「仕事ができる=良い、仕事ができない=悪い」っていう価値観が生きてたら、いつか痛い目あうよ!

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自分でなんでもできちゃう人っているよね。

それゆえに、疲れる。なぜか?

自分でなんでもやろうとしちゃうから。

だから、解決策としては、一択しかない。

他人に任せる。要は、「他力」を使う。

これだけ。

単純な話じゃない?

例えば、仕事。

10の仕事を、自分で9やってしんどくなってるなら、誰かに分担すれば済む話。

一回目は仕事を教えて、二回目からは「分からなかったら、聞いてね」って言って、見守ればいいだけ。

それ以降は、大抵、誰かが勝手にやりよる。

9やってた仕事を8,7,6になれば、それだけ楽になるよ。

これ通り、やればね。でもね、自分でなんでもできちゃう人。

仕事場とかでは、「仕事ができるキャラ」で通ってる人。もしくは、そのキャラだと他人に思われてるから、そのキャラを守らないといけないという使命感で働いてる人は、「他力」を使おうとしても使えない。

なぜか?

まず、他人がやるより自分がその仕事やったほうが速いし、正確だと思ってるから。

おそらく、その思い込みは合ってる。

自分がやったほうが効率的だしね。

でも、短期的に見たらの話しねそれは。

長期的に見たら、超非効率だよってこと。

10の仕事があって、9の仕事をやってる人がいて、コンスタントに9の仕事をやってて、その人が体調悪くなったら、その日その人が休むわけでしょ。

じゃあ、余った9の仕事どうするのよ?

突然他の人がその仕事したら、遅いし、9の中にはその人にしかできない、つまり、教えてもらわないとできない仕事だって含まれてる可能性があるわけ。

ほら、その思い込みゆえに、迷惑蒙ってるのは、あなたから見たら、仕事ができない、正確じゃない人たちだよってこと。

あともう1つ、これも厄介。

それは、「仕事ができること」それだけが最大の長所だと思い込んでる輩。

もしくは、「仕事ができる人」は偉くて、「仕事ができない人」は悪いという上下の価値観が強い人は、他人に頼ることなんてできない。

「仕事ができる人」が「仕事ができない人」に仕事を教えて、その人が仕事が出来ちゃった日には、「仕事ができる人」であるという希少性が薄れちゃうから、教えてあげられないわけ。

たぶん、「できる=良い、できない=悪い」という価値観がない人は、平気で自分はサボって、誰かが仕事ができるようになれば自分が楽になれるなら、その仕事平気で手放されるんだと思う。

僕の場合もそう。

自分が仕事ができるとかできないとかそんなことどうでもいい。

他人からの評価もどうだっていい。別に「仕事ができること」を盾に生きていこうなんて思わない。

なぜなら、そんな盾持たなくても、人生楽しめるし、その盾もったからって、好かれる訳じゃないわけだし、てか、僕は「自分が仕事ができること」に対して、ものすごくプライドがある人、それ故自分ひとりで問題を抱えて、自分以外の仕事ができない人に対して文句を抱えてる人は苦手だし、嫌い。

仮に、「仕事ができる」という盾を僕が持ってるとしよう。

でも、僕はその盾、持ってても持ってないように振舞えるよ。

だって、自分はサボって、楽するために、その仕事他人にしてもらうって、矛盾してるけど決して楽ではないから。

仕事を任せて、1、2回目なんて、まだ任せられる人だって、未熟だから、失敗するかもしれない。

そしたら、監督責任で怒られるかもしれないよね。

だからって、やっぱりじぶんがやれば良かったなーなんて思わない。

それじゃあ、自分がしんどくなることに巻き戻しだよね。

だから、怒られても、被害蒙っても、自分が楽するために他人に任せること。

自分がご機嫌でいるために、できるだけ疲れない。

「仕事ができること」より、そっちのアイデンティティ守ったほうがいいよってね( ´∀` )

 

 

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