、他人と比べて圧倒的に持ってない人としよう。

それでも、うまくいってる気分は味わえる。要は、比べなければ、いいだけの話だ。

悩みの9割は「人間関係」だと言われてる。

人間関係なんだから、自分だけでは、その言葉は成立しない。

他人がいるから、悩みは存在するわけ。世界に自分ひとりしかいないなら、悩みなんてものは存在しない。

悩みがないとかノーストレスでいれるというのは、「世界に自分ひとりしかいない」状態に近いかもしれない。

何度も言うように、他人比べた分だけ、悩みは存在するから。

だったら、ハナから比べなければいい。自分がどれだけ持ってない人だろうが、うまくいきたければ、比べない。

だから、僕自身、他人と比べるということを今までしたことがない。

でも、ふと、今日、他人と比べてみた。

大抵の人、僕より幸せなはずだよ。だって、僕、普通の人なら、持ってるもの全然持ってないから。

「友達とかめっちゃ少ないよ。ラインの友達の数20人ぐらいだし。

ほんでもって、誰からもLINE来ないよマジで。リアル友達3人ぐらいだし、ついでに彼女いたことないし、童貞だし、

休みの日は大抵一人でいるし、例えば、大学生のときとか最近話題のぼっちめしとか普通にしてたよ。大学1年のときとかほぼぼっち飯。

あと、収入とか同年代の人に比べたら、めっちゃ少ないし、当然、フリーターだしね、

あと、誰かに好かれたこともないし、反対に嫌われたこともない。ならいいじゃんて?

いやいや、好きでも嫌いでもない。他人の記憶に残らないってことだから、当たり障りがないって一番ダメだよ」

これ、リアル。

ガチで、みんな僕より幸せだって絶対。

だって、休みの日、友達誘って、買い物行ったり、映画行けるやん。ほら、その時点で勝利やって。

子供のとき、おもちゃがいっぱいあったら優越感半端ないやん?

遊戯王カードとかレアカードとかいっぱい持ってたら半端ないやん?

それと同じで、僕よりみんなおもちゃ持ってるし、レアカードいっぱいもってるやん。

レアカードとかおもちゃは大人で言うところの、友達の数とか収入とか彼女がいるかとかやとしよう。

絶対、僕より持ってるって。

ラインの友達の数20人以上おる?

LINEがこない状況なんてある?

そんなんないやろ?はい、君の勝ち。

ついでに、それで彼女おって、お金めっちゃ稼げてたら、完全、勝利やん。

ってな具合で、分かりやすいところで争ったら、負けてます。

自分で言うのもなんやけど、何も持ってません。ガチで持ってません。

僕より持ってない人のほうが少ない。てか、実際あったことがない。

話してて当然「僕より持ってる?」なんて直接いわないけど、ニュアンスで分かる。

だから、胸はっていい。僕よりは持ってる!

例えば、「地元の友達」というワード。僕には、関係ない言葉だ。

そもそも、地元の友達なんていない。地元の知ってる人しか知らない。

もし、「地元の友達」というワードに心躍っているなら、そいつは僕に勝っているよかったな。

そんなこんなで、たまに思うことがある。

例えば、「めっちゃめっちゃ持ってる人と出会う」ことがある。

あーこいつめっちゃ友達多くて、イケメンで、彼女もいるんだろうなっていう奴。

そいつ見て思うよね。

「あいつめっちゃ武器持ってるじゃん!

僕裸じゃん!ちょっとその武器くれよ!

てか、こいつと戦ったら、負けるじゃん(笑)」

って。

 

で、そんな少なくとも僕よりは「持ってる人」を見て、思うことがある。

なにが不満なの?なんで悩んでるの?

なにも持ってない僕が、悩み事なんてないんだよ。

友達いないよ。金稼いでないよ。でも悩んでないよ。

あなた僕より友達いるし、金稼いでるよね。なのに、なんでネガティブなの。

なんなのこの不思議現象。逆に、悩みほうが難しいのよ。

もしかして、自分より持ってる人見て、羨ましいと思って悩んでるの?

おいおいやめろ、僕が持ってないことが目立つじゃないか。あと、そんなものに上限なんてないから、上には上がいるから、一生羨ましいって思い続ける羽目になるぞ。

もう、持ってる人になろうとしなくていい。すでに持ってるから。

既におもちゃがあるのに、他人が持ってるおもちゃを羨ましがるな。自分のおもちゃで目いっぱい遊べ。

自分のおもちゃに飽きたら、新しいおもちゃを探そう。

さて、新しいおもちゃ買おうっと!

