「恥かきたくない」って思いたくないから、 ちゃんと恥かくし、さっさと恥かきにいく。

「恥かきたくない」って思いたくないから、

ちゃんと恥かくし、さっさと恥かきにいく。

「失敗したくない」って思いたくないから、

ちゃんと失敗するし、さっさと失敗する。

誰かを見て、「ダサい!」って思うぐらいなら、

「ダサい!」って思われる人のほうがいい。

誰かをいじることには積極的で、いじられることには消極的にはなりたくない。

まず、積極的にいじられたい。いじることは、二の次。

「傷つきたくない、嫌われたくない、負けたくない、怒られたくない」が意味するのは、勝ち負けの土俵に立たないということ。

いわば観客の立場。観客の立場で、負けた人に対して、批評したり、ディスたりするのはダサい。

自分は傷つかない、恥かかない安全な場所でディスる

自分はディスられない、ツッコまれないという保証があるから、安心して、ディスる

「うわ、ダサい!」

「うわ、恥ずかしい!」

「うわ、怒られてる!」

って思うぐらいなら、ダサいって思われたほうがいい。

恥かかずに、綺麗に人生歩もうなんて考えたくない。

すげぇ恥かいて、負けながら、いろんなこと経験したい。

しかも、恥かいても、負けても、死ななければ、何も起きてないことと同義なわけだから、いっぱい恥かいて、負けることだね。

 

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「好きだから、やる」と「仕事だから、やる」の違い

仕事って、気乗りしなくても職場にきて仕事するでしょ。

 

やりたくなくても仕事をするわけで、これ、仕事じゃなくて趣味だったら、やらないと思う。

 

ただ、「仕事だから」「使命だから」でやってることは毎日やれてしまえるもの。

 

気乗りしなくても、仕事が進みにつれて、楽しくなってくること。最初、楽しくなくても、どこかに楽しみを見いだせるもの。それが、仕事。

 

「気乗りしなくても、やる」

「やりたくなくても、やる」

「使命だから、やる」

「めんどくさくても、やる」

「仕事だから、やる」

 

一方、「好きだから、やる」

趣味でやってるのは、映画を見たり、お笑い見たり、サッカーしたり、漫画読んだりとか気が向いたときだけやるもの。

 

バイト以外でお金は発生しないけど、仕事として毎日やってるものは、お風呂入る、歯磨き、料理する、ブログ書く、筋トレ、オナ禁

 

オナ禁すれば、仕事中の作業効率が上がるわけだから、基本的に毎日やるし、

その作業効率をあげてくれる物質をテストステロンというが、それを発生させるのが筋トレなので、筋トレも毎日やる。

 

オナニーすれば、テストステロン値が下がるので、やらない。これも仕事。

 

ブログを書きたくなくても、基本的に毎日書いているのは、相手のためになる記事を書きたいから。

 

相手が求めたものを提供するために、毎日書くし、仮に、僕のブログを楽しみにしてるなら、更新が途絶えると、読んでくれなくなるから、時に、ブログを書く気分じゃなくても書く。

 

毎日やるとは、当たり前化していくということ。

水道が出るのは、当たり前。火がつくのは、当たり前。と同じように。

ブログ書く、筋トレする、オナ禁する、仕事するは当たり前。

当たり前だから、仕事になってる。

 

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「自分をどう喜ばせるか?」に飽きたら、「相手をどう喜ばせるか?」に集中する

「自分をどう喜ばせるか?」に集中して、満たされ、飽きたら、

次は、「相手をどう喜ばせるか?」に集中する。

 

「心地いいことだけする」に集中し、満たされ、飽きたら、

次は、「大きな心地よさを得るために、小さな心地よさを捨てる」に集中する。

 

「自分のことを大切にする」に集中して、満たされ、飽きたら、

次は、「自分のことなんてどうでもいいから、相手のことを喜ばせよう」に集中する。

 

「自分のしたいこと、やりたいことだけやる」に集中して、満たされ、飽きたら、

次は、「相手が喜ぶこと、相手が求めてること」に集中する。

 

「エビばかり釣ってる」のに、飽きたら、

「釣ったエビで鯛を釣る」に集中する。

 

自分がどの段階にいるか?

