分かりやすい結果が出ると、どうなるのかなー
「他人を喜ばせたい」という欲がある。
ブログを書くのも、
人と会話するのも、
バイトするのも、
「他人を喜ばせたい」という欲を叶えるための手段に過ぎない。
他人が喜ぶなら、はたまたそういう実感が味わえるなら、そうなるように動く。
今までブログを書けたのも、結局のところそれしかないように思える。
ちゃんと社会から、他人から認められたという実感欲しさに、ブログも書けた。
認められたという実感は、ブログで言えば、アクセス数が増えることで味わえる。
けど、全然増えない。前は、一日の平均が40ぐらい、今は50ぐらい。
全然、満足してないし、結果が出たうちに入らない。
実感は結果によって、もたらす。成功とか報酬とか見返りと言い換えてもいいだろう。
とにかく、結果がほしい。
それも、できるだけ僕のやりたいこと、好きなことで結果を出したい。
それは何か?
今は、「書くこと」で結果を出したいと思ってる。
だから、今もこうやってブログを書き続けている。全然、思うように結果が出ない。
どうやら、ブログをやってるほとんどの人が一日の平均pvが50以下みたいだ。
三ヶ月続けて、やっとこさ50に乗ったぐらいだから、ブログで結果を残すのは、難しいみたいだ。
もちろん、僕の記事にスターが付いたり、ブックマーク登録してくれたらうれしいなと感じるけど、物足りない。
もっと、自分に求心力とか影響力が身に付けばいいなと思う。
そういうものが身に付けば、結果が得られるなら、身につけたいし、そういうものがなくても、結果が得られるなら欲しいし、まず、大前提として結果が欲しい。
分かりやすい結果。
お金が稼げた。
書いた文章が認められた。
友達ができた。
恋人ができた。
なんでもいい。僕がいま持ってないものが欲しい。
「足るを知る」なんてどうでもいいから、ちゃんとお金は稼げるようになりたいし、もっと認められたい。
特に今は、もっとお金を稼ぎたいという思いと好きなことで稼ぎたいという思いが強い。
実際に八月からバイトのシフトも減って得意なことで稼げるお金が少し減る。
それもこれも、好きなこと、書くことでお金を稼ぐ可能性にかけたいから。
だから、そのためにわざわざ好きなことで稼ぐための時間も作った。
時間を言い訳に、好きなことで稼げなかったという逃げ道もふさいだ。
退路も断ったわけだから、次は、ちゃんと好きなことでお金が発生するように動くだけ。
最初は、小さな報酬、小さな成功体験かもしれないけど、出来るだけ積み重ねること。
「お金を稼ぐ」という単体で見れば、ものすごくコスパが悪いことをいっぱいするわけだけど、その状況もできるだけ楽しむ。
苦労せずに、楽にタスクをこなす。ゲーム感覚で。
八月からクラウドワークスで文章書くー
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友達を作ることもお金を稼ぐことも「ゲーム」です
友達は少ないより多いほうがいいし、
お金は少ないより多いほうがいいし、
コミュ力はないよりあったほうがいい。
あったほうが有利だし、いろんな面で確率とか可能性とかは上がるんだと思う。
前まで僕も、友達とかお金に興味なかった。というより友達が少ない自分とか、お金を稼げない自分を直視したくなかったから、見て見ぬふりして、友達とかお金以外に幸せのものさしを探してたんだと思う。
漫画、ドラマ、映画、お笑いを好きになれたのも、友達とかお金以外のものを探した結果だと思う。
でも、結局行き着くのは、人脈とお金だった。
友達を作るセンスも、お金を稼ぐセンスもないと一旦諦めたものと今また向かい合ってる。
また、友達を作ること、お金を稼ぐことに対する考え方も変わった。
極論だが、友達少ない人より友達多い人のほうが性格がいいし、
友達が多いということは、それだけ自分から話しかけた回数も多いし、
オープンマインドで自分のこと包み隠さず話してきたってことだし、
友達を作れるってことは、それだけその人にメリットがあるから、次、また会ってくれるわけだし、「また、会いたい」って思わせるのは、すごいことなんだと思う。
ネガティブで、陰口で、悪口で、なおかつ自分から話さず、人見知りをこじらせ、自分の殻に閉じこもって人に、「また、会いたい」と思わせる能力があるとは考えにくい。
ってことは、基本的に、明るくて、面白くて、悩みがあまりないみたいな人は、友達が多い。つまり、性格が良くないと、人脈もできない。
友達はいないよりいたほうが楽しいし、
お金はないよりあったほうが楽しいし、
だから、それらを獲得する「ゲーム」だと思えばいい。
どうやったら、もっとお金を稼げるか?
