「平凡な幸せ」に飽きた人が次するべきことは?キーワードは”もっと”
心理学では、「今が幸せ」という考え方がある。
今、お金があまりなくてもあなたは幸せ。
今、友達がいなくてもあなたは幸せ。
それより、今、ある幸せに気づきましょう。
今、好きなことがあって、やりたいことがあって、それさえやってれば、幸せになれます的な、、、。
こうやって書いてるんだけど、もう飽きてきた。
この類のことは、これまで僕も書いてきたし、他の人もみんな書いてることだから、蔓延しすぎて、まさに、「今が幸せ」パンデミック状態なのだ。
それだけじゃなくて、「今が幸せ」の本山である「心理学」もパンデミック。
ついでに、「精神世界」もパンデミック。
精神世界も心理学も、共通してるのは、「目に見えない」ものを扱ってるから、「目に見えない」ものパンデミックなのだ。
(※パンデミックとは広範囲に及ぶ流行病)
いかにも、それらが悪いものみたいに書いたけど、僕は、間違いなく目に見えない「心理学」に助けられてきた。
そのおかげで、それを使って平凡な幸せは手に入れた。
ずっと、変えなきゃ平凡な幸せは保持出来る。
ただ、人間には”もっと”という欲がある。
「もっと、幸せになりたい」
「もっと、他人を喜ばせたい」
「もっと、お金を稼ぎたい」
平凡から上。いわゆる”もっと”へ行くためには、「心理学」は邪魔でしかない。
なぜなら、「心理学」でもっていける幸せは、平凡までで。
なおかつ、「心理学」で分かるのは、自分が何が得意か、何が好きかまで。
それを今後の人生にどう生かすかまでは提示できない。
なぜか?僕もはっきりとは分からない。だから、推測になるけど、「心理学」は抽象度が高い学問なんだと思う。
逆に、具体度は低い。ということは、抽象度で網羅できる幸せは、平凡で、あとは、具体度で網羅する幸せ。俗にいう”もっと”っていう奴。
この推測あってるかどうかわからないけど、他の人の心理学のブログ読んでると、自分のもっとを許してる人ともっとを拒否してる人二通りいて、もっとを許してて、もっとを叶えてる人は、心理学に囚われてないように感じるんだよね。
ということは、”もっと”に到達するには、「心理学」を捨てたほうがいいんだと思う。
分かりやすく書くとね。
いっそのこと捨てちゃって、具体度を高めようってことだよね。
「もっとお金が欲しいなら」どうすればいいか考えて、行動する。
今、僕がお金について分かるのは、
「価値があったら、お金がもらえる」
「需要があったら、お金がもらえる」
「喜びを与えたら、お金がもらえる」
「信用されたら、お金がもらえる」
そういう小学生でも考えたら、分かるようなことしか分からない。
経済学部卒なのに、情けないよーーー。
でも「もっと、お金を稼ぎたい」という思いと「もっと、他人を喜ばせたい」という思いは確かだよ。
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