「損得」より「好き嫌い」で物事を選びなさい

どうしても、私たちは、損得で物事を選びがちだ。

誰しも、損はしたくないし、できるなら、得をしたい。

得がありそうな道を選び、損がありそうな道は捨てる。

そして、損な選択を選ばなかった人は、何故か、後悔する。

得がありそうな道を選んだのに、損を選択を選ばなかったと、後悔という損を受けるという本末転倒が起きる。

それは、好き嫌いという尺度を使っていないからだ。

損得というある種、条件の世界は、好き嫌いという、無条件の世界をないがしろにする。

ほんとは、無条件の世界を信じたいのに、条件の世界は、それを簡単に飲み込む。

それだけ、条件は強力なのだ。

そして、条件は無条件の壁となり、時には、敵となって現れる。

その壁は、様々な形で現れる。常識、大人、多数派、学校、親といった形となって、現れる。

それは、受けとる人間によって、違う。ある人は、常識という条件に縛られることが多く、ある人は、大人という条件に縛られる。

そうして、条件に縛られたあなたはどうなるか。好き嫌いという無条件を失い、大人や、常識といった条件に、判断する権利を奪われる。

そして、条件の世界に追いやられたあなたは、あらゆる物事を、条件の世界のルールで選択する。

しかし、何かがおかしいと感じながら、その世界に属する。

際立って、損はない。でも、際立って、得もないのだ。敏感な人なら、無意識に、気づくのだ。この世界では、自分であらゆることを判断しているよう錯覚してしまうが、実は、巨大な他人が、自分の代わりに、判断しているのだと、気づく。

それも、相当数は、意識的ではなく、無意識的に気づく。しかし、たまに、意識内に、現れるが、すぐ消える。

だから、条件の世界から抜けることができないのだ。では、どうすれば、条件の世界から脱し、無条件の世界に移動できるかというと、それは、一言で言えば、「考えるな。感じろ」である。

人には、考えるという機能があり、それは、脳がしてくれている。その、考えるという機能のスイッチをオフにしてほしい。そうすれば、必然的に、「バカ」という状態に、自分を陥れることができる。

そこで、スタートラインに立てる。無条件の世界への、扉のドアにあなたは、手をかけている。

あとは、引く勇気だけだ(もしくは、押す勇気!)

あらゆる場面で、あなたは、選択を迫られる。その選択を迫られた、あなたは、大人や常識といった条件の邪魔を受ける。それは、しょうがない。これは、どんなに、無条件の世界で生きている人間だとしても、この邪魔は受ける。問題は、こいつに、選択権をとられないことだ。

そのために、さっきも書いたけど、考えるというスイッチを切るんだよ。

そしたら、感性の部分が際立って、おのずと、好き嫌いで判断できるから。

二つの岐路にたったあなたは、楽しい道を選びなさい。

そして、なるべくなら、その選択に、理由や意味をつけないで。

魚好きの人が、魚好きの理由はわからないように、好きなモノに理由なんて、ないんだから。「ただ、好き」それで十分だし、それしかいらない。

好き嫌いに理由をつければつけるほど、嘘ぽく聞こえるし、疲れるから。それだけなら、まだしも、理由や意味は、条件の世界に直結するキーワードだから。

だから、理由や意味に囚われないこと。好きなものは好き。嫌いなものは嫌い。

小さいときは、当たり前に、出来たこと。大人になったら、難しくなっていく。

こうかくと、子供から学ぶことって、いっぱいあるし、子供だからって、見くびっちゃダメだよね。

子供だけでなく、いろんなことを、自分の目で、価値観で判断したいよね。

自分の人生は、他人じゃなくて、自分が生きてるんだから。こんなこと、当たり前すぎて、みんなも、忘れてると思う。人間、先々のことを考えることに長けてるけど、近いところを考えるのは、苦手だっていうね。

今日は、なんか、いつもと、ブログの感じが違う。なんか、抽象的というか、なんというか。まー、たまにはね。