はたまた、どうやったら、楽に楽しく稼げるのか?
先月、通帳に10万と記帳されてたから、次の月はどうやったら20万と記帳されるだろうか?ボウリングの最高スコアを更新するみたいに、お金もスコアとしてしか見てない。
お金を多く稼いで、使えば、その分社会に貢献できる。
だから、稼げば稼ぐほど景気の底上げにつながるのは、周知の事実だ。
それが実感しにくいなら、「ゲーム」だと思い込むしかないのだ。
10万稼ぐより20万稼げたほうが、ポケモンのレベルが上がったみたいで楽しいだろう。
20万稼げたら、好きなものがいっぱい変える。だから、次は、30万稼ごうと思う。だって、もっと好きなものが変えるから。
そうやって、稼ぐことそれ自体が楽しくなれば、ゲーム感覚で稼げるようになれば、いいと思う。
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「朝まで生テレビ!」より「負けでいいんで、退席してもよろしいでしょうか?」
自分のことはコントロールできるが、他人のことはコントロールできないし
相手が正しいと思い込んでることを訂正することはできないし、
相手の考えも、思想も、哲学も変わらない。
だから、自分が「理解してほしい」と思っても、「理解されない」のは、自分の論理が100%正しいと思い込んでるから、理解されないわけだし、
悪い意味で自分=世界だと思い込んでる。というよりそう思い込まないとやってられないのだろう。
そもそも、「理解してほしい」も自分の論理を過信してる言い分だから、結局、「理解されたい」なら、「理解しようとしなさい」ってことになる。
「与えよ!さらば、与えられん!だっけ?ギブアンドテイク」ってことになる。
「理解しようとする」っていうのは、先に負けを認めて、降参しましょうってこと。
いろんな勝負があって、そこからさっさと負ける。
論理の勝負、意地の張り合い、我慢比べ、優劣の世界からさっさと身を引く。
勝とう!勝とう!って思ってるときうまくいってないし、自分のほうが正しいと思ってるときもうまくいってないし、誰かと比べてるときもうまくいってない。
だから、いくら自分が正しいとか向こうが間違ったことを言ってるとしても、こっちが先に折れるの。
先に負けないとずっと比較の世界に足つっこんでて苦しいわけ。
ちゃんと負けたら、みんな味方の世界になって、自分はのびのびできて、ますますうまくいくから。
あとね、向こうがどれだけ間違ったことを言ったとしても、反論しないこと。
反論したくなる気持ちをグッとこらえて、そこは我慢してスルーする。
じゃあ、相手の発言のどこを見て、言葉を返せばいいのか。
それは、相手がそれを言った意図を考えればいい。感情が言語化されたのが言葉だから。言葉の真意は、結局何らかの感情にたどりつくワケ。
だから、言ってることには共感できなくても、それ言ってるときの感情には共感できると思う。
言ってることどんなにはちゃめちゃでも、
「悲しい!」「つらい!」「寂しい!」っていう感情は分かるやん。
そこを、「うん!うん!」って共感する。
意固地な人、特に、頑固な男って、口では寂しいとかつらいなんて言わないから。
まー言わないよ。でもね、言ってる表面的な言葉じゃなくて、態度とか表情でほぼ分かるやん。この人構ってほしくて、わざと嫌われるようなことしたり、セクハラめいたことするわけ。
男だけじゃなくて、みんなそう。
感情を隠すのが人間。
で、みんな感情を隠せたほうが恰好いいと思ってるし、その方が勝ってると思ってる。
じゃあ、もう、どうすればいいか分かるね。
さっきも、書いた。「先に、負ける」に繋がってくるんだけど、「先に感情出せってこと」だよね。
これって、論理の世界、競争の世界じゃタブーなわけ。だからこそ、そっから、抜け出して、競争とは無縁のストレスフリーな世界に移りたいなら、プライド捨てて、先に感情だせってこと。
いつまでも「朝まで生テレビ!」してんじゃねぇよってこと。
あれ、見てる分には楽しいけど、あそこに座って論破にせいを出してる自分を想像すると吐き気するじゃん。
今の、僕なら、「負けでいいんで、退席してもよろしいでしょうか」って言って、席を外すと思う。そっちも勇気あるけど、負ける勇気に使うほうがいいよね。
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コミュ力があって、お金があって、恋人がいる人が評価されるのは、健全な世の中だと思う
オードリーの若林さんの新作エッセイ「表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬」のあとがき、キューバ旅行から帰って、成田空港に着陸しようとしてるところで思ったのは、、、
この街で誰にもバカにされずに生きるにはいくつ手に入れればいい?
