読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

「正しいこと」と「正しいと思うこと」

「正しいこと」と「正しいと思うこと」は、違う。「正しいこと」というのは、客観的事実に基づいて、その状況においては、「正しい」である。「正しいと思うこと」というのは、主観的に考えて、「正しい」である。人は、みんな、いろんな状況で、主観と客観を行き来してる。自分が、正しいと思っても、正しくなかったとか。自分が、おもしろいと思っても、おもしろくなかったとか。主観と客観が等しくなることもあるが、主観と客観が相反することもある。また、僕、含めて、多くの人が、主観的に考えたことを、出さない。「空気を読む」は、主観的に考えたことを無視して、客観的にすり寄る現在を表す現象だと思う。

でも、僕、含めて、このブログ読んでるみんなに、分かってほしいのだが、主観と客観は完全に等しくなることは少ない。正しいと思っても、正しくないという事実を受け止めたくないがために、出さない、行動しない。僕は、このパターンが多い。結果的に、正しくないというのも、あるが、正しいというのも、多い。要するに、行動しなくて後悔する。主観的なものを出さない人は、必然的に、そういう風になってくる。主観的なものを出す人は、行動して失敗するか、行動して成功するのどちらかである。行動して失敗する人と行動しない人は、前者のほうが価値がある。前者のほうは、主観と客観が違ったという経験が得られる。後者のほうは、何も得られない。主観を出さないと、経験できない。主観を出さない人は、限りなく成功に近いものを待つ。そんなのなかなかないと思う。主観を出し続ける人は、失敗に対する恐怖心みたいなのが無いんだと思う。仮に、失敗しても、それを経験にできる。主観と客観がどれぐらいずれてるかという情報を持てる。失敗しながら、成功を求める。失敗することは主観を出さない人にとっては、恐怖だと思う。自分以外が×マークを出してる状態に感じるだろう。主観を出さない人に言えるのは、主観を出さないと成功がないということ。主観を出しても、最初のほうは、失敗することのほうが多い。でも、失敗と成功の比率なんて、そんなもんだろう。だから、主観を出せない人は、失敗することへの免疫はつけたほうがいいと思う。失敗することに慣れたら、成功するまで早いと思う。今日のブログ、抽象的すぎるが、大丈夫だろうか。自分でも、書いてて、よくわからなくなってきた。また、このブログのテーマについて、書こうと思う。今度は具体的に...。