「今、楽しむこと」に従って、生きてます。退職理由も「今、楽しむこと」

センター試験は今日で最後みたいだ。

僕にとってのセンター試験は今週金曜日にある中途採用の面接だ。(大勝負という意味で同じ♪)

中途採用で、僕みたいにフリーターの職歴が多いと、面接で聞かれることは、「退職理由」だと、面接対策をしてくれているコーディネーターの人が言っていた。

企業目線から言えば、長く働いてくれる人材が欲しいわけだから、それを判断するために、「退職理由」を聞くことは当たり前で、理由が悪かったら、落とされるし、納得感を持たせる内容なら合格するということになる。

昨日は、前にやっていたバイトの始めた理由、辞めた理由を思い出し、書き出していた。書き出して見て思ったのが、「企業は納得感を持たないし、ということは社会人としては正しく」ないと感じるということである。

でも、面接では聞かれるから、社会人としては正しくない退職理由を話すということになる。まぁ、でもしょうがない。面接では、ホントのことを言うし、今日ブログを書くのは、「退職理由」をスムーズに話すためでしかない。

まず、「退職理由」は根本のところでは変わってないということ。

退職理由に限らず、ある時期から、「今、楽しむこと」という前提で生きているということである。

退職理由も、その前提から外れてない。退職理由に共通して言えることは、「より楽しむため」にバイトをやめて、新しいバイトを始めた。

芸人を辞めた理由も、学生の頃、自分の発した言葉で笑ってくれたり、深夜ラジオでネタが読まれたりと、簡単に「認められたい」という欲が満たされたのに対して、芸人になって、がんばって作っても認められない日々が続いて、芸人なる前に、100人、200人を笑かして「もっと認められたい」という欲をみたそうと思ったけど、現実は、頑張っても認められなかった。簡単に認められていた日と頑張っても認められなかった日、やめたら簡単に認められる日に戻れるならと芸人をやめた。成功することより目先の幸せをとったし、そっちのほうが楽しく生きれるから、辞めることを選んだ。

これも、「今、楽しむこと」という前提から来る行動だ。

その後、芸人をやめた後、一人暮らしを始めようと思った。

「集中して楽しむことができる環境で、本が読めて、ブログを読む」が出来れば、それで楽しめるなと思った。実家には、集中できるスペースがなかったから、自分が楽しむために普通のことをした。

養成所辞めて、就活すれば就職できたであろうタイミングで就活じゃなくて、1人暮らしを選んだのも、「集中して楽しむことができる環境で、本が読めて、ブログを読む」を達成するのに、正社員ほどの給料が必要なかったから、単純に、フリーターを選んだだけだ。就職しなかった理由は、フリーターでも自分が楽しむ状況が作れると思ったから。現に、一人暮らしは楽しい。

すべての行動原則は、「今、楽しむこと」であり、自分にとって、楽しいと思える選択を当たり前に取り続けることなのだ。

苦労すれば、後々楽になるとか、仕事とはつらいものだという考え方が正しいのか知らないけど、僕は、苦労は苦労で終わると思ってる。金太郎飴みたいに、苦労は苦労の絵にしかならない。反対に、楽しいは楽しいにしかならない。

だから、単純に、楽しいことしか選んでない。

その後、接客の仕事を銭湯とハンバーガーで掛け持ちしたのは、人見知りを直すため。

思ったことを話せない。話したいけど話せない状態はストレスだし、楽しめてない。

「今、楽しむこと」を邪魔するものを克服するために、バイトどおしのコミュニケーションが密なところへ飛び込んで、人見知りを直さざるおえない状況に追い込んだ。

荒療治だけど、人見知りは完治した。

話したい人と話せるようになって、「今、楽しむこと」、「より楽しむ」ことに繋がった。

その後、住み込みのバイトをし始めたのも、「より楽しむ」ための選択である。

学生の頃からやってみたかったのと、一通りの接客は体験したかったので、未経験のホテルの接客を体験しに行った。

これも、「今、楽しむこと」に従っただけ。

新潟から戻ってきて、コンビニとスーパーのレジ打ちのバイトをし始めた。

新潟にいる頃は、ブログも本もまともに出来なかったから、向いてる仕事をして、余ったエネルギーでブログを書いたり、本を読みたいと思った。

純粋でそれで楽しめると思ったから、そのために最低限のお金を稼ぐために、バイトを始めた。就活せずに、1人暮らしを始めたときと同じ理由で、自分が楽しむのに、フリーターの収入でことたりたから。そうしただけ。

ただ、湯沢で働いたあと、働くこと自体が好きになっていた。

好きになった原因が分からないけど、去年の10月までは休みなしで働いていた。

それと同時に働いていると、これまで働いてても芽生えなかった感情が芽生えました。それが「他人のため」という感覚です。

今までは、自分が仕事ができることに喜び、満足できていたのですが、この頃、自分が仕事ができることに興味がなくなっていた。逆に、自分がアドバイスしてできなかった

人ができるようになったのを見ることに喜びになった。

この頃に、純粋に「他人のため」、他人の役に立つ仕事をしたいと思うようになった。

自分のことだけを楽しませることに飽きた。反対に、他人を幸せにしたいと思うようになった。自分のコップの水は満たされてるから、他のコップに水を入れたいみたいな感じ。

就職しようと思った理由は、そういうこと。

アルバイトより正社員のほうが、他人の幸せを最大化できるから。

正社員の責任と立場が上がれば、それだけ他人を幸せにできるということだし、店長になれば、店長の決定が店全体に影響を与える。

いい影響を与えれば、それだけ他人を幸せにできるということになる。

ほらね。一応一貫してるでしょ。

「今、楽しむこと」という前提に従って、単純に、楽しい選択をしてるでしょ。

まじで、「今、楽しむ」しか考えてないし、実際共通して行動選択は「楽しいかな、より楽しめる」だけだから。

やっぱり、長くなっちゃったよ。

 

 

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