仕事ができて。
お金を持っていて。
ルックスが良くて
若くて。
恋人がいて。
もしくは、結婚していて。
子供がいて。
ファッションセンスが良くて。
頭が良くて。
デブじゃなくて。
キリがない。
僕はとっくに降りてる。
日本ではそういうところが評価される。日本だけではないかもしれないけど、資本主義の影響なのか、人間の持って生まれた競争意欲なのか分からないけど、やっぱり持ってない人より持ってる人のほうが優遇される。
僕自身、23歳という少ない人生経験の中で、たくさんの負けや多少の劣等感を抱いたこともある。
中学のときは、バスケ部で、自分なりに努力したけど、試合には出れなかった。
高校のときも、サッカー部で、家帰ってからも自主練したけど、試合には出れなかった。
中高の部活動では、自分より上には上がいるということを学んだし、将来的には勝てる所で勝負しないといけないなと思った。そう書いたが、気づいたのは最近である。
大学入学後も、大学生活で楽しめなかった鬱憤を晴らすために、認められなかった鬱憤を晴らすために、お笑いの養成所に入った。
結局、半年ぐらいで辞めた。お笑いの能力うんぬんかんぬんより「笑かしたい」っていうハングリーなエネルギーとか意志自体が掛けてたんだと思う。
とどのつまり、大学の少人数の輪の中で、おもしろいことを言って、ウケを取って、たまに、お笑いのラジオにネタ投稿して読まれたら、承認欲求はほぼ満たされていて、お笑いの才能があると思って、養成所に入ったのは勘違い甚だしいバカなのだ。
結局、辞めようと思ったのは、身近にいるもので「笑かしたい」欲を満たしてたからだと思う。
認められなかったら、ずっとやってたかもしれない。正直50点で満足してるだけだ。
友達を笑かしたところで、ラジオでネタを読んでもらったところで、社会では評価されない。
社会で評価されるもの、良しとされるものは、
友達四人だけにウケる内輪ネタじゃなく、ジャンル問わずいろんな人を笑かすトーク術とワードセンスだし
もっと言えば、友達四人だけを笑かす能力なんていらない。笑かす能力さえも社会で評価されるための絶対条件ではない。ただの手段だ。社会でよしとされるのは、今も昔もからない
仕事ができて。
お金を持っていて。
ルックスが良くて
若くて。
恋人がいて。
もしくは、結婚していて。
子供がいて。
ファッションセンスが良くて。
頭が良くて。
デブじゃなくて。
キリがない。
それが評価される世の中を愚痴ったってしょうがないし、そういうことが評価される世の中は健全だと思う。自分が評価されないのは、自分の能力を見てもらえないのは、間違えなく自分のせいだし、社会がよしとするこれらを「クソだ!」と罵っても、社会が評価するのは変わらない。お金を持ってて、恋人がいて、ジャンル問わず話せる雑談力を持ってる人に、お金がない、コミュ障、引きこもりニート、芸能人への誹謗中傷ツイートが勝てるわけないし、社会が評価するのは、間違いなく社会がよしとするものを持ってる人だ。
評価されたいなら、社会とよしとされるものをとるだけ。ものすごく、シンプルだ。
上に書いたことを少しでも身に付けば、評価される。
お金なんて働けばもらえる。お金を持ってる人は評価される。じゃあ、何も考えず機械の如く働けばいいだけ。「労働とはなにか?」「時給がうんぬん?」考える前に、バカになってとりあえず働いて、金稼げ。稼がないと評価されないし、社会から見向きもされないし、好きなものも買えないし、好きな人にも見向きもされない。
「お金で幸せは買えない?」そういうことはお金を稼いだあとのほうが説得力あるよ。持ってないときにいうのはダサいし。
「恋人なんていらないし」って強がるのは、恋人できて別れた後いったほうが説得力あるよ。持ってないときにいうのはダサいし。
社会で評価されるものに異議を申し立てるのは、それを手に入れたあとのほうが説得力あるし。持ってない人が吠えるのはダサいし。
今の世の中健全だし、競争が疲れたら、その競争から降りればいいだけだから。
ただ、社会に文句言ってるのはダサいから、社会から降りて、黙ってろってだけだね。
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負けだと思ってること、恰好悪いと思ってることをやること
「地位とか肩書きに興味ない」
ブログでは同じことを何度も書いてきた。
今、フリーターだけど、正社員になりたいとは思わないし、ましてや安定することにも興味ない。安定することの興味のなさは、自分が貯金がほぼないことと年金を払ってない(一応、免除されている)ことからも証明できる。
