本能に従えば気分良く過ごせ、理性に従えば我慢を強いられる

 

「本能に従えば気分良く過ごせ、理性に従えば我慢を強いられる」

どういうことか一から説明したい。

 

 

本能を理性で抑えない

人間は、欲を満たすために、行動している。それは、周知の事実。

そして、欲を満たしたいという本能を理性で抑える。これも、周知の事実。

私が、訴えたいのは、人間特有の本能を理性で抑えるという行為を無力化すべきだということ。

なぜなら、そうすれば、毎日気分よく過ごせるからだ。

気分よく過ごす感覚

人間の欲、本能。

どういったものがあるか。

僕の場合で言うと、ヤリたい、寝たい、食いたいといった三大欲はもちろんのこと。

他には、休みたい、サボりたいなどがある。

そして、全人間もってるであろう欲求がある。それが、承認欲求である。

最近、思うのだが、これがあるから、人は不幸になるのではと思う。

好かれたい、認められたい、地位を築きたいと思った人間がやることはなんだろうか。

いっぱい働く、空気を読んだ発言をする、媚びを売るといったこと。

なぜか、この欲求には、理性が働くみたいだ。

もっとわかりやすく書けば、嘘をつくかもしれないということ。

ここで思い付きの例を書く。

私は犬が嫌い。好きな人は犬が好き。

この場合、犬が嫌いだと公言するのは承認欲求を満たしたいならなし。

そして、私は仮に、犬が好きだと言って、むこうが喜ぶとしよう。

承認欲求は満たされるかもしれないが、嘘をついたから我慢が発生する。

逆に、私がもし、犬が嫌いだと言って、向こうが怒ったとしよう。

承認欲求は満たせていないが、本能に近い欲求は満たせているはずだ。

こちらのほうが、いいだろう。

後者のほうは、極端な例だが、眠たいから寝てる感覚。

前者のほうは、眠たいけど寝ない。なぜなら、上の例で言うと、好きな人に嫌われるから。

一度や二度そうやって嘘をついても構わないが、何度もしている内に、精神的に参ってしまう。

逆に、本能に従えば、気分がいいはずだ。だって、寝たいとき寝てるし。

理性を無視し、本能を優遇する

欲が発生したとき、理性と本能という概念が出てくる。

理性は、客観的。本能は、主観的。

理性は、人がいいと思ったものをすること。本能は、自分がいいと思ったものをすること。

世の中では、本能を理性で抑えることは常識とされている。

ということは、理性というのは、すごく大事なものなんだろう。

でも、みんなは、理性というものに縛られすぎている。

理性なんて無視すべきだよ。明確な理由はないけど、なんとなく、そうしたほうがいい。

 ※反対のことを書いてるよ。見てね

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