嘘をつく人生か本当のことを言う人生か
前の記事で、「卒業式に行きたくない」と書いた。
ことの詳細は、前の記事で書いてあるが、かいつまんで、書くと、「なんとなく」卒業式に行きたくないといった内容だ。
それで、改めて、行きたくない理由を考えてみた。
1つは、卒業式に行く意味がないと感じたからだ。2つ目は、前の記事を書いて、今日「これが原因で卒業式に行きたくなかったのでは」と思った理由だ。
要は、一つ目の理由は、ダミーで、二つ目の理由が、本当のところだ。
その理由は、嘘を貫くことがめんどくさいから。これだけじゃ、わからないよね。
また、前の記事、貼り付けますね。
ことの詳細は、この記事を読んでくれれば、分かる。
要は、嘘をついている。この記事を読んだ、大学の三人の友達以外には。
おそらく、卒業式だと、各々の進路の話を雑談がてらすると思われる。
三人の友達は別に構わない。なぜなら、その三人には、本当のことを言っているから。
問題は、ゼミの先生とゼミ生である。卒業式の授与式は、ゼミごとに行われるし、その後、ゼミの飲み会が行われる。
そこで、必ず、進路の話になるのだ。それが、潜在的に嫌だと感じて卒業式に行きたくないという結論に至ったかもしれない。
要は、卒業式に行きたくなかったのは、友達以外の連中に、嘘をつくのは嫌だし、疲れたからということになる。
じゃあ、簡単な話である。本当のことを言えば、いいだけである。
言葉では、そう書けるだけどね。嘘をつき続けた習慣っていうのは、怖いものがあって、その習慣が染みついているが、本当のことを言おうとすると、障害が出てくるだよ。
それは、自意識。嫌われるのではないかとか愛想つかされるのではないかとかっていう自意識ね。
嘘つき続けた人の宿命なんだと思う。
本当のことを、言ったとしても、何かが変わるとは思えない。
でも、言えた自分は、その瞬間、気持ちいいはずだ。現に、あの記事書いたときに、すっきりしたし、読んでもらったときも、すっきりしたのだ。
言えた瞬間、相手がどう反応しようが、気持ちいいのだ。
単なる、自己満足にすぎないかもしれない。でも、連中に対して、嘘をついたという感覚で、卒業するのと、本当のことをいって卒業するのとでは、心が違う。
本当のことを言えたら、心が軽いと思う。言わず仕舞いだと、心が少し重くなる。
今後、連中に会わないにしても、言わないと、若干の重みを心に蓄えたままになる。
事実を隠すことは、それだけ、持つことになる。今後の人生で、それで、枷になることは避けたい。
だから、僕は、卒業式に行こうと思う。行く理由も、しっかり、見つけた。
必ず、本当のことをいって、次のステップに進みたい。