人には、一年先、二年先の将来を考える機能が搭載されている。
だから、貯金するし、働けなくなった後、老後のために年金を払っておく。
将来の不安を今できることで対策、対処していくということになる。
だって、貯金するのは、もしも病気や事故があったときに困らないようにするために、
もしも、欲しいものが
もしも、、、
もしも、、、
そうやって、将来の不安、「もしも」の数が多い人は、貯金するんだと思う。
もちろん、貯金するのは、それだけではないと思う。
海外旅行いくにも、留学するにも、マイホーム買うにも、車を買うにもまとまったお金が必要になるから、そういう意図で貯金する人もいるし、そういう貯金はいいと思う。
本来、お金というのは、使うためにある。
貯金するために、お金があるのではない。
貯金に躍起になってる人は、どこかしら問題を抱えてるかもしれない。
さっき、貯金する人は、「もしも」の数が多いと書いた。
ということは、将来の不安の数が多いということになる。
じゃあ、将来の不安の数を減らせばいいのかということになる。
たぶん、そうなったら、また貯金するというところに着地するだけ。
じゃあ、どうすればいいか?
僕の場合、将来のことを考えてない。
老後のことは、その時に考えればいいし、病気や事故になって、お金が必要になって、自分の貯金がなくても、誰かが助けてくれるだろうと思ってる。
基本的には、「どうにかなる」と思ってる。
というか、みんな「どうにかなってる」から死なずに生きている。
「どうにかならなかったら」死んでるわけだから。
根本では、「どうにかなる」と思ってるから、貯金しないわけ。
反対に、「どうかしたとき、どうにもならない」と思ってる人は、貯金することに必死になる。
そして、「どうにもならない」と思ってる人ほど、自分ひとりだけで生きていると勘違いしている。
要は、「困ったとき、誰にも助けてもらえない」と思ってるし、周りは敵だらけだと思ってる。
そして、周りが敵だと思ってるときって、例外なく、自分が意地張ってるだけだったり、変なプライドの高さを身につけてるときだったりしてるとき。
「助けてもらったら、負け」
「自分ひとりで生活できなきゃ、負け」
「お金もらうのは、負け」
って思ってるなら、さっさと負けてください。その勝負おりてください。
負けだと思ってること、恰好悪いと思ってることを出来るか出来ないか次のステージ上がれるか上がれないかの境目だよね。
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あーおもしろくなりたい
なぜ人は読むのか?
ブログでも小説でも自己啓発本でもエッセイでもなぜ、読むのか?
という問題がある。
例えば、自己啓発本。
・人見知りを直したい
・上司に気に入られたい
・年収を増やしたい
そういうことを間接的に叶えてくれるものだ。
本自体が人を変える能力はなく、本は、杖とかビート板の役割をするだけで、本人が変わりたいと思ったら、結局のところ、本人が動くしかない。
だから、本なんか読まなくたって、成功するし、社長にもなれるわけだ。
その成功した人、社長が書いた「あらゆることで成功する方法」が自己啓発本ということになる。
それを書くのは、単にお金を稼げるからというのもある。
もう1つは、「成功する方法」を書くことによって、読んだ人に、「役に立った!」「明日から実践しよう」と思われたいという思いもあると思う。
実際に、一冊の自己啓発本を読むことで変わるかどうかさておき、書いてそうやって認められれば、「承認欲求」が満たされ、書いてよかったなと思い、また、本を書くという循環になる。
さも悪いことのように書いているが、そんなことない。
「承認欲求」に突き動かされて、書くのは、当たり前だ。
小説もエッセイも、結局のところ、突き詰めれば、「承認欲求」だし、
ある程度、「役に立った!」とかそういう人の感受性に訴えかけるものを書けるから、
次もまた一冊書けるのだ。
「売れたらまた書ける」
「認められたらまた書ける」
当たり前のことだけど、すごくいい循環なのだ。
それで、僕自身、ブログを書くことによって、他人にどう思われたいか、他人のどの感情を刺激したいかと考えてみた。
僕も含めて他人というのは、自分にとって「役に立つ情報」「知れば楽になる情報」しか取り入れない。