自分をどう喜ばせるか?がままならない人は、とりあえず自分を喜ばせることだけに集中してればいい。

僕の場合、自分を喜ばせることに飽きたから、相手を喜ばせることに集中している。

 

「相手を喜ばせること=自分が喜ぶ」段階に来てるから。

「心地いいことだけする」も、それに集中し、飽きたから、

「大きな心地よさを得るために、小さな心地よさを捨てる」の段階に来てる。

この段階だと、単に、自分のやりたいこと、したいこと、心地いいことを100%やれない。

なんなら、自制することも、我慢することも必要になる。

 

オナ禁もそうだし、今までブログは書きたいときにだけ書いていたけど、大きな心地よさ(目標)を得るために、書きたくなくても、毎日書いている。

だって、相手を喜ばせること、ブログを読んでくれること=自分の喜びになってるから。

 

「自分のしたいこと、やりたいことだけやる」だと、大きな心地よさも得られないだろうし、その段階だと、オナニーもするしブログも書きたいときにしか書かないと思う。

 

「相手が喜ぶこと、相手が求めてること」に集中できて始めて、大きな心地よさって得られると思ってる。

 

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[オナ禁 66日目]大きな心地よさを得るために、小さな心地よさ、オナニーを自制する

心の世界では、

「心地いいことだけ選択すれば、人生うまくいく」

なんてことが言われてる。

 

これを見たオナ猿は、ますますオナニーをしようとするだろうし、

我慢して一週間オナ禁してる人は、「やっぱり我慢はいけない」と思い、オナ禁を解禁するだろう。

 

実際、心地いいことだけ選択すれば、人生うまくいく。

心地いいことだけ選択して、心地よくないものは切っていくという毎日を送っていけば、必然、毎日楽しくなる。

 

心地いいことだけ選択するわけだから、オナニー好きな人はオナニーするだろう。

「心地いいことだけ選択すれば、人生うまくいく」を聞き始めて、やり始めた頃は、それを忠実にやろうと思い、オナニーに精を出すのは仕方ない。

 

ただ、ある程度毎日楽しくなった後、考えなければいけないことがある。

 

もし、仕事での評価、モテたいなどの他者評価が欲しいという思いが強くなったら、オナニーはやめたほうがいい。

 

なぜなら、一日使えるエネルギー、時間って各々決まっていて、そのエネルギーをオナニー、暴飲暴食などの短期的快楽に使うと、モテたいなどの長期的快楽に使うエネルギー・時間が少なくなる。

 

逆に、短期的快楽にエネルギーを使わなければ、長期的快楽にエネルギーを存分に使える。(性エネルギーの転換)

 

だから、ある程度毎日楽しくなったら、大きな心地よさを得るために、小さな心地よさを自制しなければならない。

 

「心地いいことだけ選択すれば、毎日楽しめる」の進化形は、

「大きな心地よさを得るために、小さな心地よさを捨てる、自制する」

 

「釣ったエビで鯛を釣る」段階が、進化形。

「いつまでもエビを釣ってる」段階が、最初。

 

鯛を釣りたいなら、エビを釣るのを自制する。我慢する。そのエビで鯛を釣る。

エネルギーを転換するとはこういうこと。

 

オナ禁して、多くのメリットをもたらすのは、エビで鯛を釣ってるから。

 

僕がオナ禁する上で、影響を受けた本!!

