仕事ができることとか器用であることはなんの自慢にもならない

圧倒的に仕事ができる人は目立つ

圧倒的に仕事ができない人も目立つ

中途半端な人、平均的になんでもできる人、器用な人というのは、目立たないし、そういう人は需要がパンクしてるからもういらない。

だって、あなたの職場なら職場で回りを振り返ってほしい。

みんな中途半端になんでもできる人、なんでもそつなくこなせる人。そんな人ばっかりだろう。

だから、仕事ができることが自慢にならないし、ましてや器用なことも自慢にならない。

かくゆう僕も、なんでも卒なくこなせるほうだし、器用な人の部類なんだと思う。

でも、器用な人の需要はパンクしちゃってるから、器用であること意味を成さない。

要は、空気を読んで、正しい答えを出す作業も、小手先の処世術も意味がないってことだ。というより、その場所の競争率は、どの場所の競争率よりも高い。

要は、目立つのに時間が掛かるし、一生目立たないで終わる確率の方が高い。

そうなると、何に需要があるかっていう話になる。

もちろん、仕事ができないことに需要がある。

平凡、平均より非凡のほうが需要がある。

10ある仕事を8できる能力より1しかできないけど、その1はスペシャリストの人が求められる。

ここで1個例を出そう。

今、滝沢カレンというハーフタレントが引っ張りだこだ。

彼女の特徴は日本語の言い間違えだ。もちろん意図した言い間違えではなく、天然で、

それでウケをかっさらう。見方を変えれば、日本語ができてないわけだ。

でも、お笑い的な視点で言えば、正解なのだ。

彼女が最高の言い間違えをする。それを回りのお笑いエリートが突っ込んで笑いに変える。

お笑いエリートというのは、10ある仕事を8できる人たち。

バカリズム、千原ジュニア、有吉弘行、くりぃむしちゅーとか要はMCの位置だ。

ここの需要はパンクしてる。だってカッコいいし、自分を一番にスマート見せられるからだ。

反対に滝沢カレンは、10ある仕事で1だけやってる感じだ。

でも、その1が破壊力抜群なのだ。狩野英孝とか出川哲郎とかも同じ類である。

計算できる笑いと計算できない笑いがあるとすれば、この人たちは計算できない笑い。

でも、回りにお笑いエリートみたいな計算できる笑いを置いておけば、計算できない笑いは爆発力のある計算できる笑いに変わる。

アメトークとかロンハーとかQさまを見れば、彼らがテレビで出続けてる理由が分かると思う。

表面的な仕事ができるとかできないって関係ないし、ってことは仕事ができたからって何も自慢にならないわけ。

だって、仕事ができたところで目立たないから。

つまり、それは魅力がないってこと。仕事できる人より仕事できなくて、素直の人のほうがかわいいし、愛される。

生きていくにしたがって、できないこと分かれば、やりたくないことが分かれば、またそれに従えば従うほど、目立てるはず

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