「どうやって、やったか?」の「やった」だけに注目するわけ

「どうやって、やったか?」の「どうやって」は大切じゃない。

「やったか?」だけに注目すればいい。

世の中の成功してる人。

女も金も仕事も地位も名声も持ってる人は、圧倒的に「やった」数が多い。

女を飲みに誘った➡やった

転職して時給が上がった➡やった

ビジネスを始動した➡やった

起業した➡やった

華やかに成功してるように見えるが、それは一部だ。

ほとんどが失敗だが、失敗は目に触れられることはない。

失敗した本人だけが恥をかいて、成功だけが目立つようになってる。

だから、安心して、失敗していいし、やっていい。

自分が思うように「やった」をしよう。

その時に、「どうやって」は意味がないということを説明しておこう。

世の中には、「どうやって」が本やネットに氾濫してる。

「仕事術」

「脈ありサイン」

「成功する七つの方法」

こういったテクニックやハウトゥーがゴロゴロ転がってる。

それが意味するのは、成功する方法は一つじゃないということだ。

星の数だけ成功する方法はある。

だから、これからも「どうやって」本はゴロゴロ出版される。

人が「どうやって」本に手を出すのは、成功したいからなんだけど、

この成功したいって、失敗する確率が低い方法で成功する方法を知りたいわけだね。

野球で例えると10打席で5ヒット打つ方法を知りたい人らしい。

まーそんなもんないと思うし、失敗しないような方法を模索する時間はもったいないから、さっさと「やった」ほうがいいよってこと。

何も考えずに打席たったちゃえば、10打席になるし、100打席にもなるわけだから。

人の記憶に残るのは打ったヒットの数だけ、凡打は記憶に残らない。

人がどう思うか考えても時間のムダだから、さっさと自分がやりたいと思ったこと「やった」ほうがいいよ。

脈ありサイン?好きな人に好かれる方法?恋愛工学?

夢みたいなこと言うなよ。そんなもん勉強するのんマジで時間のムダだから、ストレートに「やった」ほうがいいよ。

練習とか修正は、「やった」後でいいんだから。

 

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