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「タバコを吸ってしまう人」と「スマホをいじってしまう人」は本質的には同じ

欲求が矛盾するというか、相反することがある。

タバコを例にとって見ると、「タバコを吸うのをやめたい」と思ってる人がいても、結局、禁煙失敗してしまうのは、これは、「タバコを吸い続けたい」という相反する欲求があるからだ。 

 

タバコをやめたい⇔タバコを吸いたい

 

図式化すると、こうなるわけだが、分析した結果分かったことがある。

前者は、「身体性」が伴う欲で、後者は、「習慣」や「惰性」による欲であるということだ。

タバコをやめたいという欲が出るのは、基本的には、身体が「やめたい!」というサインを出しているものであって、タバコを吸いたいという欲とは、同じ欲でも異なるのだ。

タバコを吸いたいという欲は、最初から、「好き」という感情を持って、吸い始めたというより、毎日、吸ってたら、日に日に、タバコを吸うことが当たり前になっていき、「寝るとか食う」とかと同じレベルに日常に落とし込まれてしまうのだ。

タバコを長らく吸っていて、やめた人が良く言うのは、

「まぁー飯の味がうまくなった。」

これは、「身体性」が伴う欲であることを暗に意味するはずだ。

だって、以前は、「うまくなかった」と感じてたわけだから、タバコをやめることで、「身体」がクリアになり、「うまくなった」ということは、「身体」が喜んでいるからだ。

「身体」が喜ぶ欲、つまり、「身体性」が伴う欲に従ったほうがいいことは証明できたと思う。

もっと、「身体性」が伴う欲に従う良さを知ってもらうために、また、例を出したい。

Aというサラリーマンの人がいて、今日は休日。予定はありません。

なので、何となく、暇つぶしに、スマホの電源をつけて、スマホゲームをやったり、ツイッターをやったり、はたまたネットサーフィンをして、休日の一日が終わりました。

そして、寝るころに思いました。

「何やってんだろう?」という虚無感が襲いましたとさ。終わり。

そんな馬鹿なとお思いの方もいるとは思うが、現実にいるみたいだよ。こういう人。

スマホ依存症っていう言葉もあるくらいだからね。

これも、タバコの事例と同じで、「身体性」が伴う欲と「習慣」や「惰性」による欲で成り立ってます。

例では、具体的な「身体性」の欲がなかったのだが、「習慣」や「惰性」による欲で打ち消されるということも十分現実世界でありえる。

 

○○やりたい<スマホをいじりたい

 

式にするとこうなるが、僕も含めて「習慣」や「惰性」による欲の奴隷、スマホの奴隷となっているのを自覚したほうがいい。なぜ、「習慣」や「惰性」による欲の奴隷になってしまうのか。

それは、昔は、自分の近くには楽しめるものがなくて、必然的に、外にしか喜びや娯楽はなかったけど、今は自分の近くに楽しめるもの(タバコ、スマホ、アニメキャラクターへの疑似恋愛)があって、ある程度(50%ぐらい)の充足感が得られるからだ。

タバコを吸ってしまうのも、スマホをいじるのも、生身の人間が怖くて、二次元では自分は愛されると思い込めるからアニメに没頭してしまうのも、本質的には同じだ。

「習慣」や「惰性」による欲の素(タバコ、スマホ、アニメ)は、ものすごく近くにある。

反対に、「身体性」が伴う欲の素(飯がうまい、生身の人間に愛される、他人に喜びを与える)は、遠くにある。

でも、「身体性」が伴う欲の素が遠くにあっても、「身体性」が伴う欲は「習慣」による欲より、深い。

つまり、潜在的には、「身体性」が伴う欲を求めていることになる。

そりゃあ、アイドルとの疑似恋愛より生身の人間に愛されるほうが嬉しいでしょ。

難しいけど、「身体」が求めてるんだったら、そっち従うほうが良くないかい?