ブログを書くなら、バカになれ

「書きたい」という衝動に駆られて、今、書いている。

具体的に何かが書きたいわけでもない。ただ、漠然と、「書きたい」のだ。

2文書いた今でも、具体的に書くことが見つからず、ただ、漠然と、書いている。

ほんとは、レンタルしてきたDVD「ドラゴン・タトゥーの女」を見ようと思った。

しかし、さっきも書いたように、「書きたい」衝動に駆られた。「ドラゴン・タトゥーの女」を見たいという欲より「書きたい」という欲が勝ってしまった。

具体的に何かを「書きたい」ではなく、漠然とした「書きたい」で、「ドラゴン・タトゥーの女」を見たいに勝利した。おそらく、今の僕のメンタリティーならまだ見ぬ「ドラゴン・タトゥーの女」にも勝てそうだ。

いかにも強そうだ。なんせ、「ドラゴン」で尚且つ「タトゥー」だぞ。弱いわけない。強そうだし怖い。世の中の「強そうな・怖そうな単語ランキング」でも上位に食い込むだろう。しかし、「女」というワードは、強さを緩和してくれる。それは、僕の中では安心材料だ。酸性とアルカリ性が混ざって、中和されたみたいだ。それでも、「ドラゴン・タトゥー」のほうが優勢か?やはり、「ドラゴン・タトゥー」は強い。「女」という柔らかく、母性を連想させるワードをもってしても「ドラゴン・タトゥー」に太刀打ちできない。あぁ怖いし、見たい。

ブログを書き始め、500文字が過ぎた今、書くことが思いついたかというそれはノーである。

現在進行形で、ただただ漠然とである。人って、進歩しないよね。

「漠然」という言葉を使ったのが、5,6回ぐらいかな。書いた文章、推敲しないから分かんない。まぁまぁ、どっちにしろ語彙力がないのは確かだな。

そもそも、書きたいテーマ見つけてから書けよという話なのだが、でもいつもは、なんとなくテーマは決まってる上で書くのよ。

それでも、ほんとに「骨」の部分だけだよね。今日なんか、「骨」一本の状態で書いちゃってるしね。

「書きたい」という骨しかないよほんとに。常識的に考えたら、書かないと思うんだけど、僕は、知ったこっちゃないと思ってるし。

ブログを書けないでいる人の思考回路ってこうだと思うんだ。

「ブログを書きたいけど、書くテーマが思いつかないし、見つからないから、ブログを書かない」ってなってるはずなんだ。

僕も以前は、そういう風な考えをしてたし、今、書けないでいるブログ書きもたぶん同じような考えで書かないという選択をしてると思うんだ。

それで、なんで書けるようになったのかというと、それは書くときにバカになったから。

どういうことかというと、「書きたいテーマ」がないうちは、書かないと思うんだけど、僕は、書きたいから書くんだよね。これって、バカでしょ。後先考えないことってバカあるあるだしね。

あと、その上で、ブログを書いてるときに考えないことなんだ。考えすぎるとキーボード打つ手が滞っちゃうから、思ったことを書くの。

思ったら、すぐ打つの。思ってから、考えない。とにかく、思ってから打つの。

そっちのほうが素直な文章が書けるし、スピーディだしね。なにより、書くことが楽しいと思えるから。

思ったこと、すぐ口に出す奴もバカでしょ。ヅラかぶってる人に、ヅラかぶってるなぁとは思うけど、言わないよね。言うやつはバカの烙印押されるよ。

でも、ブログでは、ヅラかぶってるやつに、ヅラかぶってますねと言ったり、ヅラをとるという心意気がすごく重要なんだ。

そうじゃないと、周りとの違いが生みだせない。実世界で、客観的判断を強いられてるんだから、ブログの中ぐらいでも、主観の強さ見せつけないとしんどいよ。

誰しも、主観の強さに憧れるでしょ。イチローとかジョブズとか。

憧れるのなら、ブログの中で、自分の主観出しちゃっていいじゃん。

ブログの中で、窮屈になってもしょうがなくない?僕はそう思うけど。