人生に意味なんてないんだから、どうせなら、楽しんだほうがよくない?
人生に意味なんてない。誰か大人がそんなことを言ってたけど、本当にそうだと思う。
「人生に意味なんてない」という言葉を知った当初、何故かネガティブな感情に襲われた。
今は、どうかと言うと、人生に意味がないなら、楽しまないと損だなと思っている。
この感情の変化!随分、成長したなと我ながら思う。
だから、僕は、これから先、楽しみたいと思っている。でも、よく考えたら、変な抱負である。本来、「楽しむ」という感覚は、内面から発せられるものであって、「楽しもう」と力めば、力むほど、楽しめない。それは、「楽しむ」という感覚、感情に限った話ではなく、すべての感覚、感情に言えることであって、その「感覚、感情」になろうとすればするほどなれない。なぜなら、「その感覚、感情」になっているからであって、「その感覚、感情」になろうとする働きは、逆に、「その感覚、感情」になることへの抑止力になってしまうのだ。だから、「楽しみたい」と思うことは、おかしいのだけど、一応、「これから先、たのしみたいと思っている」で通そう。
長い前置きをしておきながら、結局、これで通す野蛮さ、自由さ。たぶん、読者からしたら、こんな読みにくい文章ないよっていう話だけど、僕は、そんなこと、知ったこっちゃないから。
他人のために、ブログは書いてないし、自分が気持ちよくなることを一番に考えて、ブログを書いてるから、他人のことは考えない。
そうしないと、自分の思ってることが、全部かけないしね。そして、ブログを書いてる今、確実に「楽しんでる」。「これから先、楽しみたいと思ってる」という目標をさっそく、実現しました。
それで、「これから先、楽しみたいと思ってる」を実現していくのに、僕の中で有効だと思うのが、今までの人生で「楽しかった」出来事を書き出す作業ね。「気持ちよかった」瞬間でもいいね。
「楽しかった」「気持ちよかった」瞬間書き出してみるね。
- サッカーの試合の、一対一の局面で、意図した通りに、相手ディフェンスを出し抜き、抜けたとき
- 好きな女の子と二人で帰るとき、会話が続いたとき(15分ぐらい)
- 意図したワードで、意図したタイミングで、友達を笑かしたとき
- フリースタイルで新しい技を覚え、体得したとき
- ただただ、雑談してるとき
- お笑いのDVDで爆笑してるとき
- ラジオで自分のネタメールが読まれたとき
こうやって、書き出すと、僕は、自分の中でも、対人関係の中でも、「楽しみ」と見出せることが分かる。
人生に意味なんてないんだから、どうせなら、楽しそうなところに飛び込みたい。
自分の中でも、対人関係の中でも、楽しそうなところがあったら、楽しむこと!