「好きなことしよう!」って口で言うのと実際やるのは、どっちがすごい?

もう、意味のあることとか書きたくない。

「心理学も

精神世界も

目に見えないも

幸せも

好きなことする

やりたいことする」

そんなもんもう書きたくない。

まず、男のくせして何そんなん書いてるの?

気持ち悪いわっていうのがある?

こうやっていつもブログを書いてるとき、一瞬、書いてる自分を俯瞰でみている自分がいる。

そのとき思う。

「いつまでそんなこと書いてるの

気持ち悪いわ。好きなことやるとか幸せになるにはとか

そういうのを書けば書くほど、そんなもん気持ち悪いだから

そういうこと書くぐらい、自分が好きなことやった過程を書いていったほうが良くない?方法とか知識しか書いてないけど、別にそんなん自分のブログ読まなくたって、書いてあるし、それだったら、自分がこのブログ書いてる意味とかないよね。人が誰かの読むって、その誰かが持ってる知識に共感するんじゃなくて、体験に共感するんじゃないの?だって、知識なんて、ググれば出てくるじゃない?

ググっても出てこないのが、体験なんでしょ?ヒッチハイクしたことない人のヒッチハイク体験記とヒッチハイク経験ありのヒッチハイク体験記どっちよみたいかって当然、体験したことある人の体験記だよね。

もっと言えば、ヒッチハイク体験した人ブログ2つあったとしても、2つとも価値がある。

だって、体験したことによる感じ方はみんな違うから。だから、体験した瞬間それは価値になる。大きな失敗も価値になる。だから、やりたいことやりましょうは誰にだって言える。でも、言えることとやれることは違うよね。僕は、やりたいことやったほうが楽しいよって言ってばっかりなわけ。だから気持ち悪いわけ。あと、説得力が皆無なわけ。言ってることに凄みや説得力を持たせたかったら、単純な話しだよね。やりたいと思ったことを自分がやれってこと。それしかないの。人って、知識じゃなくて、経験についてくるわけだから。知識だけ書いてるのは、御託並べてるバカか、知識欲満たしたいバカか、学歴した取り柄がなくて、その土俵でしか勝てないと思って、その土俵からでない結局バカなわけ。だから、僕がこれからすることは、経験すること。好きなことやりましょうじゃなくて、好きなことをアウトプットすることだよね。料理だったら料理。サッカーだったらサッカー。雑談だったら雑談。ブログという土俵でアウトプットできないなら、インスタグラムなのか、それとも対面なら対面でだよね。」

 

結局、何が書きたかったのだろう?

あと、何書いたか覚えてない。いつも通り、推敲しないし、記事も見ないししないから分からないけど....。

まぁいいや終わり。

 

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