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他人が存在する世界で、自分の意識で生きること

「悩みの大半は対人関係である」

心理学者アドラーはそういった。

確かに、そのとおりだ。自分以外の「他」という概念がなければ、悩みなんて生まれない。

他人が存在するから、悩みが存在する。他人を意識すればするほど、悩みも増幅する。

だから、悩みたくないのなら、他人を意識しなければいい。

完璧に他人への意識をシャットダウンできないにしても、緩くすることはできる。

それは、自分の意識で生きることだ。

現実を自分の意識で生きるには、覚悟がいる。

なぜなら、現実とは、他人の集まりで、出来たものであり、それが言えば、常識とか世間体というものだ。

そこで、自分を貫く。生を受けて、年月が経てば経つほど、他人の物差しが分かる。

例えば、仕事で、極端に覚えが悪ければ、上司に怒られる。それで、メモさえも取っていないもんなら、追い打ちをかけて怒られる。

そういう経験をして、他人の求めるものが分かり、その上で、他人の期待に応えようとしてしまう。

でも、そこに落とし穴がある。

他人の求めるものがわかったとしても、他人の期待に応えようとしなくてもいいのだ。

もっといえば、背伸びして、出来る自分でいる必要はない。

背伸びすればするほど、本来の自分とはかけ離れ、悩みは増幅する。

もし、日ごろから、自分の感覚を重視して、生きていればどうだろうか。

おそらく、他人が欲しいものを提供しようという人間より極端に悩まないと思う。

だから、無理して、出来るふりするのは、辞めよう。

「出来ること」だけ自分はやって、「出来ないこと」は他人に任せる。

また、「出来ること」でも気乗りしないことも自分はやらずに、他人に任せる。

時と場合によっては、「出来ないこと」を他人言う。それで、やり方を教えてもらう。

覚えられなかったら、同じことを聞く。やり方を教えてもらう。

頑張って、覚えようとしなくていいし、メモも取りたくないなら、とらなくていい。

記憶というのは、忘れるようにできているし、忘れるのは、本能として正しい。

抗わず、流される。淘汰されたものだけが、記憶として定着する。

反対に、覚えようという行為は、理には適っておらず、ストレスを感じるのが普通である。

だから、覚えるな。忘れたら、また聞け。物覚えの悪さや出来ないことを恥じるな。

人として普通であり、それに関して、怒られるなら、その環境から抜けなさい。

出来るふりするぐらいなら、「出来ない」と表明したほうが楽であり、60%ぐらいの確率でできるなというものだって、出来ないと言ったって構わない。

出来ないことはいいこと。