 

 

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彼女いる人が彼女いない人の悪口を言ってもいいけど、逆は、絶対ダメだから!

 

例えば、僕はブログを書いてる。

主に、実生活と心理学の知識を結び付けたことをブログで書いている。

心理学は、他の経済学とかと違って、目に見えない学問。俗にいう、二次元ってやつだ。

二次元のものは、世間から気持ち悪がられる傾向がある。

アニメも二次元だが、現実逃避し、アニメの世界に没頭するアニオタの連中は世間から冷めた視線を浴びやすい。

同様に、スピリチュアルにハマってる人も、世間から気味悪がられる。

こういう目に見えないものにハマっていく連中を、スピリチュアル系女子とか引き寄せ系女子とかそうやってカテゴライズされる。

僕の場合、心理学系男子かもしれない。

男のくせして、目に見えない世界に傾倒し、見る人が見ると、怪しいとか気味悪がられる可能性がある。

世間では、論理で説明できないことを怪しいとか気味悪いって一言で片付けられる。

だから、自分のことを客観視すれば、僕が好きで書いていることは、見る人が見ると、怪しいと思うし、嫌悪感を示されるのは半ばしょうがない。

で、もう1つ脱線するが、例えば、街で、今まで、スピリチュアルとか心理学とかに関心がないけど、人生思い通りになっちゃってる、いわばリア充みたいな人に、「スピリチュアルとか心理学についてどう思いますか?」ってアンケートを取ると、こういう風な答えが返ってくると思う。

「結局、何もかも思い通りにうまくいかなくて、すがれるもの(心理学、自己啓発)にすがりたかっただけじゃないですかー(笑)」

大体、こんな感じの答えが返ってくると思う。

僕は、悔しいって思わない。うれしいって思う。

実は、僕自身、一個昔から持ってる持論がある。

「彼女いる人が彼女いない人を馬鹿にするのはいいと思う

ただ、彼女いない人が彼女いる人をバカにするのはダメだと思う

彼女がいる人が上、彼女がいない人が下という論理はないけど、能力的には、

彼女を作ることが出来るという点で大きな差があるから。

だから、悔しかったら、彼女いる人の悪口を言うじゃなくて、自分が彼女を作ってから悪口を言いなさい。一段低い土俵でわめくのはダサいからやめて、

同様に、リア充が非リア充をバカにするのはいいと思う。

逆は、ダメ

お金持ちが貧乏人をバカにするのはいいと思う

これも、逆は、ダメ」

 

何が、正義で、何が正義じゃないのかなんてこの世にないという意見。

どっちが上で、どっちが下なんてこの世にないという意見。

その意見言う人は、大抵下の奴で、自分では何もしない口だけ番長なのだ。

この世の中には、圧倒的にいろんなものを持ってる人がいる。

人気もある、お金もある、地位もある、周りに信頼されまくってる、自分の好きなことでお金を生み出してる、もちろん彼女もいる、友達も多い。

やっぱり、そういうのを持ってない人より持ってる人のほうが価値がある。

「持ってなくても幸せになれる」が心理学だとしても、「持ってなくても幸せになれる」とか、心理学とか、スピリチュアルにすがり続けて何もしない人は、気持ち悪いって思われるのは仕方ないと思うし、そういうのがなくても持ってる人になってるんだったら持ってない人を馬鹿にするのは当たり前。てか、バカにし続けたほうがいい。

そうしないと、自分が気持ちが悪いって気づかないから。

心理学に、スピリチュアルに、アニメにハマって現実逃避してる人はやっぱり気持ち悪いの。

バカにされたくなかったら、ちゃんと稼いで、ちゃんと友達作って、ちゃんと彼女作って、ちゃんと地位もあげて、ちゃんと信頼されるの。

※今日、これ読みます!

