仕事中に気分が悪くなったときにするべきたった一つのこと

昨日、働いてたとき急に気分が悪くなり、同時に冷や汗も止まらなくなりました。

レジで働いているのですが、その時間は昨日祝日なのもあり、お客さんも並んでて忙しかったです。

選択肢は2つあります。

①我慢して、気分の悪さをごまかしながら、働く

②我慢しないで、助けを求めて、持ち場を変わってもらう

同じような立場に置かれたときどちらを選びますか?

僕は、②を選びました。理由は何個かあります。

まず、意味不明な冷や汗をかき、超気分が悪いわけです。

その状態のときって、他人のことなんて考えられないわけです。

人の役に立ちたいとか奉仕の精神など持てない。

眠たいときに「家族にために寝るまも惜しんで頑張ろう」なんて所詮まやかしで、寝たいわけです。

その上に「人の役に立ちたい」とか「人のために頑張りたい」があります。

ちゃんと寝て、ちゃんと食べて、ちゃんと好きなことがなければ、他人のための行動はできないってことですね。

自分のため、自分に集中ができて始めて、働けるってことですね。

で、ですね。②の我慢しないを選ぶ上で、心の葛藤とか迷いがあったのは事実です。

「気分悪いんで、助けてください。変わってください。」を言う決心がつくまでの1、2分間で目まぐるしく迷いました。

「助けをよぶことで、迷惑をかけるのではないか?」

「自分に対してあった5あった信用ポイントが、4に下がるのではないか?」

「他の人にはサボったと思われるのではないか?」

結構、自分の思考と闘ったのですが、結局、他人に迷惑をかけてでも、我慢せずに助けてもらいました。

5分間休んで、頭痛と冷や汗があったのですが、ましになり、すぐに働けるようになりました。後から分かったのですが、睡眠不足が原因で、脳に血流がまわってこなかったのが引き金となって、頭痛と冷や汗が来たみたいです。

やっぱり、ちゃんと寝るべきですね。寝る前のスマホと漫画はほどほどにってことです。

戻ったら、怒られるわけでもなく、

ただ、体調を心配され、

体調が悪かったら、早退してもいいよと言われ

当たり前だけど、元にいたレジには変わってもらった人がいて、

自分「が」この仕事ができなくても、誰か「が」その仕事がしてくれるってことが分かった。

そうやって世界も仕事も回ってるし、だからって自分の存在価値が低くなるとかなくなるとかじゃなくて、自分のためだけに生きる前提で、それが出来れば、少しずつでも働けば、それは誰かが楽になるために動けてるってことだし、誰かの楽しみの助けになってるってことだね。

 

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世間とか常識とか取っ払って、「勇気出す」「我慢しない」

自分の機嫌って自分でしかとれなくて、

自分の機嫌とるために、いっぱい寝て

しっかり食べて

お笑い見て爆笑して

漫画読んで

ゆっくり皿洗いして

毎日やってること、自分の好きなことをしっかりできてるときって、機嫌がよくて、

不安も悩みもない。

逆に、不機嫌なとき。

仕事かプライベートでなんらかの我慢をしてる。

我慢してるからそれは不安になる。

我慢を我慢のまま放置しておくと、一日の生活がままならない。

漫画読んで、ゆっくり寝るがスムーズにできなくなる。

不安を抱えた状態だと寝付けない。寝る前に、

「あの人に嫌われてるのではないか?」とかだと安眠しにくい。

当たり前に自分の好きなことが出来てないとき、どこかで我慢してるサインなのだ。

我慢してる箇所を見つけて、勇気だして、いいたいこという。やりたいことやる。

そうすれば、明日から我慢しない日々になる。

「あの人に嫌われてるかどうか」なんて考えたってムダ。

「あの人が自分のこと好きかどうか」なんて考えたってムダ。

自分が好きなら、それなりの行動すべきだし

自分がそれやりたいなら、それやるべきだし

いいたいこと我慢してるなら、いうべきだし

それが「勇気」出すってことじゃん。

逆に我慢すれば、もっと我慢する現実になる。

あなたが我慢すれば、他の人も無自覚にこの人には我慢させていいと思う。

残業させられるのは、残業を断らないからだし、

ブラック企業だと本人分かってるのに、ずっといるのは、みんなも我慢してるから自分も我慢しないと思って、我慢してたら、もっと我慢してそこにいる羽目になってる。

今の我慢は、明日の我慢につながるし、緩やかに我慢のレベルが高くなる。

反対に、今の我慢しないは、明日の我慢しないにつながるし、それ積み重ねれば我慢しないが当たり前になってくる。

世間とか常識とか客観的とか関係ない。

そういうのん取っ払って、「勇気出す」「我慢しない」

を選べるか選べないか。

他人関係ない。

自分がどうしたいか?だけで、

それに従って動くだけ。

結果もあまり関係ない。出た結果が悪い結果だとしても、結果は点と線でいうところの点だから、勇気出し続けたことによる点の数々をつなぎ合わせたら、見たい景色にはなってると思う。

