あなたがどれだけ大きな失敗をしたところで、会社は回る
混乱する人と混乱しない人。
落ち着いてる人と落ち着かない人。
慌てる人と慌てない人。
ネガティブな人とポジティブな人。
落ち込む人と落ち込まない人。
混乱する人は、総じてネガティブで、ことあるごとに落ち込み、慌てる人である。
混乱しない人は、総じてポジティブで、落ち込まないし、反省しない。
混乱する人と混乱しない人の違いは、失敗したあとの対応で分かる。
失敗して、落ち込む人は、なるようにならないと思ってる。
実際には、どんなに大きな失敗をしたところで、世界はなるようになってる。
あなたが仕事で失敗して、会社に迷惑をかけたと思ったところで、数時間後には平常通り会社は回ってる。
つまり、あなたが失敗してどれだけ混乱したところで、会社の被害はなく、もちろん混乱しない。
じゃあ、もっと話をワイドにしよう。
例えば、あなたが会社を辞めたいという思いを持ってるとしよう。
同時に、自分が会社を辞めることで会社に迷惑をかけてしまうという相反する思いを持ってるとする。
まず、このあなたが会社を辞めることで迷惑をかけてしまうという思いは持つだけムダだから、さっさと辞めたきゃ辞めましょう。
あなた一人会社を辞めたところで、会社は回るし、世界は回ってる。
もし、あなた一人会社を辞めて、会社が倒産したら、あなたがいても近い内にその会社は倒産してる。
現に、アップルの社長のスティーブ・ジョブズが死んでも、アップルは通常営業している。
だから、あなたがどんな偉い立場にいて、辞めたところで会社は回る。
それだけは覚えておいたほうがいい。
あなたが会社を辞めても、会社は回る。あなたが大きな失敗をしても、会社は回るし、世界は普通に回る。
あなたが失敗したら、誰かに迷惑をかけて、あなたの失敗の後処理やら修正やらしてると思って、申し訳ないという気持ちを抱え、一種の罪悪感を抱え、反省してるとしよう。
あなたの失敗の後処理や修正することがその人の仕事だから。各々、自分に適した役割をすることで、会社も、世界も異常なく回ってる。
逆に、あなたが失敗しなくなったら、その人たちの仕事を奪うことになってしまうから、そっちのほうが迷惑。
だから、あなたの仕事には、失敗することも入ってる。
失敗すること、迷惑かけること。それも仕事である。
反省して、次同じ失敗しないようにすることも大切だけど、それは仕事ではない。
「はんせいは
してもいいけど
しすぎるな」(五・七・五)
ネガティブになるぐらいまで、いつまでも失敗のことを考え続けるような反省なら、反省なんてしなくていい。
精神衛生上良くない。
あなたが何をしようが世界は回る。
失敗しても回る。迷惑かけても回る。
苦手なことをしても回る。嫌いなことをしても回る。
あなた一人がやる行為の影響力は微々たるものであるという事実。
だったら、失敗してもいいから、迷惑かけてもいいから、やりたいことやっちゃえよってこと。
なぜなら、それでも世界は回ってるから。
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コンプレックスなんて捉え方しだいで、コンプレックスではなくなるよね
パッと思いつく「コンプレックス」はいくつあるだろうか?
・童貞である
・もちろん彼女いない歴=年齢
・友達少ない(中高の友達出来た覚えない。友達出来たのが、大学一年の終わりごろ。今でも付き合いがあるのは、その頃の友達だけ。実質三人。)
・ブサイクである(笑うと目が無くなるぐらい細い)
・低収入
・大卒なのにフリーター
・今、部屋が汚い
僕の場合のコンプレックスはこれぐらいか。
てか、無理くりコンプレックスひねり出しただけで、もうこれがコンプレックスって思ってないけどね。
世間一般的には、自分のこれはコンプレックスなんでしょう?っていうのを具体例であげているだけで、僕にとってコンプレックスというより事実という意味合いのほうが強い。ただの事実、現状の私はこれです。はい、どうですかってことだよね。
なんで、ただの事実に変わったのか?