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その人の経験は、その人の信用

なりたい職業もないし、欲しい肩書もこれといってない。

ただ、やってみたい仕事はたくさんあるような気がする。

あるような気がするっていうのは、世の中には僕の知らない仕事があったり、未経験の仕事のほうが圧倒的に多いから、そんな中でやってみたらおもしろいって思えるものがあるはず。

僕がやりたいことかは置いておいて、「やったことないこと」は山ほどある。

ビジネスもやったことない、能動的に動いて、お客さんを確保して直接お金を貰ったことはないし、心理カウンセラーはやったことない。

あと、「到達したことがない」という意味での未経験も山ほどある。

月収30万円の世界は知らないし、貯金が出来ているという状態も知らないし、気持ちいことにお金を出したら、気持ちよく入ってくるを実感してない。

抽象的なものから具体的なものまで、やったことがない手つかずのことは山ほどある。

実は、僕にはやりたいこととかほしいものがあまりない。

・アイフォンに買い替えたい

・料理のインスタ始める

・部屋綺麗にしたい

ぐらいしか思いつかない。

毎日、やりたいことやってるから、これからどうなりたいとかあまりない。

だって、今、程よく満足してるから、やりたいことがポンポン思いつくほうがおかしい。

けど、違う景色は見てみたいなとは思う。

今、月収15万円だから、月収15万円なりの景色を見てるんだと思う。

要は、月収15万円なりの生活をして、月収15万円の中で好きなことをやってる。

これが30万円になれば、100万円になればどうなるんだろうっていう興味がある。

たぶん今より収入が増えれば、やってみたいことが増えるんだと思う。

単純にお金が増えるってことは、いろんなことへの可能性とか確率が増えるってことだよね。

たぶん、もっと豊かになるんだと思う。お金で幸せは買えないという言葉があるけど、実際、大金稼がないとそんな言葉言っちゃいけない。

言葉に説得力持たせたいなら、体験しないといけない。

彼女いたことない奴が、「彼女はいらない」って言うのは、すごくダサいけど、一回でも彼女いたことある奴が、「彼女はいらない」って言う人の言葉は信用できる。

その人の経験は、その人の信用なのだ。

信用されたいから、僕はいろんな経験をしたい。

その経験がやりたいことかどうかは置いておいて、まだ一度もやったことがないなら、やる。

食わず嫌いは、その人の成長を止める。

だから、とりあえずやったことがないことはやりまくる。

僕自身、一つの場所に長い期間いるつもりなんてない。飽きたら、辞めて次いっていいし、やってみたいことあれば、すぐ始めるし。これやってみたらって言われたら、とりあえずやってから、好きか嫌いか決めたい。

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欲しいものがあまりない

そう思えば、あんまり欲しいものないなと思う。

将来、こうなればみたいな具体的な目標もない。

ざっくり、今より楽しくなればそれでいいかなとかそれだけ。

今、フリーターだから、近い将来どこかに就職して正社員になったほうがいいのかなって人並みに考えてみたりするけど、現実味がない。

なにせ、「就職なんてしたくない」から。

かといって、今流行りの起業するのか?ビジネス始めるのか?

起業には興味がない。誰かに雇われて働いて、お金を貰うのは楽だから、今のままでいい。

というより、起業するしない以前に、[好きなこと×得意なこと]の濃度が100%近いもので稼げていればいいだけ。

それが雇われてる状態で達成されてるのか、それとも自分でビジネスすれば、より濃度が濃くなるのであれば、起業するだけであり、対して変わらない。

[好きなこと×得意なこと]をやりながら、新たに[好きなこと×得意なこと]を見つけたら、それにハマって、逆に気乗りしないことはバッサリ切る。

今、休みなしで働いてる状態で、今月の給料は15万ぐらいだ。

掛け持ちしてその給料だ。恐ろしく非効率だ。

ゆくゆくは、時給が高いほうのバイトを一本化して、週二日休みにして、働く時間数を延ばせば、15万に近い給料は出るだろう。

あと、週二日も休みあれば、その時間で好きなことができる。

丸一日休みがなくても好きなことをやっているから、具体的に丸一日休みがあった場合のやりたいことがすぐに思いつくわけではないけど、単純に、二日ぐらい気を張ってない状態にはしておきたい。

まーでも、「もっといろんな人と会話したい」のと「料理のインスタ始めたい」っていうのはある。

あとは、お望みあるかな?