それまで、恥かくかもしれないし、失敗するかもしれないけど、最終的には見たい景色になってる。

突発的な願望とか結果が伴わなくても、感情ベースでご機嫌ならそれで良くて、

ご機嫌だということは、それまでに勇気出したってことだよね。

 

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人間は、「思考ちゃん」と「直感ちゃん」二種類の人間を飼ってます

人っていうのは内面に二人の人間を飼ってます。

「思考ちゃん」と「直感ちゃん」です。

直感ちゃんとは、

・寝たい

・食べたい

・ディズニーランド行きたい

・好きな人を誘いたい

・漫画読みたい

純粋な「~したい」というのが「直感ちゃん」で、

その~したいという直感ちゃんの願いを叶えてあげるのが「勇気ちゃん」です。

~したいという状態だと、まだ~したいをしていないわけだから、ちゃんと「する」にする役割を「勇気ちゃん」が担ってます。

「しようとすること」と「実際にした」とでは雲泥の差があります。

その橋渡し役が「勇気ちゃん」です。

だから、「直感ちゃん」を橋渡し役の「勇気ちゃん」が叶えてあげるというのが、理には適ってますし、本来そうあるべきだと思います。

理想としては、「ああしたいな」と思った数秒後には「もうしたよ」なんです。

ただ!ただ!なんです!

人間の妙はここにあります!

人間に備わってる装備があります。それが「思考ちゃん」です

・頼りたい➡嫌われるかも

・助けてほしい➡助けてくれないかも

・いいたいこといいたい➡居場所なくなるかも

・親のこうしなさいに魅力を感じない➡反すると勘当されちゃうかも

・誘いたい➡断られるかも

青字の部分は「思考ちゃん」です。

頭のいい人は「思考ちゃん」優先で生きてる率が高いです。

なぜか?頭がいいからゆえに、損得勘定ができるからです。

自分がなにかやるときに、失敗するか成功するかを計算して、極端に言えば、1%でも失敗する確率があるなら、何もしません。

「思考ちゃん」の立場から言わせてみれば、

やりたいことをやることも

好きな人を誘うことも

会社をやめることも

いいたいことをいうことも

ただの暴挙でしかない。好き好んで失敗しにいく「バカ」にしか見えない。

そう「思考ちゃん」の言葉を借りれば、「直感ちゃん」はバカでしかない。

そして、その「直感ちゃん」の思いを叶えてあげる「勇気ちゃん」もバカでしかない。

そのバカを気づかせるために「思考ちゃん」は「直感ちゃん」の目の前に自意識お化けとして目の前に現れるわけ。

人見知りとか初対面が苦手とか自分から話しかけられないとか草食系男子とか

全部、自意識お化けのせいだよ。自分から話しかけられないのは怖いからだし、

自分から誘えないのも怖いから、その怖いは全部「思考ちゃん」から来てるだけ。

因みにだけど、「思考ちゃん」を強くする方法があって(やらないほうがいいよ)

・ネットサーフィンする

・自己啓発本よむ

・勉強する

・情報を入れる

これすれば簡単に「思考ちゃん」は肥大化するし、なにかするのに「怖い」が増す。

だから、極力調べず、知らずにやる。これが正しい「勇気ちゃん」のだしどころだね。

始めてのことほど、「勇気ちゃん」を酷使します。

始めて「勇気ちゃん」出すってときも怖いし、始めての分野に飛び込むときの別種の「勇気ちゃん」も怖い。

だけどね、今日「勇気ちゃん」出せた人って、明日「勇気ちゃん」出しやすい人だと思うし、明日「勇気ちゃん」出せる人って、明後日も「勇気ちゃん」もっと出しやすくなってると思う。

何回、「勇気ちゃん」出しても、怖さの値って変わらなくて、正直怖さになれないのよ。

ただ、「勇気ちゃん」出せば出すほど、「勇気ちゃん」習慣が身についちゃうから、「勇気ちゃん」出さないと気持ち悪くなるわけ。

だって、毎日怖いけどやりたいことやってるわけ。それで急にやらないわ。

自分の中で「気持ち悪く」なるわけ。

だから、「勇気ちゃん」出さずに、気持ち悪くなるぐらいなら、「勇気ちゃん」出して負けたほうがまだましだと思ってる。

 

