仕事ができることも、苦労することも「クソ」だと思ってる

何も書くことが思いつかない日ってあるよね?

今日がその日。何も思いつかない。

思いつかないから、爪を切って、お米を研いで、炊飯器に入れた。

その15分間で思いつくかなと思ったけど、思いつかない。

仕方がないから、こうやって書いてたら、明確な何かが見つかるような気がして、書いている。あやふやで、暗闇でただもがいてるだけだ。

結局、書く前と書き始める前と変わらない。思いつかない。

今、どういう感覚で物を書いているのか?

まず、思考のスイッチは切っている。「ただ、書いてる」それだけ。

何か違うことが思いつけば、別の書こうと思ってる。ただ、その状態。

最近、ずっとこんな感じだ。

誰かと話すとき仕事をしてるとき、何も考えてない。

雑談してるときいつも、何も考えてない。

「話したい」っていう衝動があって、とりあえずその衝動に委ねてみる。

だから、正直、誰かに話しかけてる。話すことなんて決まってないことが多々ある。

人と話すとき「あの.......」とか「えっと.......」とかあたかも話すことあったけど、忘れちゃったみたいな感じになるけど、何も考えてない。

.....の間になにか思いつけばいいなと思ってる。

それで思いつくこともあれば、思いつかないこともある。

こういうのを一般的には「見切り発車」と呼ばれるみたい。

最近、ずっと「見切り発車」だと思う。

ただ、思いついたことをすぐやる。やりたいことをすぐやる。

たぶんこれからも「見切り発車」し続ける。

悩んだり、考えたりする時間がもったいないから、「見切り発車」する。

やった後のことは考えなくていいから、「見切り発車」する。

計画とか目標とかいらないから、その時それやりたいと思ったら、それやる。

正直言えば、

勉強することも

資格をとることも

是が非でも大学へ行くこと

頭がいいことも

仕事ができることも

全部、「クソ」だと思ってる。

僕は、中学三年で勉強することをやめた。単純に勉強することが嫌いだったから。

いい大学に入るために、安定した企業に勤めるために、今我慢して勉強することは「クソ」だと思ってた。

大学四年生になると、僕の周りは皆が皆スーツを着て就活し始めた。本当に「クソ」だと思ってた。大半は、皆が就活するから僕も就活しようみたいな連中だと思ってた。ただ群れてるだけ。そういう奴みて「クソ」だと思ってた。

同様に、仕事ができることなんて「クソ」だと思ってるし、

お金なんて「クソ」だと思ってるし、安定した企業に勤めることなんて「クソ」だと思ってる。

お金なんてどうでもいい。仕事ができることなんてどうでもいい。

とは思ってるけど、なぜか仕事をしてて、なぜか貯金がある。

でも、僕には貯金したいなんて欲はない。親にお金を返すという目的ができたから、興味のないお金貯えをしてるだけだ。

ホントは貯金することなんて「クソ」だと思ってる。

そして、仕事もしてる。たぶん、それは好きだから。

お金が出なくても、仕事はするんだと思う。

そもそも「お金のために」働いてない。好きで働いてる。

漫画読む。お笑い見る。働く。そういう感覚なのだ。

働いてる感覚なく働いてる。当然そこには、我慢してる感覚もないし、努力してる感覚もない。

大人が植え付けた仕事というのは本来しんどいものという価値観は「クソ」だと思う。

「クソ」が苦労して15万円稼ぐぐらいなら、こっちはイージーに15万円稼ぐ。

簡単に入った15万円は、簡単に手放せる。どうせ簡単に入ってくるから。

親にお金を返し終わったら、お金の循環は元通りになる。

簡単に入れて、簡単に出す。お金がなくなっても、あまり興味ない。

なんせ、今まで貯金なんてしてこなかったから。自分でいうのもあれだが、金払いが良すぎるのだ。自分が楽しめるためにはいくらでもつぎ込めるし、他人が楽しめるためにもいくらでも使える。

それぐらい、お金に興味ない。

そうやって、「クソ」だと思ってることをやっていくんだと思う。

ただし、楽しく、簡単に、思い悩まずに「クソ」だと思ってることをやる。

 

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