欲しいものを手に入れるには心の拠り所

先日、友達と話していて、こんなことを言われた。

「最初、会ったとき、すごく暗かったけど、今は、明るくてなって。

ついでに着る服まで変わっていって。」

みたいな感じだった。たぶん、褒め言葉だと思う。

ありがたく、頂戴する。

で、大学在学中で、自分が変われた理由というのを、改めて、考えてみたいと思う。

大学1年=友達いない期

大学一年の大半、友達がいなかった。

傍から見ると、とんでもなく暗くみえたと思う。

現に、僕の友達は、僕に会う前の印象は相当に暗そうである。

僕も、今、振り返ると、生きてきた中で、一番暗かった時期だという自負もある。

まさに、自他ともに認める暗さである。

そんな状況でも、僕は、学校に来れた。

親が、授業料払ってるから、通わないといけないという責任ももちろんあったが、一番は、ラジオという心の拠り所があったから。

授業中は、確かに、苦痛だったけど、それ以外の時間は、イヤホンでラジオを聴いてれば、一人でいて、悲しいとか怖いという感情もシャットアウトできたから、苦痛でいる時間が少なかった。だから、学校にも、通えたんだと思う。

で、一人でいる状況が、半年過ぎ、年明けて、一年終わるぎりのところで、友達が出来た。

友達が出来たとき、もちろん、うれしかった。

でも、今思うと、友達が出来なくても、ある程度、幸せだったかもしれない。

だって、友達ができる前から、幸福だったから。

単に、友達が出来たことで、1の幸福が2の幸福になっただけであって、あのままでも、幸せだったはずだ。

友達ができるぎりぎり前の期間、友達が欲しいという思いが薄くなったことを覚えてる。

それは、ラジオや小説で、心の空白を満たしている状態だったからだと思う。

だから、こうも言えないだろうか?

「心が満たされた状態じゃないと、欲しいもの(友達、お金、恋人)は手に入らない。」

「心の拠り所(ラジオ、小説、今いる友達)があるから、欲しいもの(新しい友達、お金、)は手に入っても、手に入らなくてもいい」

だから、欲しいという思いが、強すぎるのは良くない。

先に、自分の内面を満たさないと、欲しいものは、手に入らない。

友達がいないという思いは、現実に「ない」を引き寄せる。

逆に、友達がいない分、何かで、満たせば、現実に「ある」を引き寄せる。

まとめ

大学の4年間で変われた理由。

それは、変わろうと思ったタイミングで、心の拠り所があったからだと思う。

あんまり知らない人に、話しかけれるようになったのも、知らない人だらけでも、ボケれるようになったのも、心の拠り所があったから。

この人に嫌われても、ボケて、ウケなくても、ラジオに逃げれるし、小説に逃げれるし、大学には、もともとの友達がいるから、ボケると、ウケちゃうし。

いろんな、心の拠り所があったから、変われたんだと思う。