 

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〈どうせ大丈夫〉の根拠を見つけること

失敗したくないなら何もしなきゃいいだけ。

じっとしてれば、何も起きない。失敗しない。

「〇〇やりたいけど、怖い」

「自分の中ではこう言いたいけど、怖い」

怖いことが起こるのが嫌ならそのままにしておけばいい。

そうですこれが「我慢」の始まり。

起こっていない怖いこと(想像)を、想像のままにすることを我慢っていう。

反対に、想像を確認することを、我慢しないっていう。

〈我慢しない〉が出来ている人は、ちゃんと想像を確認できてます。

「〇〇やりたいけど、怖い。怖いけど、確認する。やる。」

「自分の中ではこう言いたいけど、怖い。怖いけど、確認する。やる。」

怖い=自意識=想像が間違ってるかどうかを確認するってこと。

「やろうとする」んじゃなくて「やる」こと。これ確認。

でね、実際やりたいことやっても、いいたいこといっても、8割方は何も起きない。

つまり、大丈夫だったことのほうが多い。

・実際に言いたいいっても大丈夫だし

・実際にLINEしたらLINE返ってくるし

・実際に助けてって言ったら助けてくれるし

こういう風に、8割方は悪い想像=自意識というのは外れる。「心配事の九割は起こらない」ってタイトルの本があるくらいだから、大体、悪い想像は外れる。

なんで悪い想像は外れるかというと、人間って無意識の内にすごい数のネガティブなこと考えるような脳の仕組みになってるみたい。

これがまだ起こってもない良い想像よりまだ起こってもない悪い想像を考えることのほうが圧倒的に多い。

だから、悪い想像の中から実際に確認した結果、悪いことが起こるのは確率的に見れば低いってことだね。

でも、2割は大丈夫じゃないことが起こるってことだね。

・実際に言いたいこといって嫌われた。

・実際にLINE送って返ってこない

・実際に助けてって言って助けてもらえなかった

まー起こるには起こる。例えば、僕が石原さとみをご飯に行きましょうと誘ったとしよう。ほぼ100%断られる。

こういう一時的に大丈夫じゃないことが起こったとしても、後々、大丈夫になっていくんだよね。

・失恋しても今は楽しんでる

・あの時、夏休みの宿題やり忘れたけど、全然、生きてる

・お金使いまくったけど、何か知らんけど今は大丈夫

大丈夫じゃないことが起こっても大丈夫だってことは、結局、この世界は大丈夫で出来ているってことになる。

一時的に、傷ついても、嫌われても、落ち込んでも、失敗しても、大丈夫になる。

ってことは、〈どうせ大丈夫だし〉の世界に生きてるってことだね。

こういうのを〈超客観〉とか〈超俯瞰〉っていいます。

空気を読むことは客観的に物事見れることと直結しますが、

〈どうせ大丈夫だし〉は自意識過剰とか空気を読むを超越した〈超客観〉なのです。

だってチョー失敗しても、大恥かいても、〈どうせ大丈夫〉だもん。死なずに生きれてるってことは、〈どうせ大丈夫〉を裏付ける根拠だし、

〈どうせ大丈夫だし〉の根拠を見つけるために、チョー失敗するし、大恥かいてる。

失敗すればするほど、恥かけばかくほど、〈どうせ大丈夫〉の根拠が多くなっていき、

〈どうせ大丈夫〉を信じることができる。

 

