不便は愛着を生む?

大学4年にもなると、卒論という大きな壁がある。

卒論を終わらせないと、卒業できないから、しょうがないから、やるわけなのだが、どうせやるなら、自分の興味があるテーマがいい。

しばらく考えた結果、「不便は愛着を生む」をテーマで、卒論を書くことにした。

たぶんだが、「不便は愛着を生む」を証明できれば、卒論は完成するはずなのだが、いかんせん、とっかかりがなく、困ってる。

というより、今まで、このテーマについて、考えていなかった。なので、今日、このテーマについて、考えた。

結果、少しだけ、とっかかりが見つかったので、ここまでの経過をアウトプット。

愛着についての考察

「不便は愛着を生む」を証明するために、まずは、「愛着」について、考えてみた。

本を読んで、正しいかどうかは確認したわけではないので、そこは、ご容赦を。

まず、愛着には、レベルがある。モノよりヒトのほうが、愛着の度合いが高くなる。

そして、ヒトの中でも、自分→家族→恋人→友達の順に、愛着が区分される。

大きく分けて、自己>他者ということになる。

で、ここで重要になってくるのだが、たぶん、「ヒト」という概念では、「不便は愛着を生む」を証明できない。

「モノ」という概念を、うまく使いこなさないといけない。ただ、ヒトと愛着との考察の結果は、モノと愛着を紐解くカギになるはず。

「モノ」への愛着の考察

愛着が湧く「モノ」とはどういったものだろうか。

考えた結果、4種類ある。

一つ目は、自分を表現するものには、愛着が湧く。

例えば、携帯電話、化粧道具、洋服、時計だろうか。

二つ目は、モノをヒトに置き換えられるものには、愛着が湧く

例えば、ぬいぐるみだろうか。

三つ目は、高価なもの。

四つ目は、長い期間、使えば使うほど、愛着が湧く

例えば、グローブ、バット、ボールペン、家具、家電。

五つ目は、モノにヒトが作っているという「手間」「手順」が見えたとき。

つまり、モノの背後に、ヒトが見えれば、愛着が湧く(知ってる人>知らない人)。

例えば、病院の折り鶴、ロクロで回して作った湯呑。

そして、タイプ分けを一通り終わったのだが、気づいたことがいくつかある。

一つ目は、愛着心が一番強いのは、一つ目だ。

モノをヒトに置き換えて考えたら、一つ目は、自己で、それ以外他者だから、そうすると、一つ目が、愛着心が一番強くなる。

二つ目は、二つ目と四つ目は似ている。

どちらも、他者であり、グローブを使い続ければ、他者的存在つまり、ぬいぐるみになりえる。

そして、最後は、「不便は愛着を生む」を証明するのなら、五つ目を、使わないと厳しいと感じる。なんとなく。