他人見て、この人はすごいとかあの人はすごくないとかって判断しないほうが生きやすいよ
「勝つ能力」より「たくさん負ける能力」のほうが欲しい。
だって、そっちのほうが楽しいから。
「勝つ能力」を延ばそうとすれば、最終的に保身する。
今、もし、高い地位を確立してるなら、その地位を守ろうとする。
他人を見て、この人はすごいとかすごくないとか、この人は自分より上で、この人は自分より下とか上下の価値観で他人を見始める。
僕には、上下の価値観があまりない。
上下の価値観とは、この人はすごくて、あの人はすごくないって判断することである。
フリーターより正社員がすごいとも思わないし、
敗者より勝者がすごいとも思わないし、
頭の悪い人より頭のいい人がすごいとも思わないし、
力仕事してる人よりIT企業で勤めてる人がすごいとも思わないし、
年収低い人より高い人がすごいとも思わないし
仕事できない人より仕事できる人がすごいとも思わない。
もし、僕が上下の価値観で、物事判断してたら、世間が思う「すごい人」になろうとしたんだと思う。
今、フリーターだけど、正社員になろうとしただろうし、
今よりちゃんとしようとしただろうし、楽しさより正しさとか安定を求めるだろうなと思う。
そうやって、自分の人生つまらなくして、それと引き換えに、世間が思う「すごい人」になろうとしていくんだと思う。まぁーそんなもん幻想だけどね。
すごいとかすごくないとか幻想。どっちが上とか下とかも幻想。
あるかもしれないけど、それは目に見えてる三次元の情報だけ。
三次元の世界で、いくら「すごい人」になろうとして、例え、今より年収が上がったり、役職があがったりして、その世界では、すごくなっても、自分自身が満たされてなかったら、それは単なるハリボテにすぎない。
入れ物だけ豪華で、中身は空っぽ。蓋開けてみれば、何も入ってない。ほら、幻想。
だから、世間が思う「すごい人」になろうとしたところで、その先は、空虚であり、空虚が嫌なら、はなから世間が思う「すごい人」になろうとするんじゃなくて、楽しいと思えることだけやればいいだけ。
それは、上下の価値観を捨てることにもつながる。
要は、他人を見て、すごいとかすごくないとか判断しないようにするってこと。
そうすれば、楽しいと思えることだけ選べるようになる。
だって、上下の価値観が薄まれば、平気で、世間が思う「すごくない人」にもなれるわけ。
ってことは、以前より負けることもできるし、恥をかけることができるわけ。
だって、純粋に楽しいことが選べるってことは、優劣とか勝ち負けとかがどうでもよくなるってことだから、自然と挑戦する回数が増えるってことだから。
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