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「なんとなく」と「思いつき」でしか動いてない

「思いつき」とは、脈絡がないもの。

脈絡がないからこそ、「思いつき」なのであって、なぜ?思いついたなんてものはない。

あるとすれば、「なんとなく」とか「ふわっと」ぐらいしかない。

人が動くが理由なんて根本的には「なんとなく」そう思ったからに過ぎない。

特に好きなこととかやりたいことにおいては、「なんとなく」なのである。

漫画読みたいのは漫画が好きだから読みたいのであって、「なぜ読むの?」って聞かれても、「読みたいから」しかない。

映画もお笑い見るのも料理するのも、「そうしたいから」そうするのであって、それ以外ない。

逆に、「なんとなく」の理由以外に、なにかをやってるとしたら、それは長続きしない。

例えば、「教養を高めるために」本を読む、映画を見ているとすれば、おそらくつまらない。

ほとんどの芸人は「人を喜ばせるために」お笑い芸人をやってるんじゃなくて、「人を笑かすと気持ちいい」から芸人をやってるだけ。

「人を喜ばせた」は結果であって、まず純粋に「気持ちいい」という感覚があるからできるのだ。

特に人の笑い声には中毒性があるから、笑かせば笑かすほど笑かす側としては「もっとちょうだい!」となるのだ。

こういう世間ウケのいい理由だったり、確固たる理由は「ウソ!」

好きなことやってるときほど、軽く動けるし、目的のために好きなことやってるなら、それウソだからやめたほうがいいよ。

嫌いなことやってるときほど気が進まないよね。

僕も大学生のとき、テスト一週間前にしか勉強しなかったから。

勉強というより、テスト教科があるその日だけ記憶していれば良かったから、詰め込みに近いかもね。

勉強嫌いだったし、嫌いなものをおうち持ち込んでやりたくなかったら、全部電車の中で詰め込んで記憶したよ。

出来ればテスト勉強なんてしたくなかったけど、状況によったら、嫌いなことでもやらないといけない場面出てくるよね。

そういうのは、期間だけ決めて、さっさと終わらす。

もちろん100点なんて目指さない。60点合格ラインぐらいとれればいいやぐらいの感覚でいい。

普段、適当な感覚で過ごしてるんだけど、嫌いなことやってるときはもっと手を抜いていい。

なんなら、学生じゃないなら、嫌いなことは自分はやらずに、他人に任せてやらせればいい。

「自分のできないことは、誰かができること。誰かができないことは、自分のできること」という文章を読んだことがあるけど、確かにその通りだと思う。

社会に出ると、あらゆる分野で平均点出す人より、一個で突出した人のほうが重宝される。

サッカー選手はサッカーしかできないし、その中でもメッシはめっちゃお金持ってるし、メッシにサッカー以外の能力を期待してない。メッシにはサッカーで世の中を魅了してほしいわけ。

途中脱線したけど、結局、好きなことだけやりましょうってことかな。

 

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「勇気ちゃん」出せたこと自体が素晴らしくて、結果なんて関係ない

k-nali.hatenablog.com

僕が書いたやつじゃないけど、見てね♪

やっぱり、勇気出せば出すほど、勇気って鍛えられるってことだね。

つまり、一回勇気だせば、次も勇気出しやすいってことだね。

「勇気100倍アンパンマン♪」ってことは、めっちゃ勇気出してるってことだし、アンパンマンは尊敬に値するってことだからね。

バイキンマン出てきたら逃げずに戦う。これ、勇気。

バイキンマン出てきたら正直今も怖いと思ってるんだろうけど、最初に逃げずに戦うを選んでるから二回目以降も戦えるってことだね。

あと、勇気出せば出すほど、勇気出しやすくなるっていうのはホントなんだけど、

怖さの値は、ほぼ変わらないんだよね。

「お給料あげてください♪」

「休みの日を多くしてください♪」

「飲みに行きましょう♪」

言うのは未だに怖い。

怖いの中身、幻想だしお化け。自意識お化け。

「失敗したらどうしよう」

「嫌われたらどうしよう」

「怒られたらどうしよう」

こういう自意識お化けは勇気出すときついて回ってくる。

特に最初の勇気ちゃんはすごい自意識お化け。

常に、勇気ちゃん対すごい自意識お化けの対決があって、ほとんどの人は、自意識お化けが勝つ。これが勇気ちゃん出さなかったということ。

我慢しないとか好きな人に好きって言わないっていうのは、早い話が勇気ちゃん出さなかったってだけだね。

反対に勇気ちゃん出した人っていうのは、自意識お化けに負けずに勇気出したってことだね。最初に勇気ちゃん出した人っていうのは、お化けが現実になってもいいと割り切って勇気ちゃん出したってことだね。

「失敗してもいい」

「嫌われてもいい」

「結果が悪くてもいい」

勇気ちゃん出したら、自意識お化けは現実になる。

いいお化けか悪いお化けか?「失敗するかも」と「成功するかも」はどっちも自意識だからね。

ここで一番大切なのは、結果じゃなくて、勇気ちゃん自体を出せたことだね。

「言いたいことも言えないこんな世の中じゃ~ポイズン(反町隆史、GTO主題歌)」

で言えたという勇気ちゃんに価値があるってことだね。

言えば結果が出るね。いい結果も悪い結果も偶然だと思う。

結果は、相手ありきだし会社ありきだから、コントロールできない。

ただ、勇気ちゃんいっぱい出せるっていうのは、それだけくじ引きで言うところのくじを他の人より引いてる状態だから、いい結果出る確率があるってことだね。

これに関連してだけど、浅田真央ってトリプルアクセルで有名だけど。

偉い人が言ってたんだけど、浅田真央は本番でトリプルアクセル失敗しないために練習でもトリプルアクセルを失敗しないための練習をしてたから、トリプルアクセルの成功の確率が悪かったんだって。

