「何かを得れば、何かを失う」は「何かを失えば、何かを得れる」

「世界から猫が消えたなら」という映画を、先週、見に行った。

内容は、他のブログなり、映画を見て、各々確認してもらうとして、自分の中で、引っかかった言葉がある。

「何かを得れば、何かを失う」

映画の中では、一日寿命を得る代わり、携帯がなくなり、映画がなくなり、猫が消える。

まぁ、それはいいとして、「何かを得れば、何かを失う」は、道理である。

道理なのに、この数日、このことを、うっすら考え続けている。

「何かを得れば、何かを失う」=「何かを失えば、何かを得る」

「何かを得れば、何かを失う」は「何かを失えば、何かを得る」と言い換えれる。

ぼくにとって、ブログを始めたことや実家から一人暮らしに移行したことは、「何かを失えば、何かを得る」である。

ブログを始めるか始めないか迷っていた当初、こんなことを考えていた。

「自分の書いた文章が友達ならまだしも、バイト先の人や知人クラスの人にばれたらどうしよう」

みたいなことを考え、不安になったが、実際、ブログを始めても、友達以外、ブログをやっていることは知らない。

最近、twitterで呟き始めたが、なにも問題が起きてない。

近々、twitterのプロフの写真には、自分の写真を貼ろうと思う。

それでも、自分が恐れてるような問題は起きない。「顔がキモイ」とか「こんなこと呟いてんのか」ってほかの人に思われるんじゃないかという心配はあるけど、実際に、顔写真載せたところで、そんなことは思われない。

自意識過剰だと思い知らされて終わるだけだ。

「やりたいけど、怖いからできない」と悩んでる人は、心の中で、不安や心配を増幅させた結果、やりたいけど、できないになっている。

もちろん、やりたいことや欲しいものの裏には、「何かを失えば、何かを得る」という道理がこびりついてるんだけど、やりたいけど、怖くてできないという人は、得ることより失うことに焦点を当ててしまっている。

失う可能性というのは、あるにはある。でも、怖いけどやりたいことに挑んで体感して分かったのは、失うことは、ほとんどないということ。

もしくは、失ってるんだけど、やりたいことをやった充実感で、気づかない。

「心配事の9割は起こらない」という本のタイトルは、本当だった。

それと、もう一つ気づいたことは、良いことより悪いことに焦点を当ててしまうのは、人間心理だということ。

99%の幸せより1%の不幸を見て、嘆くし、北川景子とDAIGOの結婚は、ゲスと清原のニュースで、なりをひそめた。

脱線しちゃったけど、楽しみの増幅より不安の増幅のほうが大きいし、メリットよりデメリットに目が生きやすいというのは、人間の習性だと覚えておくといい。

「やりたいけど、怖くてできない」の直し方

「やりたいけど、怖くて、できない」の直し方は二つある。

一つ目は、怖いまま、突っ込んで、心配事は起こらないと知ること。

二つ目は、行動する前に、怖さを軽減して、行動するという直し方。

失敗する、嫌われる、バカにされる、怒られるといった損することが怖いんだよね。

それを逆手にとるわけ。要は、それらを許可する。

「失敗してもいい」「嫌われてもいい」「バカにされてもいい」「怒られてもいい」

と唱える。一番いいのは、自分の中で、これが一番心配だなということを唱える。

暇なときや寝る前に。

僕の場合だと、海の家でバイトしたいし、twitterに顔写真載せたいから、こうかな。

「泳げなくてもいい」「チャラくてもいい」「不細工だと思われてもいい」「損してもいい」かな。

怖さを逆手にとったアファメーション効果的なので、めんどくさいけど、やってみて。

そして、最終的に、怖さはほとんどが幻想だということを体感して、理解すれば、やりたいことに挑む反射神経も早くなるから。