買いたいものを買うことと食べたいものを食べることで勘違いしてほしくないこと
人には「浅い欲」と「深い欲」がある。
というより「単に欠落感を満たすための欲」と「各々の本質的な欲」といいましょうか。
構造的には、「深い欲」の上に、「浅い欲」が覆っているイメージである。
よりよい方向に導きたいなら、「深い欲」に従ったほうがいい。
なにをより良い方向に導くのかというと、それは「全部」である。
気分が軽いとか心地よさといった心理的効果をもたらし、はたまた心理的な健全は、病気もしにくくなる。(病は気から)
最初は、心理的側面、要は、目に見えないところが良い方向に向かい、後々は、目に見えるものが良くなったり、もたらされたりする。
「収入が増えた」とか「友達が増えた」とか「恋人ができた」とかである。
要は、世間では、「結果」と呼ばれるものがもらえる。
まぁ、これも個人差があって、「結果」がついてくるのが、速い人もいれば、遅い人もいるから、「結果」は気にしなくていいというのが、僕個人としての意見だが...。
まぁ、要は、「深い欲」に従ったほうがいいよってことなんだけど、なんで、「浅い欲」に従ってはいけないのか、はたまた、「浅い欲」「深い欲」について、具体的に書きたい。
「衝動買いする人」=「浅い欲を満たす人」
近所によく見かける親子がいる。
その親子を見るたび、両手にファッションブランドやコスメブランドと思しき紙袋をぶら下げている。
大げさではなく、毎度毎度、両手いっぱいに持っている。
その現象、少し考えてみたい。
「毎度毎度、両手いっぱいに持っている」ということは、結果的には、買い物に満足していないことを意味する。
満足してたら、毎度毎度、紙袋いっぱいにする必要はないから。モデルや女優なら、話は違うかもしれないけど、お世辞にも、そうは見えなかった。
ということは、服やコスメを買うことで、一時的な豊かさを感じている可能性がある。
服を買うことは、豊かさと直結しているのだ。まぁ、それで終わればいいのだが、ずっとぼくが「両手に紙袋ファミリー」をいまだに見るということは、あくまで、買い物による、豊かさは刹那であることがわかる。
「目に見えるもの=充足感」という勘違いから抜け出さない限り、この親子は、一生、「両手に紙袋ファミリー」として、存在する。
「目に見えないもの(感情や心地よさ)=充足感」という思い込みになって始めて、過剰な買い物をしなくなるはずだ。
「両手に紙袋ファミリー」も、服を買って、買ったことによるその服への満足感得ようとしてるんだと思うんだけど、満足感なら服を買うこと以外でも得られるよね。
この親子の場合、買い物が単なる刺激になっちゃってるのよ。買いたいものを買うことはいいことなのよ。
でも、単に刺激を味わうための買い物と買いたいものを買う買い物は別物だよ。
分かってると思うけど、前者は「浅い欲」で、後者は「深い欲」だよ。
「浅い欲」を消して、「深い欲」で過ごすコツ
ぼくは、刺激が引き金となる「浅い欲」がないと思っていたのだが、とあるきっかけで、それが見つかった。
それは、「一日一食」を始めたことによる、「浅い欲」の発見だ。
一週間前まで、「一日二食」で、朝に買ってきたパンを食べ、夜に自炊して食べていた。
今は、昼の二時頃に、スーパーで食材を買ってきて、調理し、食べての、その一食だけである。
その生活を一週間続けて思ったのが、一週間前まで食べ続けていたパンは、単に、食欲を満たすためだけに食べていたのではないか。
ホントにパンを食べたくて、食べたのではなく、「朝食べるのが常識」という社会通念に単に従って、食べたのではないのかという疑惑である。
なぜなら、パン食の期間は、同じパンばかり買っていたし、食べているとき満足していたかというと、惰性たべているイメージが頭に残る。
逆に、今は一食ではあるが、しっかり食べたいものを食べている。
単に、食欲や空腹を満たすためだけに食べてない。それは、刺激や惰性による飲食である。
今は、自分の直観や思考に問いかけ、「今日は何を食べたい」かを紙に書いている。
また、「一日一食」にしたことで、時間が出来、趣味に時間を費やすくなった。
だから、今、のんびり、ブログを書けてるし、これから、ブログ更新の頻度が増えるかもね。