反対に体操で過去金メダル9個とった人は、本番で大技決めるために、練習ではワザと失敗するんだって。

失敗すればするほど、「こうすれば失敗するんだ」っていうのが分かるみたい。

成功するためのツボ、綱がどの辺にあるか図るために失敗しておくんだって。

これも一つの勇気ちゃんだよね。

勇気ちゃん出すことによって結果が出ちゃうけど、それより勇気ちゃん出せたことが素晴らしくて、例え悪い結果でも経験になるから、次勇気ちゃん出すことが求められる場面でも勇気ちゃん出しやすいし、一回目の結果を参考にできるから、成功する確率があがるよね。

「だからひとまずこれ一本。

朝の勇気ちゃん(ワンダー)モーニングコーヒー♪」

冗談さておき、最初の勇気ちゃんだね。

 

 

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重くお金を入れたら、重くお金を使うことになり、軽くお金を入れたら、軽くお金を使える

日に日に、「やり方」とか「テクニック」というのに興味がなくなっていくんだよね。

例えば、お金持ちになりたかったら、気持ちよくお金を出して、気持ちよく入れるのお金の循環にするとか興味ない。

まず、お金持ちに興味ない。

自ずと、お金持ちのなるための方法(気持ちよく出して、気持ちよく入れるなど)など興味ないんだけど、知らぬ間にその方法やっちゃってることがある。

僕が毎日心がけてることは一つしかなくて、それは、

「居心地よさを保つために、楽しいことだけする」

なんだけど、それやってると、自然に気持ちよく出して、気持ちよく入れるが出来てたりする。

自分にとって居心地の良さが当たり前なわけだから、

好きなものしか買わないし、好きなサービスにしかお金を使わない。

多少値が張っても、最初に、「これ好き、買いたい」と思ったら、その衝動で動いちゃう。

となると、お金を貯金しようとする考えが自分からなくなる。

居心地の良さが絶対だと決めたときから、お金を貯めようなんていう考えが頭に上がったこともない。

かといって、好きなことに惜しげもなくお金を費やすだけで、浪費するわけでもないから、貯金されるにはされるだけど、貯金しようとしたわけではない。

勝手に、自然に貯金されただけ。

そうやって、自分の喜びのためにお金を使って、

他人の喜びのためにもお金も使う(奢るなど)

他人にお金を使ったからって、「見返り」を求めるわけでもない。

お金を使うことによって、喜んでくれるだけで元がとれてるし、

無意味に一万円使って後悔して悩んでる時間があるなら、その時間で働いてすぐお金稼げると思ってる。

正直、お金使っても、お金がなくなったっていう感覚がない。

たぶん、不明に自分の通帳から一万円が抜かれていたとしても、そんなに怒ることもないと思う。

それぐらいお金に執着がない。それは潜在的に使ったお金は、その分働くなりなんなりしてお金が入ってくると思ってるから。

もし、お金の入ってくる流れが悪かったら、お金への執着も強くなってたんだと思う。

今のところそれもない。

お金を稼ぐことに関しても、いかに楽に、気持ちよく、楽しくを心がけてる。

苦労して20万円稼ぐより楽しく15万円稼ぐことのほうが価値があると思ってる。

お金への執着のなさはそこから来ている。

お金は使っても、どうせ軽くお金は入ってくると思ってる。

これが苦労して稼いだとなると、重くお金が入ってきたという感覚に変わるわけだから、お金を使うのにも躊躇する。

お金というのは、損得勘定しながら、悩みながら使っても楽しくないのだ。

お金というのは、楽しむためのツールでしかない。

所詮ツールなわけだから、お金なんてなくても、楽しめる。

お金を使うことでしか、ご飯が食べられるわけではない。

奢ってもらえばいいし、親にお金をもらえばいいわけ。

そうやってもお金が少なくても楽しく生きていけるという感覚を養えば、好きなものにお金を使えるし、苦労せずに軽くお金を稼ごうっていう流れに必然的になっていくはず。

 

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