「自分が素晴らしい」という前提で生きてたら、そう思える証拠が見つかるワケ

「自分が素晴らしい」という前提、勘違いで生きてたら、

「自分が素晴らしい」と思える証拠集めをするし、

「自分が素晴らしくない」という前提、勘違いで生きてたら、

「自分が素晴らしくない」と思える証拠が見つかるよー。

なぜか?

さっそく、例題。

例えば、あなたが会社で大きなミスをします。

それも一度や二度じゃなく、出社すれば必ずミスをする人だとします。

「自分が素晴らしくない」前提の人の感情はこんな感じ。

 

➡「うわー!またミスしちゃった」

➡上司に怒られた。(怒られた本人落ち込む)

➡度々ミスする自分に対して、他人はどう思ってるか気にする

➡「なんだあいつ!めっちゃミスするやん!使えへん奴やな」って

思われてるような気がする。被害妄想、想像

思われてるような気がするの一割は、現実化する。

実際に、「〇〇さん。めっちゃミスするし。邪魔やわー。堪忍やでー!」っていう陰口を耳にしてしまう。

➡「どうせ自分なんて...」という自己否定マインドで日々すごす

 

片や、「自分が素晴らしい」前提の人の感情

➡「うわーミスしちゃった。上司に怒られた」

➡とりあえず反省する。ネガティブになる。

➡他人にどう思われてるかは気になるけど、「人の目がなかったら、自分はどうしたいか?」もしくは、「それでも、どうしたいか?」と問う。

➡自ずと「我慢しない」ことを選ぶ。

(ケースにもよるけど。恥ずかしいけど、恐ろしく初歩的なことを分からないから聞くのか、「助けて!」って救いを求めることなのか?それとも単純にトイレ行きたいときに行くとかなのか、休みが欲しいとかなのか)

➡自ずと他人にどう思われてるかがネガティブ➡ポジティブにシフトされていく

(使えない人と思われてるかも)と考える時間が徐々に少なくなっていく。

➡実際に、悪口言われなくなる。現実化しなくなる。

(正しくは、悪口言われてるんだけど、それに気づくことが少なくなる)

逆に、「自分が素晴らしい」前提になっていき、

「自分が素晴らしい」という想像が増え、「自分が素晴らしい」という証拠が現実化していく。

 

まぁーたぶん。どっち信じてもいいんだけどね。

「自分が素晴らしくない」という証拠が今、ものすごくあるとしたら、「自分が素晴らしい」なんて思えないだろうね。

だって、目の前に広がってるのは、「自分が素晴らしくない」という理由があるもんね。

だから、そういう人にとって、「自分が素晴らしくない」のほうが信ぴょう性がある。

だから、信じてる。

でも、どっちもある。

ゲームで、

イージモードか難しいモードを選ぶみたいに

ポケモンゼニガメピカチュウを選ぶみたいに

どちらでも選択できる。

だから、「自分が素晴らしくない」前提で生きてる人は、一旦、「自分が素晴らしい」前提にしてみよう。

つまり、「自分が素晴らしい」存在だとして、自分はどうしたいか?ってこと。

自分が素晴らしいってことは、王様なんだから、「我慢しないよね!」「人目気にしないよね」

そうやって、「人目がなかったらどうしたい?」で最初は疑いながらでもいいから、選択し続ける。

そうすれば「自分が素晴らしい」前提の完成だね。

 

 

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