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不満や愚痴を少なくする方法

タイトルから分かる通り、不満や愚痴が多い人は、どこの職場、バイト先にも一人や二人いると思う。

僕自身は今、不満や愚痴はほとんどない。おそらく、中学生の頃がピークで、そこから下降線をたどる。

それで、最近、ふと思う。不満や愚痴がない僕から見て、不満や愚痴が多い人は、不思議に見える。だって、僕にはなくて、その人たちにはあるから。

不満や愚痴が多い人になりたいわけではないんだけど、よくその道に進んだなと。

そんな生きにくい生き方してんなと、しんどい生き方してんなとバカだなと思いながらその人たちを見ている。

でも、不満や愚痴が発生する理由も分かる。以前は、僕にも、あったから。でも今ない。

なぜなら、不満や愚痴の多さは、性格や環境から生まれるのではなく、不満や愚痴を言うをただ単に選択しているだけだからだ。

マイルールが多い人ほど不満や愚痴が多い

遊びの待ち合わせに、友達が遅刻してきたら、あなたは許せますか?

僕は、100%許せる自信がある。どんな理由で、何分遅刻しようが許せる。

なぜか。すごく寛容な心を持っているからか?いや違う。

その反対だ。人間的に屑で、自制心がないからこそ許せるのだ。

どういうことかというと、友達が遅刻した例が出てるから、友達が遅刻してきた状況があったとしよう。

その状況に直面したら、「次、僕が遅刻しよう」と思う。

おそらく、そこで、怒ってしまう人の思考は、「遅刻はしてはいけない」という確固たるマイルールがある。それを犯されて、「怒り」や「愚痴」が発生するのだ。

でも、よくよく考えてみたら、世の中に「してはいけない」なんてあまり存在しないのだ。

遅刻はダメだという社会のオフィシャルルールは別に、各々のマイルールに適用するかしないかは自由である。

現に、遅刻は存在する。テレビで見たけど、沖縄の人って、待ち合わせの時間から大幅に遅れてくるって言うでしょ。

だから、自分のマイルールを破ってきた人がいたら、次は俺が破る番だという心意気でいれば、不満が愚痴はなくなることはないにしろ、減るのではないか。

まぁ、遅刻を例に書いたけど、例なんてどうでもよくて。

要は、自分で課してる禁止事項が多ければ多いほど、それを犯してる人を見ると、愚痴や不満を言いたくなるってことだから。

「してはいけない」を裏返せば、「したい」

これから一週間、職場やバイト先が繁忙期で、人も足りてない状況で、有給休暇を消化し、会社を休もうとしている後輩をみたら、どう思うか。

「ズルい」「腹が立つ」「私も休みたいけど迷惑がかかるから、休めないのに、なんで」などなど一般的な意見はこんなものだろう。

まぁ、でも「休んではいけない」と思ってるってことは、裏返せば、「休みたい」と思ってることだよね。ここは、譲れない。

休んじゃいけない。休んじゃいけない。と自分を律してる人ほど「休みたい」という思いに拍車がかかるのだ。

「しんどいけど」休んじゃいけない。休んじゃいけない。「チョーしんどいけど」休んじゃいけない。休んじゃいけない。休んじゃいけない。と我慢すればするほど、「休んじゃいけない」という禁止と「休みたい」という願望は膨張していく。

そんな中で、平然と休んでるやつみたら、そらね。「腹が立つ」と口ではいっても、心の奥底では、羨ましいと思ってるのではないか。もちろん、口には出さない。

なぜなら、信じている禁止事項を裏切ることになるから。そして、また、禁止して、我慢して、首絞めて。また、禁止して、我慢して、首絞めて。それでゆくゆくは、禁止事項を信じすぎて、自分の中で、禁止事項が宗教化してくる。

果たして、この僕の意見は間違ってるだろうか。誇張がすぎるかもしれないが、不満や愚痴が多い人には、これぐらいのインパクトじゃないと響かないはずだ。

それで、最後に言いたいのは、不満や愚痴を聞くのは、個人的な話で悪いのだが、すごく嫌いで、もしこれをみて、不満や愚痴を少なくしたいと思ってる人に最後に言いたい。

あなたの目の前で、あなたのマイルールを破った人を見たら、そもそもそのルールは不要だったと気づけ。そして、自分もそのルールを犯せ。禁止は願望の裏返しだから、それは素直で、人間としてまっとうな行為である。そうすれば、自分の中で「我慢する」という感覚がなくなっていく。もし、あなたが我慢してることをやめて、やりたくないことをやめて、やりたいことだけやって生活できるようになっていたら、不満や愚痴は消滅している。

以上!