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精神的エクスタシーに達する為の2つの条件

「喜びを見いだせない」

唐突に、申し訳ない。でも、ほんとに、そうなんだから、仕方ない。

映画を見てても、読書をしてても、球蹴りしてても、料理をしてても、「喜びを見いだせない」

もちろん、心地いいには心地いい。やりたくて、やっているもんだから。しんどいとか苦しいという感覚はない。

しかし、そこに、「喜び」はない。もっと、砕けた言い方すれば、それは、ぞくぞくするような達成感だ。

それは、主に、対人関係の中で起きる。仕事か恋愛かスポーツか。とりあえず、自分以外の他人が存在している世界でしか、「ぞくぞくするような達成感」はない。

「ぞくぞくするような達成感」を味わえたとき、自分は生きていると実感できる。その上、内面の満たされ具合も、最高潮に達する。

その経験は、少なからず、僕だけでなく皆さんもしているだろう。ただ、経験というものは時がたてば、忘れる。

何をしてて、何で褒められて、何でへたこいてとかそんなものは忘れる。だから、その「ぞくぞくするような達成感」を味わった経験を、自分も忘れないために書く。

・サッカーの試合で、点を決めたとき、ディフェンスを抜いたとき、その上、他人から褒められたとき

・初対面の人と、長い間、雑談できたとき

・雑談で、うまく人の笑いを誘えた時

上記三つに共通することは二つある。

1つは、他人が存在している。2つ目は、自分が好きなことをしている。雑談もサッカーも人を笑かすことも好きだ。

この2つの条件が満たされたとき、精神的エクスタシーに達する。

僕は、2つの条件の内、1つは満たしている。それは、好きなことをしていること。

だから、今、精神的エクスタシーへの階段を上っている途中なのだ。あとは、どうやって、一つ目の条件である「他人」をつなぎ合わせるかが重要なのだ。

とりあえず、他人が存在している世界に飛び込まないといけない。

それも、自分のすきなこと、得意なこと、やってて苦ではないことという武器をもってその世界に挑まないといけない。

もし、その好きなことを生かせるような世界が、パッと見た感じないのであれば、とりあえず、社会に飛び込まなければならない。

その社会で、何に喜びを感じ、逆に、何に苦しみを感じるかをしっかり見つけること。

精神的エクスタシーに達するには、他人がすごく重要なのだ。

自分だけでは、エクスタシーには、達しにくい。最初は、今持っている趣味も、暇つぶしにはなるかもしれないが、所詮、暇つぶしにしかならない。喜びはそこには、存在せず、その暇つぶしを、社会という巨大な他人に見せつけ、承認されたり、金をもらえたりして、恩恵を受けることによって精神的エクスタシーに達するのだ。

だから、僕は、今、とりあえず仕事がしたい。喜びを渇望している。