常識より非常識のほうが大切

自分の身に何か問題が起こったとき、人は答えを選択する。

僕の感覚では、二つです。AかBか。

Aは、自分の中で常識的な答え。

Bは、自分の中で非常識的な答え。

 

そして、人は、ほとんどの場合、常識的な答えを選択します。

それで、うまくいってる人は、構いません。ぼくは、そういう人を問題にしてません。

自分の中で常識的な答えを選んで、苦労してる人に伝えたいんです。

苦労したくない。幸せに人生を過ごしたいと考えているなら、B=自分の中で非常識な答えを選んでほしい。

自分にとっての非常識な答えとは

これは、今、気持ちよく生きれていない人に捧げます。

気持ちよく生きられなかった原因、それは、自分の中で常識的な答えしか選ばなかったからだ。

なぜ、非常識な答えを選ばなかったのか、それは、自分にとって、ありえへんからや。

お金を稼ぐために、やりたくないバイトを続けるかやめるか。

自分にとっては、バイトを続けることが常識だと考えてるとしよう。

この人は、やめることは、非常識で、ありえへんと考える。どうして、そう考える。

それは、その決断をすることによってのリスクがあるから。

①生活費がなくなる

②人に迷惑をかける

③人に嫌われる

④断られる

などなどもっとあるのだが、なぜか、多くの人が常識的な答えしか選択しない。

それは、非常識を選んでも、えらい目に遭うと思い込んでいるから。でも、そういう風に思い込んでる人に限って、非常識を選択したことがない。

だから、僕の例を用いて、非常識を選ぶ良さを説明します。

非常識な答え「誘う、辞める」を選択し、恩恵として....

この二日間、今までの自分だったら、ありえない行動をしています。

まず、気になってる子をデートに誘いました。ラインで。

次の日、うどん屋を二日間だけ働いたのち、「辞めます」と言って、辞めました。

自分の中では、ありえへん行動をしました。どうなったか、意外な人から誘いのラインを来ました。

それだけの恩恵ですが、非常識な答えを選んでよかったと思います。

目に見える形の恩恵はそれだけですが、メンタル面で、非常識を選択する前と

した後は全然違います。肩の荷が下りている状態です。

だって、今まで、誘いたかったけど、誘えなかった。やめようと思って、すぐやめました。もやもやした鬱憤がすべて飛びました。

おそらくですが、目に見える恩恵ももうすぐ来ます。

振り子のように、誘った分だけ誘われるし、嫌なことから手を引いた分、好きなことがやれると思う。

また、振り子の理論