ほんとにない。というより、昔より希望しなくなった。

彼女ずっといないけど、昔より欲しいって思わなくなってる。

やばいよ。ほんとに。

ってことは、童貞なんだけど、セックスしたいとも昔より思わなくなってる。

普通に、AV見ながら自家発電(オナニー)っていう行為がこの世からなくなったら、本気で彼女作ろうって思うようになるのかとかSEXしたいって思うようになるのかなってふと思うけど、それないな。

時の流れには勝てない。昔より貪欲さも欠けるし、渇望もしてない。

だからなのかかわいい子と話してても、特別意識することもない。

はなから期待もしてないから、緊張もしない。気負いたくても気負えない。

なんなら、かわいい子と話してるときも、おばさんと話してるときも、おじさんと話してるときも、友達と話してるときも同じリズムで話してる。

心拍数は変動しないし、おじさんに聞いた質問、かわいい子にしてるときあるから、ぞっとする。

ほんとにどうこうするつもりないんだなって思う。

「好かれたい」っていう思いはあるみたい。ただ、年々薄れていく。

だから、性別、年代関係なく、自分を使い分けたりしない。

基本、生意気で、わがままだから。年下にもその感じで話すし、年上にも使い分けるのがめんどくさいからその感じで話す。

それもこれも、すべてのことにおいて、貪欲さがなくなり、渇望もしなくなったからだ。

あーなんかおじさんだよーーー。

※今日は、夕方空が赤かったよ(笑)

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マルチタスク能力のあげ方

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マルチタスク能力について書こうと思う。

マルチタスク能力とは、複数のことを同時に処理すること。

正確な定義は分からないけど、大体こんな感じだろう。

何かの記事で読んだところ、居酒屋とかコンビニのバイトは、この能力が必要とされるみたいだ。

僕自身、今、コンビニとスーパーのレジをやってる。

4月までは、短期でスキー場のレストランのバイトをしてた。

それも3か所。1つは、ゲレンデの中のレストラン。2つ目は、ホテルの中のバイキングの配膳。3つ目も、ホテルの中で、これは、ファミレス的な、オーダー取って料理届けるみたいな一般的なホールの仕事をやってた。

週一回だけ休みがあって、それ以外の日は、3か所をぐるぐるしてた。

ほんでもって、今やってるコンビニとスーパーのレジ、4月までやっていたレストランの配膳の仕事は僕からしたらほとんど変わらない。

なぜなら、3つともマルチタスク能力が必要であり、その能力が最強なら、苦労しないからだ。逆に言うと、その能力さえあれば、しんどくない。

現に、今のバイトも4月までしてたバイトも、あまりしんどくない。肉体的にしんどいだけだから、ちょっと休みが欲しいなっていうだけである。

 

一応、どうやったらマルチタスクを使えるかとか、どういう意識で仕事をすれば、しんどくないかとか項目に分けて書いていこうと思う。

 

マルチタスク:自分

仕事してるときに何個か意識してることがある。

ざっと書いて行こう。

一つ目は、完璧主義を捨てること。

仕事というのは、大抵、これさえやっとけば一応大丈夫みたいなラインがあって、そこまで到達すれば、一応、怒られずに済むみたいなのがある。

100点を取ろうとすれば疲れるけど、60点なら疲れないよねっていう考え方。

っていうより、マルチタスクとは、100点を取ることを捨てることと言い換えてもいい。捨てないと、マルチタスクできないから。60点だと、まだ余力が残ってるから、他のことにも手が伸びるよねっていう話。

要するに、手抜きして、適当であればマルチタスクしやすくなるよってこと。

2つ目は、よそ見する能力ってことかな。

要は、完璧主義を捨てれて、適当になれば、その分余裕が生まれる。

余裕がある状況だと、視野が広くなる。反対に、余裕がない状況だと、視野が狭くなる。

視野が広くなってるってことは、いろんなところが見れるってこと。

忙しくなってくると、2個3個同時に情報処理する場面が頻繁に訪れるから、その時に備えて、日ごろからキョロキョロしとく。

それは視覚のキョロキョロだけじゃなくて、思考のキョロキョロもしといていい。

仕事のことを考えながら、仕事とはまったく関係ないこと考えるとか。それこそ、雑談すれば、もっと脳の処理が増えるから、雑談もいいかもね。そうやって、日ごろから、複数処理しとけば、忙しいときでも慌てずに済む。

ちなみに、混んでるときも混んでないときもほとんど変わらない。

まーそういうことだね。

 