それは、コンプレックスに対する見方が変わったから。変えたという表現もできるかもね。
例えば、友達が少ないことはコンプレックスになりうる。
でも、なる人とならない人がいる。
コンプレックスになる人は、その状況を楽しめてない人。
それと、ホントは友達が欲しいけど、見栄はってんのか、意固地になって、自分から話しかけようとしてない人。
こういう人は、友達が少ないことをコンプレックスにしやすい。
僕の場合、一人でいることが好きだったから、友達が少ないことがコンプレックスにならない。
あと、テレビとかでも、誰かが「中学高校と友達が出来ず、ぼっちでした」みたいなエピソードを話せば、みんながみんな「悲しい」とか「信じられない」とか「えー」とか「寂しい」とか言い過ぎてるんだよ。
そうやって、「友達がいないこと=悪い」みたいな価値観が出来上がるから、無理してしたくもない友達作りし始めるんだよ。
そんなもんやりたい人だけやらせとけばいいし、やりたくなきゃやらなくていい。
友達が少なくて、寂しいかどうかなんて、当事者が決めるから、外野は黙ってろ!
あと、友達が少なくて悩むんでるのは、時間のムダ。
全ての悩み事っていうのは、決めたら悩まなくなるから、2つ選択があるからさっさと決めろよ!
①友達欲しいなら、自分から話しかける、誘う。
一番、大切なことは、「自分から」というところ。
受け身の姿勢は、なんでもそうだけど、何ももたらさない。
願い事が叶うのは、待ってるからではなく、自分から動いてるから
②友達いらないなら、1人の状況を楽しむこと。
単に、自分の好きなことをやる。趣味を見つけて、趣味に没頭する。
お笑い見る、深夜ラジオ聴く、漫画読む、小説読む、サッカー観戦
映画見る。
ほら、世の中には、いっぱい娯楽がありますね。
友達がいないというコンプレックスだけじゃなくて、コンプレックス全般にいえること、それは、自分の中でどうするかを決めてないからコンプレックスとして存在し続ける。
それは、悩みに関しても同じ。悩み事が存在し続けるのは、結局、どうするか決めてないから。だから、悩みとコンプレックスは同意義語である。
悩みたいから悩んでる。コンプレックス抱えたいから抱えてる。
単に、問題解決ごっこしてるだけ。それは、悩みの大小関係ない。
結局、決めてないから、悩みは存在するし、なんで決めてないのかっていうと悩みたいから決めてない。
それは、口ではコンプレックスを解消したいとはいうけど、本心はそう思ってない。
悩みを解決しないのは、現状維持できるからだ。
決めて、動けば、現状維持できなくなる。決めないのは、現状維持したいからだ。
もちろん、本人は無自覚だよ、本人も気づいてない。
決めて、動けば、次のステージに上がる。(便宜上、次のステージって書いたけど、どっちが上とかないからね)
上に上がるってことは、傷つく可能性とか恥をかく可能性があるわけ。
そのマイナスを受ける可能性が怖いっていうのが根っこにあるから、悩みたくて悩んでるんだと思う。
結局、マイナスが怖いから動いてないだけ。みんな傷つきたくない。
その上で、コンプレックスを受け入れるのか、直すのか。
今の顔を受け入れるのか、整形するのか。
どちらか選択肢があって、決めたら迷わない。決めたら、どちらも正解。
受け入れるんなら、受け入れる。整形して、悩まなくなるなら、整形する。
整形が怖くてできないのは、結局、マイナスを受ける可能性があるからできない。
現状維持か上のステージに上がるを天秤にかける。
ノーならノーでいい。イエスならイエスでいい。
とりあえずどっちか決める。決めた道で幸せになる方法を模索していけばいいし、幸せになる方法なら、必ずある。
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すごい人は、最初からすごかったわけではない。
料理が好きだから、料理人になる
サッカーが好きだから、サッカー選手になる
書くことが好きだから、書くことで生計を立てたい
好きなことをずっとやっていたら、下心が出てくる。
この場合の下心は、好きなことでどうやったら自分の承認欲求を満たせるかとかビジネスにつなげられるかとかを考え始める。
それは、すごく真っ当だと思う。