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願望には、「すぐ叶うもの」と「すぐに叶わないもの」の二種類ある

願望には、二種類ある。

「すぐ叶うもの」と「すぐに叶わないもの」

 

すぐ叶うものは、牛丼食べたい的なもの。

今、家にいても、最寄りの牛丼屋にいけば、食えるもの。

 

反対に、すぐ叶わないものは、彼女ほしい、年収あげたい、評価されたいみたいな大きくて、相手ありきの、時間がかかるもの。

 

「すぐ叶うもの」と「すぐに叶わないもの」の願望に共通していえることは、その願望を実現することで、「自分が幸せになれる=自分が楽しめる」と思ってるから、願望を実現するために頑張ってる。

 

自分が楽しめると思ってるから、願望を実現したいと思うし、何かを欲しいと思う。

で、人って、「すぐに叶わないもの」を頑張って叶えようと思うわけ。

 

だって、持ってないから。頑張っても今までその欲しかったものがなかったから。

自分には「ない」から欲しいって思う。シンプルだよね。

 

そして、その「すぐに叶わないもの」「ないもの」に集中することを執着っていう。

逆に、すぐ叶うもの(=楽しめるもの)に集中しててすぐに叶わないものを忘れしまってる状態が執着を手放してる。

 

どっちも人生を楽しめるためにあるんだから、すぐに叶うもので自分のことを楽しませながら、すぐに叶わないものも追っていくスタンスが一番いいと思うよ。

一番ダメなのは、すぐに叶わないものを待つこと。

 

向こうからやってくることはない。すぐに叶うものもやりながら、すぐに叶わないものを叶えるために当たり前のことを当たり前にやる。

 

当たり前のことっていうのは、小学生でも出てくる答えで、解決策で一番初めに思いつくものを機械の如くやるってことね。

 

お金が欲しいなら、「もっと働く」か「もっと貰うか」か「給料がいいところに転職する」か。馬鹿でも考えつくね。これをやる。

ブログのアクセス数増やしたいなら、「毎日ブログ書く」こと。

一記事より10個記事あったほうが読まれる。別に、難しいことはやらなくていい。

 

解決策は、いつだって当たり前をやっていくこと。テクニックとかハウトゥーは当たり前をやったあと。そんなものは枝葉だから。

 

大事なのは、すぐに叶わないものを叶えるために当たり前は何なのかを考え、その当たり前をやっていくってことだね。

 

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「今、生きてる。息してる。」ことの最大のメリット!

自分の仕事の出来なさに直面したら、「私って、仕事できへんのかな」と自己否定。

提出書類を提出し忘れたら、「私って、社会人失格かな」と自己否定。

自分の社会的常識のなさ、大人の礼儀作法たるものを持ってなかったら、「私って、常識ないのかな」と自己否定。

 

失敗したら、自己否定。怒られたら、自己否定。自分の段取りの悪さ、頭の悪さに直面したら、自己否定。はたまた、周りの人と比べて、自己否定。

自分は失敗して、周りの人は失敗しないと知ったとき(勘違いの可能性大)に自己否定。

 

自分だけ怒られてると知ったとき、自己否定。

自分だけ特別要領が悪いと知ったとき、自己否定。

 

まさに、自己否定のオンパレード。自己否定しようと思えば、いくらでも自己否定できてしまえる世界。

 

そんないくらでも自己否定ができてしまえる世界で、自己否定せずに自己肯定できる人種というのがいる。

 

僕もその1人である。

 

まず、なぜ、自己否定しないのかというと、自己否定して思い悩んでる時間は無駄だし、ストレスになるからで、自己否定するぐらいなら、人生を楽しむことに時間を費やしたいから全力で、漫画を読みたいし、アメトーーク見て爆笑したいと思ってる。

 

ただ単に、人生を楽しみたいから、自己否定しないことを選んでるだけ。

 

じゃあ、どうやったら、「自己否定しない」を選べるのか?

 

まず、僕も自己否定してる人たちと同じように、失敗したら、普通に落ち込むし、

自分の段取りの悪さ、社会的常識がないことが露呈したり、頭の悪さに直面したら、普通に落ち込むよ。

 

人間だもん。失敗したら、最初は、落ち込む。ただ、落ち込み(自己否定)が引きずることがない。すぐ、立ち直れる。

 

自己否定しちゃう人は、落ち込んだ後、失敗した後の対応にだけ集中すればいい。

 

2つのことだけに集中してもらえれば、大丈夫。

 

1つは、失敗しても何も起こらないことを実感して、最後には、失敗しても大丈夫を実感するということ。

 

