「私、必要とされてるのかな?」の対処法

「私って、世の中に必要とされているのかな?」と感じる状況は誰しもある。

例えば、

〇就活で内定が出なかったり

〇仕事でミスして、怒られたり

〇自分の仕事出来なさのせいで、助けられる場面が多かったり

〇相手の期待に応えられなかったり

 

人って、こういうときに、無価値感を感じて、悲しむ。

無価値感を感じて、悲しみたくないから、がんばる。

 

失望させると、相手の期待に応えられなかったら、自分が無価値感を感じて、悲しむことになるから、そうなりたくないから、そうならないようにするために、がんばる。

 

要は、相手を失望させないように、がんばる。相手の期待に応えられるようにがんばる。これが無価値感が強い人の特徴。

 

相手の期待に応えられるようにがんばり続けると、いつかパンクする。

無価値感がある中で、がんばると、さらに無価値感が強くなる。

 

無価値感っていう風車があって、がんばる行為は風車を回す行為になる。

がんばることで無価値感がなくなると思ってるけど、逆に、無価値感に拍車がかかる。

だから、ここで、無価値感を感じて、悲しみたくないから、そうならないように、頑張るっていうのは間違い。

 

正解は、がんばらないこと。我慢しないこと。

 

もし、「私って、世の中で必要とされているのかな?」とか「相手の期待に応えられなかった」と感じる場面にあったら、その時は、無価値感を、感じて、悲しんでください。悲しむのは仕方ない。感情なんて止めようとして止められるもんじゃないから。

ただ、立ち止まって、悲しみを感じる。

 

その後、本当は、相手の期待に応えることが、相手の設定したハードルをいつも超えるのがしんどいなら、相手の期待に応えないことが本音だから、ちゃんとがんばらない。

100点を出そうとして疲れてるなら、60点ぐらいで止める。

 

相手の期待じゃなくて、自分の期待にだけ応える。それで、相手に失望されたら、それまでだけど。

そもそも、相手が自分に対して期待してるかどうかさえ疑問だから。

だって、実際、「自分をどれぐらい信用してくれてますか?」なんて聞くことってあまりないと思うから、聞いてない段階では、ただの勘違い。

 

まぁ、恐らくは、自分ががんばらなくても、相手には何にも言われない。

それと、相手の期待に応えなくなって、がんばらなくなれば、助けられることが多くなると思う。

助けられることは、悪いことではない。もし、そういう思い込みがあるなら、捨てたほうがいい。

 

助けられる役目になることで助けた人は仕事を覚えるようになるし、会社としても、数多くの従業員が育つことのほうがプラスだと発想を転換させる。

会社としては、仕事ができる人は1人より2人のほうがいいわけだし、できない役目とか助けられる役目っていうのは、仕事ができる人を増やすことに結果としてなるから。

 

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