好きなことをずっとやってたら、それで誰かに評価されたいとか、それで社会に貢献したいって思うのは、当然。
ただ、一個問題がある。
それは、距離である。
料理が好きだから、料理人になりたい。
この段階では、料理人になれてない。つまり、今はなれてなくて、未来はなっているってことだ。
だから、<今>と〈未来〉の差を埋めようとする。
単純に未来まで歩けばいいわけだから。<今>できることを淡々とやること。
<今>に集中するってこと。
毎日料理する。毎日料理本読む。そうやって、〈未来〉までの距離を縮める。
同時に、将来料理でお金を稼ぎたいとか社会に貢献したいって思ってるなら、未熟なうちに、人前に晒す。
人前に晒さないと、どこが下手で、どこが無駄で、どこを修正すべきかが分からない。
評価されるっていうのは、それだけ自分自身を成長させてくれる。
料理の場合で言うと、例えば、
インスタに料理載せるとか
自分のためにしか料理を作ったことないなら誰かに作るとか
そうやって、具体的にすれば、最終的な料理人になるまでの道が明確になる。
ちなみに、ローラは、魚の三枚おろしのやり方が分からなかったとき、和食で働いてる人に、直接電話で教えてもらったみたい。
それも、まったく面識ない状態で、電話して教えてもらったみたい。
「魚って、どうやって捌くんだっけ?分かんな~い?上手い人に電話しーよう!」
リアル、こんな感じだったんじゃないかな。
このエピソード聴いたとき、ローラまじすごいって思ったよ。
だって、素直すぎるじゃん。分かんないからとりあえずプロに聞いちゃおうで聞けるんだよ。
普通の人は、失礼だと思って聞けないし、相手にしてもらえないだろうと思って電話しない。
そういう自意識とか恥ずかしいっていう思いが邪魔してそういう行為できない。
多分ローラがやってることは、芸事がうまくなる一番の近道なんだと思う。
料理が好きだから、料理して、その料理インスタにあげて、あげるたびに、料理がおいしく見える写真の撮り方だったりを自然にマスターしていって、料理で分からないところはとりあえずプロに聞いて、教えてもらってみたいな。結局、料理本出してみたいな。
たぶん、ローラだからできるんじゃない。みんなやってないだけやればできる。
ローラは料理がうまいから、センスがあるからできるんじゃない。みんな人前に晒すのを怖がって、醜態晒したくないとか恥ずかしいとかもっともらしい理由つけて、やらないだけ。
例えば、今、あなたが憧れてる人は、最初からすごかったわけではない。
すごくない自分も人前に晒した。醜態も晒したし、羞恥心も刺激されるし、その状態から人前に出してる。
当たり前だが、すごい人は最初からすごいわけではない。
ローラだって、最初から有名なローラではない。
有名なローラになれたのは、かわいいからだけではない。
人前に晒して、もっとかわいくうつるように努力したし、バラエティのローラは芸人並みにおもしろいし、そうやっていろんな面のローラを出していくことで、バイオハザードに出れるようになったよね。
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いくらお金を稼いだかには興味ないけど、どうやってお金を稼いだかは興味ある
月末といえば、「給料日」
お金をいくら稼いだかって、みんな興味あると思うんだけど、
僕はあんまり興味ない。
月収5万だろうが、10万になろうが、15万になろうが、稼いだお金には興味ない。
ただ、どういう過程でそのお金を稼いだかには興味ある。
だから、給与明細の額面の数には興味ない。
0の数が一個増えようが、減ろうが興味ない。
だから、給与明細は基本、ごみ箱へ行き。それぐらい、お金に無頓着。
興味があるのは、しんどい思いして10万なら10万稼いだのか、それとも苦労せず、楽に、10万稼いだかどうかは気にしてる。
もちろん、この場合、いいのは楽に稼げたかどうかが大切だし、お金に関しては、額面の目に見える情報より心理的な目に見えない情報がもっとも大切であり、それぐらいいくら稼いだかは気にしてない。
僕にとって、苦労して10万稼ぐより、楽して5万稼ぐほうが価値があるし、苦労して20万稼ぐより、楽して10万稼ぐほうが価値がある。