失敗したことある人なら、分かると思うんだけど、失敗しても何も起こらないでしょ。

だって、自分が何かで失敗しても、次の日仕事がなくなるってことはないでしょ。

コンビニで働いてるとして、その人が大きな失敗しても、次の日は普通にオープンしてるでしょ。究極、自分が今、生きてるってことは、失敗しても何も起こらないこと、失敗しても大丈夫だということの何よりの証拠だよね。

 

「今、生きてる。息してる=失敗しても何も起こってない、失敗しても大丈夫」

 

生きてる、息してるってことは、今まで自分が何しても大丈夫だったっていう何よりの証拠。

 

生きてるだけで丸儲け(=imaru)、生きてるだけで素晴らしい。➡これはすごく大切!

 

あと、もう一つは、失敗しても結局「今」に戻ってくるだけ。

 

フリーターが正社員になるための就職面接に失敗しても、フリーターに戻ってくるだけ。

浪人生が受験失敗しても、二浪、三浪と増えていくだけ。

学生が就活失敗しても、元々、正社員じゃなかったんだから、正社員じゃない自分に戻るだけ。

要は、戻ってくる「今」が好きかどうか。

 

フリーターでも楽しく暮らせるなら、失敗しても、楽しく暮らせててたフリーターに戻るだけだから、失敗しても大丈夫なわけ。

 

だって、失敗しても、「今」に戻って楽しいし、就活成功すればそれはそれで楽しいし。

 

失敗しても楽しめる状況を今の内から作っておく。どの場所でも楽しめるようにしておく。心の拠り所を作っておけば、自己否定せずに済む。

 

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環境というのは、自分の当たり前を作り、違う環境は、違う当たり前を作ってくれる

僕は、今、スーパーのレジ打ちのバイトをしている。

 

バイトが始まる前に、「前のシフトの日は、レジ打ちのスピードが自分の中で速すぎたから、今日は、ゆっくりレジを打とう」と意識して、バイトに向かうときがある。

 

ゆっくりレジを打とうと思うから、当然、ゆっくりレジが打てる。

 

どんなにお客さんが並んでも、「ゆっくりレジを打つ」モードに入ってるから、レジ打ちのスピードが変わらない。

 

テトリスで、イージーモードを選ぶと、自分で変えないかぎり、ずっとイージーモードでテトリスができる。

ゆくゆく、イージーモードがデフォルトになり、「ゆっくりレジを打つ」がデフォルトになる。

 

デフォルト化したものは、本人が変えない限り、ずっと持続する。

逆に、違うモードを選択すれば、違うモードがデフォルトしてずっと持続する。

 

だから、何を選択するかが大切で、

もし、自分が変わらない理由が「環境のせい!」だと思ってるなら、環境が変われば、自分も変わる。

変わらない理由が「環境」なのは正解だと思う。

 

自分がいる「環境」は、自分のデフォルトを形成する大きな要因だ。

 

実家から一人暮らしを始めれば、自炊も掃除も洗濯も自分でやらないといけないし、

そういったことを覚える。

 

コミュ力が高い人、リア充が多いところでバイトを始めれば、自分もその環境に引っ張られて、人見知りの人もコミュ力が身につく。

 

サッカー選手が海外のクラブチームに移籍になって、たまに代表戦とかで、おしゃれになって帰ってくるのは、「周りに圧倒的におしゃれな人が多い」環境で、「オシャレをする」のが当たり前だからである。

 

環境というのは、自分の当たり前を作り、

違う環境は、違う当たり前を作ってくれる。

 

コミュ力を鍛えたいなら、コミュ力高めのコミュニティーにいき、

モテたいなら、モテてる人の近くにいけば、そういう人に近づく。

 

自分がああいう風な人になりたいって思ってるなら、そういう人の近くで行動を共にする。

 

たぶん、自分が変わらない理由が「環境のせい!」っていう答えは大正解。

だけど、それで環境を変えないのは、0点の答えだと思う。

 

「自分が変わらない理由は環境のせいだから、環境を変える」

それが出来れば、理想のデフォルト、理想の自分に近づける。

 

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