「残高不足!」に対するアンサー

今日、銀行から5000円を引き出そうとしたら、「残高不足!」と赤い文字でATMは表示した。

ATMにも人間の心というものを所有していたら、単に、「残高不足!」と警告しないはずだ。

「お金ないんだ~」という哀愁の意を込めながらの「残高不足」を伝えるのかなとふと思った。

そして、書いてて、気づき、思う。まったく蛇足だし、文章を消そうと思った。

蛇足だし、つまらないし。いや、自分がつまらないと思って、他人がおもしろがってくれる分にはいいんだけど、大抵、自分がつまらないと思ったものは、他人から見ても滑っているのだ。

なんて、講釈を垂らしているわけだが、結局、最初の無駄話も残しておくことにした。

つまらないけど、残そうと思ったのは、消すのもめんどくせぇなとも同時に考えたからだ。

そんな自分のめんどくさがりを呪い、恥ずかしむと同時に、長所として、伸ばしてあげたいとも思う。

こうやって、自分にどんどん甘くなっていく。

高校生の自分のほうが、よっぽど、常識があるし、自制心もあっただろうなと思う。

自我すげぇ抑えてたなって、振り返ると思うよね。

今、自我すげぇ出しちゃってるから、なおさら思うんだよね。

高校のときとフリーターの今、精神的負荷で言うと、今のほうが楽なんだよね。

今、すごく楽だよ。「残高不足!」って、表示されても、しんどくないよ。

だって、「残高不足!」に関して言えば、今回が初めてじゃないしね。

今まで何回もあって慣れちゃってるっていうのもあるし、毎回、同じ方法で解決しちゃうからね。

別に変わった方法じゃないよ。

「親に通帳わたしといて、残高危なくなったら、電話して、「通帳見て。」と言って、翌日、翌々日には金が入ってる」

ね、別に変わってないよね。

今のところは、これで解決してるよ。借りるより、頂戴するほうが頼みにくいんだよね。

何故かって言うと、お金もらうことのほうが罪悪感があるからね。

困ってる(お金がない)本人は、深い意識の中では、「借りるより、貰う」を要求すると思うだよね。

でも、他の人が同じような状況に陥ったら、浅い意識で出た答えを信じちゃうのよ。

この場合で言うと、「借りる」ね。

浅い意識で出た答えは、理性から出た答えなわけ。

迷惑かけちゃいけないとかって類が理性なのよ。でも、深い意識から出た答えって、本能とか欲なわけ。

ここから、出た答えに従えば、平気で、罪悪感という壁を超えちゃうわけ。

まー超えた後、うしろめたさみたいなもんが、これまた、理性が出てきちゃうんだけど、まぁー一言でいえば葛藤だよね。