意地の張り合いとか我慢比べとかしんどいから、さっさと負けましょう

「おもしろくなりたい!」って思ったなら、

「お笑い番組一日8時間見る」より

「ネタ作って、youtubeで作ったネタを披露したほうがいい」し

「毎日、違う人と会話したほういい」わけ。

「料理うまくなりたい!」って思ったなら、

「料理本を八冊熟読する」より

「クックパッド見ながら、簡単なものでもいいから作ったほうがいい」し

「作ったものを、SNS上に晒して、査定されればよりいい」 

 

要は、勉強することとか準備することってそんなに重要じゃないってこと。

料理でもお笑いでもそうだけど、準備する前に、人前に晒せってこと。

準備する前に晒すってことは、未熟なまま晒すってことだから、失敗して恥をかく可能性もあるわけ。

今、やりたいことがあって怖くてできないっていう人は、ほぼ恥かきたくないだけ。

そういう人に限って、「なんで、やらないの?」って聞いたら、そのレベルに到達するまでに努力してますとかお金を貯めるまでできないとかって言い始める。

それ、ほぼ100%ウソだから。結局、恥かきたくないだけだから。

ほんとに、やりたいことやりたい人とか、息吸って吐くか如くやりたいことができる人は、平気で恥かけるわけ。そもそも、恥かしいとも思ってない。

だから、恥かきたくないと思ってる人より、やりたいことやるための手段もあるし、手段は選ばないから、手段は無限にあるわけ。

 

あと、最近思うことがある。

僕は、二律背反の思いを抱えながら動いてる。

「恥かきたくない」と「恥かきたい」

「失敗したくない」と「失敗したい」

「負けたくない」と「負けたい」

「スタイリッシュでいたい」と「泥臭くなりたい」

「波風立てたくない」と「波風たてて、世間からずれて、変な目で見られたい」

失敗する可能性がある場面で、しばらく失敗してないと、「あー失敗したい」って思う。

なぜなら、うまくいってるときは、総じて、適当で、「失敗してもいい」っていうときで。

反対に、うまくいっていないときは、他人と比べてしまいがちで、我慢比べしてるとき。

我慢比べっていうのは、「先に失敗したほうがまけ」っていう意味合い。

我慢比べしてるときは、大抵調子が悪いし、「先に失敗したほうがまけ」って思ってるときほど、「さっさと自分が失敗したい」って思う。

実際、自分が失敗しちゃったほうが、気分が楽だし、現実がいいほうに転んでくれるから、先に失敗したほうがいいんだと思う。

あと、見栄張ってるときも調子が悪いし、普段はプライドが低いのに、ある問題に対してだけは、プライドが高いときもうまくいってない。

意地張ってるとき、プライド高いとき、うまくいってない。

例えば、何かに対して怒ってて、「先に謝ったら負け」モードに入ってるときあるじゃない?

それとか、「先に話しかけたら負け」モードとか

「先に折れたら負け」モードとか、

こういうときね大抵、向こうも同じこと考えてるから、自分が負けだと思ってること、先にやっちゃえば向こう悔しくなるから。

結局、根っこは、単に見え張ってるだけだから。プライドが異常に高くなってるだけだから。

柔と剛で言えば、意地を張ってる状態は剛であり、肩にバンバン力が入っちゃってる状態なわけ。

だから、意地を張らせる原因を作ってる相手が剛のときは、こっちは柔らかくいればいいだけ。

要は、先に、ハイ、負けました!って言っちゃって、相手拍子抜けさせればいい。

「意地の張り合い」が行われてる土俵があって、その土俵を割っちゃうってこと。

要は、同じ土俵で勝負しない。「意地の張り合い」が行われてない土俵まで、持ち込めば、いいし、そこまで持ち込めば、土俵っていう概念もなくなるし、競争っていう概念もなくなるわけ。

そうすると、うまくいっちゃうと思うよ。

 

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