自分ではない何者かになりたいのは、単に、失敗したくないだけ

ふと、矛盾に気づく場面がある。

失敗しないように、ミスがないように仕事してると、心のどこかで、失敗してくれないかなって思う。

失敗したとしても、悩まないし、落ち込まないだろうなと思うんだけど、失敗しないようにっていう意識でい続けることがしんどいし、めんどくさい。

「失敗しないように」

「負けないように」

「常識からずれないように」

「恥かかないように」

この意識になってるとき、同時に、「あー失敗して楽になりたい」とか「あー負けて、ほんとはちゃんとしてない人って思われたい」って思う。

たぶん、大抵の人は、

「失敗しないように」

「負けないように」

「常識からずれないように」

「恥かかないように」

だけを守ってるんだと思う。

なぜ、守るか?それは、それさえ守れば、波風立てずに過ごせるから。

自分の行動が周囲の琴線を立てずに済むし、要はおかしいって思われずに済む。

正しいけど楽しくない。「失敗しないように」は、成功することを意味しない。

結局枠からはみ出してないから、-1でも+1にもならない。0のまんまである。

正しい世界って、めっちゃ生きづらいわけ。

例えば、周囲の人が、きちっとしてて、頭が良くて、論理力がすごくて、瞬時に常識的な答えを導き出せて、要領が良くて、効率が良い人が自分の周りに居たらどうだろう?

普段、不真面目な人でも、そういう人に引っ張られて、ちゃんとしようとするだろう。

バカな人は、賢いフリをし始める。

「失敗しないように」の始まりは、バカな人が賢いフリするみたいに、自分ではない何者かになろうとする行為なんだと思う。

別に、論理力がすごい人とか要領が良い人が論理力にかける人とか要領の悪い人より優れてるなんて話はない。

論理力がすごくても、生きづらい人はいるし、要領が悪い人でも、生きやすい人もいる。

この違いは、自分ではない何者かになろうとしてるかしてないかだけ。

ありのままで生きれてる人、自分を生きれてる人は、しんどくない。

「失敗しないように」の世界で、失敗しなければ、とりあえず平穏でいられる。

けど、すごくつまらない。なぜなら、正しい答えだけ探し続けるだけだから。

その世界では、必然的に、正しいことを求めることが得意な人が勝つ。要は、論理力が最強な奴が、その世界で最強に君臨する。

今までは人間で、これからはAI(人工知能)だ。論理力、計算で人間は機械には勝てない。

人間にはエラーが出る。「失敗しないように」世界は、エラーがでない人が重宝される。

ただ、AIには勝てない。ロボットのような正確無比な人間はいるが、所詮、ロボットのようなであり、ガチのロボットにはガチの正確性が搭載されており、「失敗しないように」の世界ではロボットが占領する。

そもそも「失敗しないように」の世界自体が、人間がものすごい生きづらい世界なのだ。ロボットがその世界を担ってくれるなら、ロボットさまさまだし、もっとも理に適ってる。何かの調査によれば、ストレスのかかる仕事のほとんどが、ロボットにとって代わられるみたいだ。

要は、論理の分野は、ロボットがやってくれる。

一方で、感性の分野は、人間しかできない。

人間にあって、ロボットにないもの。それが感情である。

「好き、嫌い、しんどい、疲れた、苦しい」は、人間にしか出せないものだし、

正しさの答えが、例え、エラーだったとしても、人間味になるのだ。

だから、単純な話。

好きなことやって恥かけば、人間味になるし

好きなことやって失敗すれば、人間味になるし

そうやって、人間味が蓄積されれば、感性の分野で重宝されるだと思うよ。

眠い、寝ようっと。

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ブログを書きたいけど、書けるネタがなくなったときの対処法

「書くことない。どうしよう」

こんな日が毎日。毎日書けば、書くことがなくなる。当たり前だ。

書き始めて一週間で、自分のインプットが底をつく。

だから、すぐに、「書くことない。どうしよう」になった。

一日起きてすぐに、「書くことない。どうしよう」って思う。

でも、書くことが日課になると、脳が勝手に、書くための材料を集めようとしてくれる。

分かりやすいところで言えば、一日で起きた経験とか。

経験っていっても、毎日、未知の経験をするわけではない。

ほとんどが既知である。デジャヴっていう奴だ。

未知の経験は、ブログの材料になりやすい。

既知も、ネタが底を尽いたら、ブログの材料になる。

っていうより、実感としては、既知のほうがブログを書くことに関しては、お世話になっている。

僕も含めて変わり映えのない日々を過ごしてる。

みんな同じような景色を見て、仕事をするか、学校に行くかして、その後家に帰る。

仕事先では、人がいて、家には、人がいて。ということは人間関係の問題がついて回る。

みんな同じような生活をしてる。

でも、方や、すごく苦しんで生活してる人がいて、自殺したいっていう思いを抱えながら、生活をしてる人がいて。

一方で、人生、イージーモードで、悩みがまったくないという人もいる。まぎれもなく、僕のことである。

人生、イージーモードで、悩みがまったくなくて、しんどい思いをしていないことがここ一年のデフォルトになっている。

だから、日を追うごとにデフォルト前が思い出せなくなっている。

僕のデフォルト前は、ネガティブで、自意識過剰で、なんとなく生きづらくて、バカなくせに難しいことばっか考えていた。

それを心理学の知識を自分の体を人体実験として使い、半ば強制的に、イージーモードで悩みなしにした。

ただ、どうやって、変化したのか具体的には思い出せない。

思い出す手がかりは、デフォルト後の日常である。

主に、人と話しててとか、誰かが誰かに怒ってるのを見たり、または僕自身が怒られたり、嫌われたり、それでも僕は悩まなくて、ストレスを抱えない。

その瞬間、人生イージーモードにする手がかりとかノーストレスでいれる方法とかを思い出す。

「怒られた瞬間、こういう風な思考回路だから悩まないのかー。じゃあ、次、ブログに書くことは、この思考を書けばいいとか、人ってこの瞬間に苦しくなるんだろうなー。それは、共感できる。だって、前まで、その状況で、苦しんでたから。でも、今その状況自分に起こっても、ノーストレスでいれるわ。じゃあ、次のブログ。それ書こう」

