オフィシャルな場では感覚はしっかり論理的に説明できないと納得しないよ

「行動には必ず理由がある」

もう一回、繰り返そう。

「行動には必ず理由がある」

退職するにも理由があるし、今まで正社員にならなかったのにも理由があるし、

今になって就職しようと思ったのにも理由がある。

それも、感覚的・抽象的・擬態語で表せば「ふわっと」した理由じゃなくて、人が行動するには、具体的なエピソードがあるみたいだ。

ブログを書いてる人が言うのもなんだが、具体的、論理的というものが好きになれない。だから、自分がした行動を論理的に説明するのがすごく億劫だし、企業の面接ではそれが求められるし、なにより社会人になったら説明責任とかうんぬんかんぬんで論理的な説明が求められることが多くなるのだろう。

このブログだって、文脈なんて関係なく、感覚で書いてることだって多いし、全体、読み返したら、「箇条書き?メモ書き?」みたいなことだって全然ある。

もちろん、推敲なんてすることはない。過去のブログを振り返って見て、間違ってても訂正しない。

そんぐらい、論理が嫌いだ。論理が全てだと思ってるなら、間違いはあってはならないから、訂正するけど、僕はどうでもいいと思ってる。

それは、ブログに限らず、すべての行動に通ずる。

普段、生活してる分には感覚のままで動いた方が楽しいし、スムーズにことが運べる。

「〇〇こういう理由があって、僕はこれをします。」

じゃなくていい。

行動の理由は、

「なんとなく、やりたいから」

「好きだから」

「嫌いだから」

「より楽しむために」

「食いたいから食う」

「寝たいから寝る」

みたいなんで、僕の場合はいいと思ってるし、普段の生活はこれでいいと思うよ。

でもね、この理由だと、社会人として、どうなのかって問題にぶち当たるわけ。

オフィシャルな場で行動した理由を発表するときって、自分の主観とか感覚をそのまま伝えても却下されるわけ。そんなもん、もろだししたら、「はー何言ってんの?」で終わっちゃう。

だから、大事なのは、自分の感覚でした行動はちゃんと論理で構築してあげる。はたまた、「はー何言ってんの?」ってならないために、相手の質問をしっかり理解して、簡潔に相手に納得感を得られる答えを言わないといけないよ。

自分の感覚をオフィシャルな場、社会でいう時は、ちゃんと論理でコーティングしてあげる。

論理がないものっていうのは、絶対、世の中で採用されないからね。

怪しい宗教とか、「なんでお布施すればいいことあるの?」みたいな因果関係が不明だったり、論理が破たんしてるものは、まともな大衆には受け入れられないし、面接で「なんとなく」とか「より楽しむため」を言ってる人は、確実に落ちるってこと。←これは僕のことだけどね♪

オフィシャルな場ではなんとなくは論理に直すってことだね。

 

 

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