欲求の純度を上げること
「着たい服を着ているか?」
「食べたいものを食べているか?」
「やりたいことをやっているか?」
「いいたいことをいっているか?」
こういうことしか最近、考えてない。
「着たい服を着ているか?」と問われれば、
「一週間に一回は着ている」と答える。
ということは、ほとんどの日は、着たくない服、もしくは、今まで惰性で着てきた服を着ていることになる。
だから、「毎日、着たい服を着れるように」意識し、今日から過ごさなければならない。
一週間が二日に、三日にと、着たい服が着れるようになれば、欲求の純度も上がっていく。
そうすれば、日常の中で、豊かさを実感することができるはずだ。
ただ、「毎日、着たい服を着る」を意識する上で、注意しなければいけないのは、無理に欲求の純度を上げることである。
一週間に一回から、いきなり毎日まで、ジャンプできるならいいが、ほとんどの人は身の丈にあっておらず、無理な行為になる。
無理な行為というのは、収入のほとんどを洋服代につぎ込んだり、借金してまで、洋服を買うことである。
じゃあどうすればいいか、自分のできる範囲で、地味に、丁寧に、着実に欲求の純度を上げること。
一週間に一日なら、一週間に二日にすることは、ほとんどの人が無理しない範囲内だと思う。
洋服代稼ぐために、少しぐらい余分に働いたり、娯楽費を少し削れば、洋服代もまかなえるだろう。
そうやって、着たい服だけでなく、あらゆる欲求の純度を上げることは、毎日の、日常の中でやっていけば、日常の中で豊かさに気づける。
豊かさが「ない」のではなく、「ある」ということに.....。
それに気づくために、最初に書いた四つの文を意識し、行動する。
そして、四つの文は、いつも「~すべき」という文の邪魔にあう。
「どうしたいか?」と「どうすべきか?」という狭間で生きているのが、我々人間なのだ。
「会社が終わったら、すぐ帰りたい」と「会社が終わっても、みんな残業しているから、残業すべきか」みたいな選択に迫られ、ほとんどの人は、「どうすべきか?」を選択する。
なぜか?
それは、波風立てたくないからか、怒られたくないからか、今までと違う選択をして、自分の今の状態、例えば、「20」だとして、「0」に落ちることが怖いからだろうか。
でも、「0」に落ちるとも限らなくないか?「50」や「100」の状態まで上がれる可能性だってある。
メリットよりデメリット
希望より不安
プラスよりマイナス
にフォーカスし、意識してしまうのも、人間、みなそうだよ。
「起業したいけど、今の会社を辞めたら、収入がなくなるから、起業できません」
「フラれるのが怖いから、告白できません」
という二つの悩みは、根っこは同じである。その上で、自分の欲求を叶えてあげれるか。
もっといえば、マイナスを受け入れる覚悟、玉砕される覚悟を持てば、欲求に対して、力みもなくなる。
体操選手が一回目に失敗したから、二回目は開き直って演技しました的なもので、それを、ずっと、精神的に開きぱなししておけば、スムーズに欲に入り込める。