好かれたいなら、嫌われる覚悟を持ち、思ったことを口に出す
近々、来る損が二つある。
1つは、三月いっぱいで、コンビニのバイトを辞めるに伴い、今までの、固定給は、減り、月々の収入の半分が減る。
2つ目は、今までの嘘を告白し、本当のことを話すこと(詳細は、ひとつ前のブログに書いてるよ)
損にもいろいろある。
- 嫌われること
- 怒られること
- お金を失うこと
- 愛想つかされること
実際に、これらの損が起こるかもしれない。その損が起こるリスクを背負って、損をする意味は、結局のところ、ひとつだけだ。
「(損をしにいくのは)そうしたいから、そうしてるだけ」だ。
バイトを辞めるのも、なんとなく、辞めたいからだ。
そのせいで、生活が苦しくなろうが、関係ない。辞めたいと思った。だから、やめた。
すべての欲求に、意味なんてない。「そうしたいから、そうする」それだけでいいし、実質、それしかない。
本当のことを言うのも、なんとなく、本当のことを言いたいと思ったから。
今まで、嘘をついた分、信用されなくなったり、嫌われるのも、承知で、本当のことを言う。
「そうしたほうが、いいと思った」それが、客観的に判断し、正しいのか、正しくないのか知らないけど、完全主観で、正しいとおもったから、そうする。
もっと言えば、正しいか、正しくないかも関係ない。
嘘を隠すか、本当のことを言うかを比較したとき、どちらを選択したほうが、気持ちがいいか、心が軽いかだけだ。
ただ、人間だから、さっきも書いたみたいに、嫌われかも、怒られるかも、愛想つかされるかもといった自意識が出てくる。
往々にして、自意識を優先し、自分の心を重くする選択をする。「空気を読む」もこれに、付随する。自分を殺して、他人に迷惑をかけない。実に愚かである。
そして、その選択肢を選ぶのは、紛れもなく、それで、得ができると考えているからだ。
例えば、「空気を読む」。場にあった行動、発言をすれば、「空気を読む」が達成される。
達成されてどうだろうか。好かれるのか?
おそらく、嫌われないだけである。好かれも、嫌われもしない。
そして、告白するが、僕は、今まで、誰かから、好かれた実感もないし、嫌われた実感もない。
要は、僕も、自分を消し、殺しながら、他人に迷惑をかけないように生きてきたことになる。
もし、好かれること、愛されることを望むなら、嫌われることを厭わない覚悟で、思ったことを口に出し、思った通りに行動することが一番大切だ。
人は、コミュニケーションを通じて、「あなたは誰ですか」を聞きたいわけだ。
そこで、その相手が気分を害さないような、答えを持ってきても、しょうがないのだ。
正直に、あなたのことを聞かれたら、あなたの意見、考え、思ったことをいってください。
バカだと思われる覚悟、無知だと思われる覚悟、嫌われる覚悟を持って、相手にぶつけて下さい。
それでも、嫌われる人には、嫌われます。好き嫌いというのは、誰にでもある。
背が高い人が好きな人は、背が低い人を好きにはならないように、他人はコントロールできません。
ただ、あなたは、思ったことを言ったことで、「あなたは誰ですか」という問に対する答えを出したことになる。
先も書いたように、人には、好き嫌いがある。思ったことに、対して、首を横に振る人間もいるし、縦に振る人間もいるのだ。
だから、聞かれたことには、思ったことを言うこと。空気は読まないぐらいがちょうどいい。
他人を納得させる人生より、自分を納得させる人生
心を重くする選択より、心を軽くする選択
理性より本能
振り子みたいに、10の損をすれば、10の得になって返ってくるかもよ。
とにかく、振り子をどっちかに振る。
その振り子がとまってるのか、偏ってるのか知らないけど、とまってるなら、動かして、偏ってるなら、逆に振り子を動かす。