マルチタスク:メンタリティー、他人

僕は、マルチタスク能力があるほうだと思う。

でも、僕よりマルチタスク能力がある人は、いっぱいいる。

昨日もいたし、おとといもいた。

そういう人は、僕より頭の回転が速くて、賢くて、論理力が強くて、正義感が強くて、仕事もできる。

どの能力でもそうだけど、自分より能力が上の人はすげぇ多いし、下の人もすごく多い。

で、僕の場合、自分より上の人に勝とうと思ったことがない。

なぜなら、自分が仕事ができるとかできないとかに興味がないから。

世の中には、仕事ができなくても楽しんでる人がいるし、反対に、僕より能力があってもしんどい人もいる。

僕は、仕事ができるかできないか以前に、自分が楽か楽じゃないかしかに興味がない。

1人のマルチタスク能力には限界がある。

っていうより、こんだけ散々書いたけど、マルチタスクは先天的なものであって、ある人にはあるし、ない人にはない。だから、身に着けようと思っても身に着けられるものではない。「男」と「女」みたいなもので、マルチタスク能力は自慢にはならない。

最初から、搭載されてるもの。「男」で言えば、おちんちんがついてますってだけ。

だから、これから、書くことは、マルチタスクを持ってない人にも見てほしい。

自分ひとりのマルチタスク能力には限界があるってさっき書いた。

ってことは、他人を使えばその分分散される。

これも、立派なマルチタスク能力。しかも、他人に仕事を割り当てれば割り当てるほど、その他人は仕事を覚える。

そうすれば、自分は楽になれる。

そうやって、できる人が他人に仕事を任せてできない人になればなるほど、誰かが仕事ができるようになっていく。

これは、マルチタスク能力がなくてもできること。

単純に、分からないことを教えてもらって、しんどいことは手伝ってもらったり、任せたりすればいいだけ。

仮に、それができないんだとしたら、見栄を張ってるだけ。

どこかで、できる人と思われたいという願望があるから、プライドが邪魔してそれできないだけ。

自分が楽するっていうのは、そういう見栄捨てて、他人に任せるってことだから。

ってか、僕自身、仕事ができるとかできないとかどうでもいいし、自分が仕事ができないキャラになって、回りができる人になってくれるなら、喜んでそのキャラ引き受けるよ。

 

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意地の張り合いとか我慢比べとかしんどいから、さっさと負けましょう

「おもしろくなりたい!」って思ったなら、

「お笑い番組一日8時間見る」より

「ネタ作って、youtubeで作ったネタを披露したほうがいい」し

「毎日、違う人と会話したほういい」わけ。

「料理うまくなりたい!」って思ったなら、

「料理本を八冊熟読する」より

「クックパッド見ながら、簡単なものでもいいから作ったほうがいい」し

「作ったものを、SNS上に晒して、査定されればよりいい」 

 

要は、勉強することとか準備することってそんなに重要じゃないってこと。

料理でもお笑いでもそうだけど、準備する前に、人前に晒せってこと。

準備する前に晒すってことは、未熟なまま晒すってことだから、失敗して恥をかく可能性もあるわけ。

今、やりたいことがあって怖くてできないっていう人は、ほぼ恥かきたくないだけ。

そういう人に限って、「なんで、やらないの?」って聞いたら、そのレベルに到達するまでに努力してますとかお金を貯めるまでできないとかって言い始める。

それ、ほぼ100%ウソだから。結局、恥かきたくないだけだから。

ほんとに、やりたいことやりたい人とか、息吸って吐くか如くやりたいことができる人は、平気で恥かけるわけ。そもそも、恥かしいとも思ってない。

だから、恥かきたくないと思ってる人より、やりたいことやるための手段もあるし、手段は選ばないから、手段は無限にあるわけ。

 

あと、最近思うことがある。

僕は、二律背反の思いを抱えながら動いてる。

「恥かきたくない」と「恥かきたい」

「失敗したくない」と「失敗したい」

「負けたくない」と「負けたい」

「スタイリッシュでいたい」と「泥臭くなりたい」

「波風立てたくない」と「波風たてて、世間からずれて、変な目で見られたい」

失敗する可能性がある場面で、しばらく失敗してないと、「あー失敗したい」って思う。

なぜなら、うまくいってるときは、総じて、適当で、「失敗してもいい」っていうときで。

反対に、うまくいっていないときは、他人と比べてしまいがちで、我慢比べしてるとき。

我慢比べっていうのは、「先に失敗したほうがまけ」っていう意味合い。

我慢比べしてるときは、大抵調子が悪いし、「先に失敗したほうがまけ」って思ってるときほど、「さっさと自分が失敗したい」って思う。

実際、自分が失敗しちゃったほうが、気分が楽だし、現実がいいほうに転んでくれるから、先に失敗したほうがいいんだと思う。

あと、見栄張ってるときも調子が悪いし、普段はプライドが低いのに、ある問題に対してだけは、プライドが高いときもうまくいってない。

意地張ってるとき、プライド高いとき、うまくいってない。

例えば、何かに対して怒ってて、「先に謝ったら負け」モードに入ってるときあるじゃない?

