「負けられない」戦いは、しんどいだけ

あらゆる場面で「負けたくない」と思うことがある。

同時に、今は「さっさと負けたい」なと思ってる。

「負けたくない」と思ってるとき、大抵、動いてないとき。

・好きな人に話しかけようと思って、話しかけれないとき

・周りに迷惑かけることは恥だと思っちゃってるとき

・自分1人でなんでもやることがすごいと思ってるとき

・それゆえ、自分の周りが「敵」だと思ってるとき

・〇〇したい思ってるけど、怖くてできない

こういうとき大抵、「負けたくない」と思ってるし、

「負けられない」戦いはそこにはあると思って、ずっと、負けられない戦いしちゃってる。

「負けられない」戦いをするのか「負けてもいい」戦いをするのかどっち選択するのかは自由だけど、僕は「負けられない」戦いで体力消耗したくないから、負けられない戦いは選択しないよ。

始めに言っとくよ。

「負けられない」戦いすることで、負けもしないかもしれないけど、傷つきもしないかもしれないけど、ムダなエネルギーめっちゃ使うよってこと。

例えば、バンジージャンプを飛ぶ人がいるとする。

「飛びたいけど怖いから飛ばない人間」と

「怖いけど飛びたいから飛んだ人間」の二種類に分かれる

前者は、〇〇しようとする人間。

後者は、〇〇した人間。

〇〇しようとする人間は、負けられない戦いしてる。

負ける確率めっちゃ低い。っていうより相撲で言えば、土俵に上がってないし、サッカーで言えば、フィールドプレーヤーじゃない。どっちかいうと、「観客」。

ホントは、サッカーしたいけど、負けたくないから観客してるだけ。

観客してるだけだけど、めっちゃ疲れる。

だって、ほんとはサッカーしたいのにっていう思い、〇〇したいのにっていう思いを持ちづけるから。

これめっちゃ疲れる。

自分が犬だとして、ドックフード目の前に置かれて、飼い主に二時間待てを命じられてるときぐらいつらい(犬じゃないからどれくらいつらいか知らねぇけど)

でも、それぐらいつらい。

だったら、さっさと負ける。さっさとやりたいことやります。

「やりたいことやる」と「さっさと負けること」は同じ意味。

やりたいことやれてるときはさっさと負けれてるときだし、勇気も出せてるとき。

負けにいくのはもちろん怖いけど、「負けられない」戦いしてるときのめんどくささが勝っちゃうから、さっさと負けるの。

誘いたきゃ、誘うし

頼りたきゃ、頼るし

助けてもらいたかったら、意地張らずに、助けてもらうし

仲良くなりたかったら、話しかけるし

相手選ばずに、基本的に言いたいこという

休みたかったら、休むし

好きな人に、好きっていうし

めっちゃ怖いし、一見バカに見えちゃうけど、もうそれでいいなと思う。

だって、どっちが上か下かとか。

どれだけ仕事ができるとかどれだけ賢いとかどれだけ知識があるとかってどうでもよくない?

そういうのんって「世間からずれない」能力でしょ。「世間力」っていえばいいの。

そんなんいらない。いらない。

世間からずれたところにしか、面白いと思えるのがないなら、それ拾うわ。

それが世間様から見たら、「負け」的行為だとしても、そんなもん負けでいいわ。

もちろん最終的に「勝ちたい」と思ってるよ。

負けにいった結果、負けんのか勝つのか。

結果、負けても、また、勇気出して、負けにいく。

だって、死ぬほど怖いけど、「負けられない」戦いより楽しいし、「負けられない」戦いってマジでしんどいだけだから。

マジでしんどいだけ!

 

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