「書きたいから書いている」その理由しかいらない

今週のお題「私がブログを書く理由」

ブログを書くのは、何のためか。そもそも、なんで書くのか。

それは、単純に「書きたい」から書いているのではないか。

ブログのアクセス数を稼いで、承認欲求を満たしたり、ブログの収益化を目的にブログを書く人は、いるかもしれないが、基本は「書きたい」からという理由であってほしい。そうじゃないと、書くこと自体に喜びは、感じられない。

仮に、僕が、ブログのアクセス数を上げるのが、書く目的だとすると、書くことが苦しくなり、結果的に嫌いになる。なぜなら、書くときに「他人」に分かるように書かなければならない。そうすると、自分の考えを、他人という、フィルターで通してから書くため、どうしても、書くスピードは遅くなり、自分の思いも100%書けないはずだ。

ブログを書く目的は、自分の思いを書くことだ。そこを忘れてはいけない。他人に伝える技術なんていらないと個人として思っている。

書評や映画評もブログ界では、需要があるのは、分かる。僕も見るし。でも、書評や映画評は書かない。いちいち、要約するのは面倒だし、そんなもん書くぐらい自分の思いを書いて、視覚化し、現状を把握し、これからどうするべきかを考えたほうがいい。

書評や映画評には、そういう魅力が詰まってるように思えない。おそらく、そういったものを書いてる人は、ブログのアクセスを集めて、承認欲求を満たしたい人がほとんどだと思う。それで、お金を稼ごうという人も、僕から見たら気持ちが悪い。

まず、ブログだけに限らず、「自分が気持ちよくなる」ことが前提であり、「他人に喜びを提供する」のは、もっと後の話だ。

書いてて気持ちいいか。書くことが好きか。という理由だけで、本来良くて、「この文章は他人の為、世の為になるか」という高尚な理由なんていらない。

自分の思ったことだけ書いていればいい。考えて書く必要もない。今、腹が減ったと感じたら、「腹が減った」とキーボードで叩け。肉食いてぇと思ったら「今度、肉食う」って書け。

書くことは自由だ。今、どういう感情で、どういう思いでを書くことによって、それは、明日への羅針盤になりうる。

ブログは僕にとって、自己啓発本より自分を変えられるツールだ。ブログを始めてから、自分の思いを書くことによって、感情が視覚化され、偏った感情を戻すのに、大切なツールだ。てっきり、僕は自己啓発本を読まなくなった。それは、自分の中で、正しい論理や感情への上手な付き合い方をブログを書くことによって学んだからだと思う。

書くことは自分を救う。