ちなみに、今月はちょっと苦労して12万稼いだ。
だから、来月は、楽して12万を目指す。
まぁー来月の額面では、15万ぐらいいくから、どれだけ楽して15万を手にできるかだよね。
まぁなんで10万円っていう「結果」じゃなくて、10万円到達するまでの「過程」を大切にしてるかっていうと、これはある考えに基づいてる。
それは、「どれだけ楽しめたかのバロメーターがお金」という考えがある。
単純に、楽しめたら楽しめた分だけお金はもらえる。
楽しんで仕事やってる人と苦労して仕事やってる人、どっちが勝つかって言われたら、楽しんで仕事やってる人。
なぜなら、心理的に楽しんでるっていうのもあるけど、上達するのも楽しんで仕事やってる人だからだよね。
ある分野で苦手なことで、嫌いなことやってる人がいて、方や、得意なことで、好きなことをやってる人がいたら、その人にはどれだけ頑張っても一生勝てない。
自分の特性が生きる場所で、働けばそれだけ、「できる」って思えることが多くて、自信になって、それだけ楽に稼げるわけだし、自分の特性が生きない場所で、働けば、当然、逆の結果になる。
あと、自分が持ってる特性が一つの場所でしか活躍できないことはないからね。
例えば、「雑談力」っていうスキルがあって、営業の仕事やってるとする。
この人営業やめて、他にその特性生かした仕事もできるのよ。
ホストとかバーテンダーとか他にも自分で調べていけばいっぱいある。
今の仕事をどれだけ楽しんだところで給料は上がらないと分かってるなら、さっさと自分の特性生かせる仕事をすればいいだけ。
どれだけ有能であっても、職種によっては給料上がらないって考えれば分かるものがあって、それは「どれだけ楽しめたかがお金のバロメーター」を適用できない。
だったら、そのルールが適用できる場所かそもそものお給料が高いところにいけばいい。もちろん、自分の特性を生かしたという条件付きである。
「会社とは利用するものである」って、銀行に勤めてる偉い人が言っていた。
そう割り切ったほうがいい。会社とは、自分の特性に気づかせるところであり、能力を上げるところであり、技術を磨くものであり、それらの利用価値がなくなったら、さっさとやめたほうがいい。
個人の特性が強化されても、そこではそれなりのお金がもらえない確率が高い。
だから、そこ離れて、別の場所で働く。
その行為に、罪悪感とか道徳心とか自己犠牲っていう概念を入れちゃうと決断できない。
結局、最後は、自分がどうしたいかだけだから。決定の最後の最後はそこしか見なくていいから。
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ハードルとか敷居を低く設定するには
ハードルって高いより低いほうがいいよね。
何に関しても、
お笑いだって、ハードル低いほうがいい。
「おもしろいことあってさ~」から始まるトークより、
「昨日ね、遊びに行ってて~」から始まるトークのほうが、
ハードル低いし、ウケる確率が高い。
「おもしろいことあってさ~」ってそれだけで、聴くほうは身構えちゃうんだよ。
身構えるっていうのは、囚われるとか執着してるとか肩に力に入ってるって言い換えてもいい。
こういうのはなければないほど、人生うまくいくわけ。
両手に荷物持ってる人と両手になにも持ってない人、どっちがうまくいきそうかって言われれば、持ってない人のほうがうまくいきそうじゃん。
物の断捨離とかは、執着をなくすことにもつながるんだと思うよ。
物だけじゃなく自分の思想・哲学とかも断捨離すれば、執着しなくなるよ。
いろんなことに、、、。
ハードルが高くなったら、何か新しいことを始めるのが怖くなる
敷居が高くなったと感じたら、何か新しいことを始めるのが怖くなる。
怖くなって、結局、やらずしまい。っていうこと多くない?
これね、何がハードルとか敷居とか高くしているかっていうのを掘っていけば分かるわけ。
ハードルを高くしてる原因は、一単語で言うと、<条件>。
例えば、高級レストランに行くとする。
ってなると、最低限その場に相応しい恰好をしてから、レストランに行く。
この場合、おうちで、場にふさわしい恰好をする行為(ドレスコードってやつ?