だから僕も、ブログを書くときに、読んだ人が少しでも楽な気持ちになったとか明日からここに書いてあることを実践しようと思ってもらえるような意味のあること書こうとしてきたつもりだ。
要するに、読んだ人に、「役に立った!」と思われたかったんだと思う。
でもね、矛盾するようだけど、そういうあんまり好きじゃないの。
例えば、会話してて、楽しいなって思う人って、シンプルに面白いっていうだけで、
意味のあること言ったり、真面目な人とか、知識でがんじがらめになってる人あまり好きになれないわけ。
シンプルに面白い。それだけ。
その人が言うワードがおもしろかったり、例えがおもしろかったり、言葉だけじゃなくて、その人自身がおもしろい人のほうが一緒にいて楽しいし、そういう人になりたいなって思う。
ってことは、「おもしろい」ことにも需要があるってことになる。
だから、小説とかエッセイも存在してるし、ドラマもお笑いも存在してるんだと思う。
僕は、面白いことのことのほうが断然親しみがある。
だって、自己啓発本も読まないし、意味のあることも、役に立つ情報にも触れずに、お笑いと小説、エッセイのほうが読むから。
「役に立つ」ことを読んで感銘は受けないけど、星野源とかオードリーの若林のエッセイ読んで、ある箇所の一文を読んで「この表現いいな」と思うし、気づきとか目の付け所にすごいと思うわけ。
僕が憧れるのは、面白い表現だったり、
秀逸な例えだったり、
みんな変わらない日常の風景を見ているはずなのに、独特な視点から発見した非日常が書かれた文章
自分の言語化できない感情だったり感覚を言語化されてたら、感動する。
あー「おもしろくなりたい」
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書くことでお金を稼いでみる
1つ、決めたことがある。
「7月31日を最後に、毎日更新することをやめる」
辞めたところで、一日の平均アクセス数が50に満たないこのブログ。
更新しようがしなかろうが影響力がないことは充分承知である。
だから、やめても誰も失望しない。これは、悲観してるわけではない。
「どうせ、更新したところで、誰も読まないし!」とすねてるわけではない。
客観的な事実なのでしょうがない。
ただ、ブログを更新し続けた自分としては、どうかという問題があるだけ。
その問題も片付いたから、7月31日に辞めるという決断に至ったのだ。
シンプルになぜやめるのか?という話になってくる。
それは、別の所に、時間をかけたいから。
ブログを書いてる時間を別の時間に充てたい。それだけ。
別の時間とは、クラウドワークスという企業とか団体に頼まれて文章を書く仕事である。500文字書いて、企業に提出して、500円ぐらい貰うみたいな仕事である。
学生のとき、ノリでやったことがある。
それを、ブログを書くかわりに、クラウドワークスで文章を書く。
結局、同じ書くことだから、感覚的には同じなのかもしれない。
でも、決定的に違うのは、お金が発生するかしないかの差である。
じゃあ、お金欲しさにクラウドワークスで文章を書くのかという話になるけど、まー半分は正解である。
文章を書いたら、お金が貰えるから。それも1つ。
ただ、それだけじゃやらない。そもそも書くことが好きだ。
だから、こうやってブログを書いてる。もっと言えば、書いたり、人と話したり自分が表現することで、人が喜ばせることが好きだし、そこに一番時間をかけたいと思っている。
それなら、好きなことを仕事にしちゃったほうが速いのではって考えて、クラウドワークスで文章を書くという決定に至った。
お金だけのためだったら、普通に働いたほうが効率がいいからね。
クラウドワークスって、最初、すごく効率が悪いと思うよ。
500円の案件を、毎日ひとつやっても、一か月で15000円ぐらいにしかならないし、毎日二件にしても30000円にしかならないから。
でも、実際お金を稼げてないから分からないんだけど、稼げたらすごい達成感だと思う。
今、毎日ブログを書いてて、その感覚、クラウドワークスで毎日一件文章書くことを続けて、尚且つ、小銭だけど、お金を貰えれば、好きなことで稼げたという小さな成功体験になるんだと思う。
僕には、好きなことで稼げたという経験がない。
その経験をしたいがために、一旦ブログはやめて、クラウドワークスに鞍替えしようと思う。
また、クラウドワークスで書いた経験は、ブログにもいい影響を与えると思うし、メリットだと信じてる。
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