趣味があるって自分の居場所があるってことだからね

基本的に、「趣味は一銭の得にもならない」と一個前の記事でも書いた。

ただ、「趣味は自分を幸せにするもの」とも書いた。ここを、もっと掘り下げてみたい。

 

 

ずっとある程度の心の豊かさを確保できる

人間というのは、多かれ少なかれ幸せを求める。

その幸せを求める先は、大きく分けて、外側と内側の二つである。

外側の幸せとは、今現時点で自分が持ってない幸せです。要は、相対的な幸せです。

お金がいっぱいあるとか友人が多いとか彼女・彼氏がいるとかである。

そういう幸せを持ってない人は、「欲しい!欲しい!」と渇望します。

そして、その「ほしい!ほしい!」渇望にも個人差があります。

それは、幸せには自分の外側にしかないと思い込んでる人は、渇望がヒドイです。

彼女が欲しくて女の子の前でその思いが全面に出ちゃう人。俗にいうガツガツしてるという奴だが、それは、この渇望がヒドイ状態を表してます。

一方、内側の幸せを持ってる人は、そこまで渇望がひどくなりませんし、相対的な幸せをそこまで追い求めません。

なぜなら、自分の中に、絶対的な幸せを確保できているからです。

その絶対的な幸せっていうのが、自分の趣味とか好きなことです。

自分の趣味や好きなことがあれば、相対的な幸せが手に入らなくても、そこまで落ち込まないし、執着しないし、卑屈にならない。

なぜなら、自分の趣味の世界に戻れば、ある程度の心の豊かさを補てんできるから。

というより、自分の感覚では、60%ぐらいの心の豊かさは常にある状態だから、相対的な幸せが入った入らないで一喜一憂しません。

自分の内側に幸せがあるかないかは、心の中に家があるかないかの差です。

自分の家はあるに越したことはありません。

内側の幸せがあることへの最大のメリット

誤解ないように書いておくと、外側の幸せは求めるな!内側の幸せを重視しろ!って話じゃないからね。

人間の欲求とかって、無くせないから。ただ、内側の幸せを確保できれば、外側への幸せへの欲求は弱まるのよ。要は、そこまで執着しなくなる。諦め上手になれるってこと。

そして、その状態になれば、外側の幸せ、相対的な幸せに対して、気負いも、緊張もしなくなっちゃう。

僕の例でいうと、女の人と不自由なくしゃべれるようになった。

これなんかも、話してて、嫌われて関係性がオジャンになっても、自分で幸せが確保できる自信があるから、リスクを払えるようになったんだと思う。

あと、嫌われるとか負けるとかという価値観もあまり意識しなくなった。

だって、自分の中に幸せの物差しがあるから、客観的に嫌われたとか負けたって提示されても、敗北感があまり湧いてこない。

たぶん、負けてたり、嫌われてたりしてるんだろうけど、外側の幸せに対して、鈍感になってるのだろう。

趣味にハマればハマるほど、鈍感に拍車が掛かっちゃう。

ということは、相対的な幸せに対して、リスクを冒し続けれる。

現に、今、その状態。それが趣味があることの最大のメリット。