重くお金を入れたら、重くお金を使うことになり、軽くお金を入れたら、軽くお金を使える

日に日に、「やり方」とか「テクニック」というのに興味がなくなっていくんだよね。

例えば、お金持ちになりたかったら、気持ちよくお金を出して、気持ちよく入れるのお金の循環にするとか興味ない。

まず、お金持ちに興味ない。

自ずと、お金持ちのなるための方法(気持ちよく出して、気持ちよく入れるなど)など興味ないんだけど、知らぬ間にその方法やっちゃってることがある。

僕が毎日心がけてることは一つしかなくて、それは、

「居心地よさを保つために、楽しいことだけする」

なんだけど、それやってると、自然に気持ちよく出して、気持ちよく入れるが出来てたりする。

自分にとって居心地の良さが当たり前なわけだから、

好きなものしか買わないし、好きなサービスにしかお金を使わない。

多少値が張っても、最初に、「これ好き、買いたい」と思ったら、その衝動で動いちゃう。

となると、お金を貯金しようとする考えが自分からなくなる。

居心地の良さが絶対だと決めたときから、お金を貯めようなんていう考えが頭に上がったこともない。

かといって、好きなことに惜しげもなくお金を費やすだけで、浪費するわけでもないから、貯金されるにはされるだけど、貯金しようとしたわけではない。

勝手に、自然に貯金されただけ。

そうやって、自分の喜びのためにお金を使って、

他人の喜びのためにもお金も使う(奢るなど)

他人にお金を使ったからって、「見返り」を求めるわけでもない。

お金を使うことによって、喜んでくれるだけで元がとれてるし、

無意味に一万円使って後悔して悩んでる時間があるなら、その時間で働いてすぐお金稼げると思ってる。

正直、お金使っても、お金がなくなったっていう感覚がない。

たぶん、不明に自分の通帳から一万円が抜かれていたとしても、そんなに怒ることもないと思う。

それぐらいお金に執着がない。それは潜在的に使ったお金は、その分働くなりなんなりしてお金が入ってくると思ってるから。

もし、お金の入ってくる流れが悪かったら、お金への執着も強くなってたんだと思う。

今のところそれもない。

お金を稼ぐことに関しても、いかに楽に、気持ちよく、楽しくを心がけてる。

苦労して20万円稼ぐより楽しく15万円稼ぐことのほうが価値があると思ってる。

お金への執着のなさはそこから来ている。

お金は使っても、どうせ軽くお金は入ってくると思ってる。

これが苦労して稼いだとなると、重くお金が入ってきたという感覚に変わるわけだから、お金を使うのにも躊躇する。

お金というのは、損得勘定しながら、悩みながら使っても楽しくないのだ。

お金というのは、楽しむためのツールでしかない。

所詮ツールなわけだから、お金なんてなくても、楽しめる。

お金を使うことでしか、ご飯が食べられるわけではない。

奢ってもらえばいいし、親にお金をもらえばいいわけ。

そうやってもお金が少なくても楽しく生きていけるという感覚を養えば、好きなものにお金を使えるし、苦労せずに軽くお金を稼ごうっていう流れに必然的になっていくはず。

 

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