スーツだよねたぶん)が〈条件〉
ブログを書き始めるとする。
そうすると、基本的には、ネットにブログが公開される。
つまり、誰かには見られるってことは、それなりに文章も恰好つける。
恰好つけないにしても、小ぎれいな文体にする(起承転結は守る、文脈を考える、箇条書きにならない、文の意味は通ってるか考える)
こういうのも、全部、〈条件〉。
それとプラスアルファ。自意識とか恥ずかしいとかそういう感情レベルも入るとそうとう<条件>の数が膨れ上がって、何か新しいことも始められないのだ。
まとめると、条件の数が多い人ほど、新しいことは始めにくいし、
条件の数が少ない人ほど、新しいことは始めやすい。
世間では、条件の数が多い人のことを、完璧主義者とかこだわりが強い人と言われてたりする。
まぁ、バカか賢いかでいったら、賢いと思うよ。
ただ、賢さと引き換えに、身軽さはなくなってるけどね。
身軽になりたきゃ条件は捨てるってことだね。
僕なんかでいうと、例えば、ブログ書いてるとき。
文脈とか気にしなくなったし、箇条書きでもいいやってなってるし、文の意味が通ってるかどうかなんて気にしなくなってるから。
当然、推敲なんてしないしね。
ほら、全然、こだわりないでしょ。今日だって、書くことない状態ってキーボードに指置いてから、ちょっとしてから書き始めたからね。
いや、ほんとに、ブログだけじゃなくてほとんどもの敷居とかハードル低いからね。
みんな何かに対して、情報が入れるから、それだけ思い込みの数が増えていって、それが条件の数になるんだからね。
ほとんどのやつ、スッと始められるよ。
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流れ星に願い事を「一瞬だけ」する
30分で書こうと思う。
僕は、ブログを書くことよりしないといけないことがある。
まず、休む。それから、漫画読む、仮眠する。そして、バイト行く。
バイト行くまでにやりたいことは、ブログを書くではない。
書いてるのは、自分で毎日書くと決めたから、書いてるだけだから。
ただ単に、ブログを書く機械と化してる。
最近は、特に。
僕は、書くこと以外にしなければいけないことがある。
まず、「時間がない」。
だから、時間を確保したい。
ってことは、仕事の時間を減らせばいい。
七月は自分の思惑通り、仕事の時間は若干減る、八月も七月より減る。
自分の思い通りにことが進んでいる。
ある程度は、、、。
ただ、まだ六月だ。
自分の思いが現実化するには、タイムラグがある。
ソファーが欲しいと思った瞬間に、ソファーが空から降ってこないのと同じで、ソファもちゃんと店頭なりネットショッピングでかって、業者がソファを運んでってなると、2,3日かかる。
要する、そうしたいと願うだけではそうならない。
流れ星に願いを申し出ただけでは、何も起きない。
結局、行動するかしないかの問題になってくる。
正直、願望とか欲求の数の多さは、人生を楽しめるかどうかとは関係ない。
逆に、願望が多すぎると肥大化し、ストレスの元になってよくない。
流れ星に願ってるだけ、神社にいって拝んでるだけ状態である。
願望の数が100で、行動の数が0の人と願望の数が50で、行動の数が50の人、どっちが楽しいかって、もちろん後者のほうである。
こういう人は、流れ星に一瞬願うだけで終わる。
一瞬だけ願うのは、願っただけでは何も起きないと分かってるから。
そんな暇あったら、そうなるように動く。
こういう人は、願望に現実味をもたらすし、ほとんどは現実化する。
願望って、遠くにあるように感じる人が多いかもしれないけど、案外近いよ。
動けば、すぐとはいわないけど、大体叶う。
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「時間がない」を実感してる
今、思うこと。
「時間がない」って、思う。
そう思うなら、時間を作ればいい。
人間には等しく24時間だけ天から与えられてて、その時間を増やしたりすることはできない。
だから、自分の一日の中で無駄だと思う時間を減らせばいい。
無駄な時間を過ごしてるから、「時間がない」って思うのであって、
ずっと楽しい時間を過ごしていれば、「時間がない」って思わないのだ。
よく「時間がない」とリンクされるのが、「追われる」という表現だ。
「時間に追われる」、「会社の時間に追われる」、「家庭の時間に追われる」、「お金を稼ぐことに追われる」
この「追われる」も、自分にとって嫌いな時間を過ごしてるときに感じるものである。
楽しいときに、「時間に追われる」なんて思わない。
あと、「忙しい」という状態。
これが口癖の人も、無駄な時間を過ごしてる。
無駄な時間を過ごしてるから、忙しいという表現が生まれるのだ。
「時間がない」も「時間に追われる」も「忙しい」も全部同じ意味。
この言葉に脳と身体が支配されてたら、自分の生活を見直すタイミングなのだ。
単純な話、嫌だと思う時間を減らす。
他人のためにとかお金のためにとかで過ごしてる時間は極力なくすってこと。
そうやって今過ごしてる中で、無駄だと思う時間を書き出してみる。
30分あればすぐ見つかる。
僕の場合は、単に働きすぎ。
だから、休みを確保する。
そういうのが主だと思う。
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