それとか、「先に話しかけたら負け」モードとか

「先に折れたら負け」モードとか、

こういうときね大抵、向こうも同じこと考えてるから、自分が負けだと思ってること、先にやっちゃえば向こう悔しくなるから。

結局、根っこは、単に見え張ってるだけだから。プライドが異常に高くなってるだけだから。

柔と剛で言えば、意地を張ってる状態は剛であり、肩にバンバン力が入っちゃってる状態なわけ。

だから、意地を張らせる原因を作ってる相手が剛のときは、こっちは柔らかくいればいいだけ。

要は、先に、ハイ、負けました!って言っちゃって、相手拍子抜けさせればいい。

「意地の張り合い」が行われてる土俵があって、その土俵を割っちゃうってこと。

要は、同じ土俵で勝負しない。「意地の張り合い」が行われてない土俵まで、持ち込めば、いいし、そこまで持ち込めば、土俵っていう概念もなくなるし、競争っていう概念もなくなるわけ。

そうすると、うまくいっちゃうと思うよ。

 

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他人見て、この人はすごいとかあの人はすごくないとかって判断しないほうが生きやすいよ

「勝つ能力」より「たくさん負ける能力」のほうが欲しい。

だって、そっちのほうが楽しいから。

「勝つ能力」を延ばそうとすれば、最終的に保身する。

今、もし、高い地位を確立してるなら、その地位を守ろうとする。

他人を見て、この人はすごいとかすごくないとか、この人は自分より上で、この人は自分より下とか上下の価値観で他人を見始める。

僕には、上下の価値観があまりない。

上下の価値観とは、この人はすごくて、あの人はすごくないって判断することである。

フリーターより正社員がすごいとも思わないし、

敗者より勝者がすごいとも思わないし、

頭の悪い人より頭のいい人がすごいとも思わないし、

力仕事してる人よりIT企業で勤めてる人がすごいとも思わないし、

年収低い人より高い人がすごいとも思わないし

仕事できない人より仕事できる人がすごいとも思わない。

もし、僕が上下の価値観で、物事判断してたら、世間が思う「すごい人」になろうとしたんだと思う。

今、フリーターだけど、正社員になろうとしただろうし、

今よりちゃんとしようとしただろうし、楽しさより正しさとか安定を求めるだろうなと思う。

そうやって、自分の人生つまらなくして、それと引き換えに、世間が思う「すごい人」になろうとしていくんだと思う。まぁーそんなもん幻想だけどね。

すごいとかすごくないとか幻想。どっちが上とか下とかも幻想。

あるかもしれないけど、それは目に見えてる三次元の情報だけ。

三次元の世界で、いくら「すごい人」になろうとして、例え、今より年収が上がったり、役職があがったりして、その世界では、すごくなっても、自分自身が満たされてなかったら、それは単なるハリボテにすぎない。

入れ物だけ豪華で、中身は空っぽ。蓋開けてみれば、何も入ってない。ほら、幻想。

だから、世間が思う「すごい人」になろうとしたところで、その先は、空虚であり、空虚が嫌なら、はなから世間が思う「すごい人」になろうとするんじゃなくて、楽しいと思えることだけやればいいだけ。

それは、上下の価値観を捨てることにもつながる。

要は、他人を見て、すごいとかすごくないとか判断しないようにするってこと。

そうすれば、楽しいと思えることだけ選べるようになる。

だって、上下の価値観が薄まれば、平気で、世間が思う「すごくない人」にもなれるわけ。

ってことは、以前より負けることもできるし、恥をかけることができるわけ。

だって、純粋に楽しいことが選べるってことは、優劣とか勝ち負けとかがどうでもよくなるってことだから、自然と挑戦する回数が増えるってことだから。

 

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