自分の常識を壊すのは、頭の良しあし関係ない
日常に変調をもたらすには非日常だ。
日常に不満がある人は、そんな日常に嫌気がさし、変えるべく非日常を求める。
それは、ある人にとったら環境を変えることかもしれないし、いじめっ子に反旗を翻すことかもしれない。
そうやって、「非日常プレイ」が出来た人から、自分が求めていた非日常にワープでき、「非日常プレイ」が出来なかった人は、既にある自分の日常という枠に収まったままである。
現状変えられないのは、自分を取り巻く環境のせいではないし、もっといえば、頭が悪いからでもありません。
単に、怖いから動けないだけである。
その怖さの元凶は、明確なものもあれば、怖がってる当事者も何に怯えてるかも分からないものもある。
どっちしろ、怖いという感情は、人間心理には一生ついて回ってくる。
ただ1つ言えるのは、怖いという感情を引き起こした事柄から、逃げれば、逃げるほど、怖いは消えないし、増幅する可能性だってある。
だから、抜本的な解決策は1つしかない。それは、今までと違うリアクションを取ること。
もっといえば、真逆のことをすること。
休みなく、働いてるのであれば、休むこと。自分だけ一生懸命働いていて、ほかの人たちがサボってて、不満があるんなら、自分がサボること。(不満がないなら、別に構わない。それは、その仕事好きなんだろね)
「お金に困ったら、自分で稼ぐ」という思考しか持ってない人は、親から金をもらうこと。
要は、日常に不満があるなら、その自分の日常を構築してる自分の常識だったり、思考だったり、行動を裏切らないとだめだからね。
苦しいのが、嫌ならよ。日常が楽しい、あるいは、苦しいことが好きならそれはそれでいいのよ。それは、苦しいのが好きですというドМプレイを楽しんでるところだから。
現にそういう人もいっぱいいるからね。男にいろんな性癖があるように。それは、しょうがないこと。
でも、基本的に、苦しいという感覚は嫌なはずなのよ。
だから、何度も書いてる通り、今までとは真逆の思考、行動をすればいいのよ。
当然、周りからは白い目で見られるよ。まぁ、そんなもん、大半が本人の錯覚だけどね。でも、言われることも、ままあるかもしれないけど、他人からの批判の矢が以前より多くなるってことは、真逆の思考、行動ができてきてる分かりやすいサインってことだからね。
そうやって、快適な非日常に移動していって、ゆくゆくは、快適で、満たされた日常に移行すれば、いいんじゃない。
今の、僕の日常は満たされてます。だから、非日常というカンフル剤は今は必要ありません。僕は今、世間体とか正しいとか正しくないっていう常識的な物差しはありません。自分の感覚で楽しい、楽しくない、楽か、楽じゃないかという物差しでしか行動していません。理由もなく、休みたいときは、ハッタリかけてでも休みます。
先日、「ハッタリ休み」という技を身に付けました。その背景には、同じ仕事を長時間やると自分の中に芽生える「だましだまし」という感覚をはじめて味わいました。
この感覚は、嫌なので、「ハッタリ休み」という技を身に付けました。
真逆をやるってこういうことだよ。