結局、そういうことを書くようになる。

日常は、ただ日常を暮らせば、変わり映えはないけど、意識すれば、日常を違う角度から見ようとして自分が無意識に考えてることを発見できる。

これは、日常の中に、非日常を見つけるという行為である。

そうやって、明日も、日常の中の非日常を見つける作業をするんだと思う。

 

 

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人を嫌いになるのは、100%自分の問題。

昨日、ホンマでっかTVを見てたら、池田先生っていうハゲのおじさんが、女優と俳優に、「嫌いな人がその場に居たら離れますか?」っていう質問をしていた。

質問の意図は置いといて(ちなみに、人生がリア充する可能性)

僕は、嫌いな人がその場に居たら離れるなと思った。

なぜなら、いい気分でずっと過ごしてたいから。それだけ。

そもそも、嫌いな人はいるのかって話だよね。

当然、多くはないけど、いるよね。

で、これも当たり前だけど、その嫌いな人は、他の誰かには好かれてて、信頼されてるから、人の好き嫌いっていうのは、相手の問題じゃなくて、自分の問題だから。

人を好きになるのも自分の勝手。

人を嫌いになるのも自分の勝手。

ついでに、人を怒るのも、怒る側の勝手。怒られる側に理由はない。

だって、同じ状況でも怒る人と怒らない人が出るでしょ。

怒るのは、単に、自分のルールを破られたから、怒ってるわけ。

人の好き嫌いも、基本的にこれと同じ理論である。

要は、自分の哲学・思想・考え方と違ったものを目の前で見たら、その人のことを嫌いというボックスに入れてしまう。

じゃあ、ちょっと、僕の基本的な考え方を書いてみるね。

「頑張って結果を出そうとして出せてしまう人。賢くいようとして賢く入れてしまう人。仕事ちゃんとやろうとして、ちゃんとやれてしまう人。テキパキ動こうとして動けてしまう人。僕、こういう人みると怖くなっちゃう。同じ空間にいると、そういう人に無意識に引っ張られるから。もう、随分前に、賢くいれることも、仕事が出来る人でいることも、結果を出そうとすることにも、評価されようとすること。そういう競争から下りたから。例えば、自分と同じ空間に、自分より賢くて、仕事ができて、頭の回転がはやい人がいるとしよう。はっきり書こう。一言で言えば息苦しい。思考回路としては、怒られないように、失敗しないようにってなる。普段の自分と考えてることが真逆になる。普段は、失敗してもいいし、怒られてもいいから好きなようにやろうって思考回路だから。分かりやすく書けば、自分より賢くて、頭の回転が速くて、要領が良くて、論理力がすごい人が嫌いってこと。最低なのか、褒めてんのかよく分かんないけど、まぁ嫌いだよね。反対に好きな人は、ゆるい人、頑張らない人。世の中には、頑張って結果を出そうとして出せる人と出せない人がいます。仕事をはやくやろうとしてやれてしまう人とはやくやろうとしても遅い人がいます。僕が一緒にいて、心地いいと思える人は、結果を出せない人であり、仕事が遅い人。もっと言えば、そういう自分を受け入れてる人。頑張っても結果が出ない、頑張っても仕事が遅いを受け入れてる人は、そもそも結果が出る自分でいようとか仕事が速い自分でいようとかって思わない。

まとめれば、頑張らない人は好き。疲れないようにやってる人は好き。ゆるい人は好き。すごい自分になろうとしない人が好き。上機嫌でいれる人は好き。ちゃんといい意味で隙っていうか、欠陥があって、そこをちゃんと受け入れてる人は好き。要は失敗しても笑ってる人。っていうか鈍感な人」

まーこんな感じかな。

あんま自分の好き嫌い言語化したことないけど、言語化してもあやふやだよね。

 

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趣味がないと悩んでる君へ。これやるといいよ。

僕には、好きなことが山ほどある

・心理学

・映画

・小説

・漫画

・深夜ラジオ聴く

・ランニング

・サッカー

・料理

・お笑い番組見る

・ブログ書く

・スノーボード

こんなに好きなことがあるから、基本、暇な時間というのはない。

時間が空けば、漫画読んでるし、ブログ書いてるし、ランニングしてるし、何かしてる。

なんで、こんなに好きなことに囲まれて生活するようになったのかふと考えてみた。

何個か理由がある。

1つには、他の人に比べて、友達が少ないからだ。

実質、四人しかいない。四人とも今、社会人でみんな地方に飛んじゃってて、会えるのはゴールデンウイークとお盆と年末年始だけで、それ以外は一人で過ごしている。

別に寂しいというのはない。むしろ一人は結構すきだから。

1人でいると、必然的に、時間を潰せる楽しいものを見つけようとする。

年々、好きなことが増え、年ごとにハマるものは違うけど、一度好きになったものは、基本好きであり続ける。

だから、ふとしたときに、すごく前に好きになったものをやればまた、ハマったり。

今、ハマってるのは、漫画とお笑い見ることとブログ書くのとランニングと料理かな。

ハマってるし、毎日やってるもの。

二つ目は、これが一番大きい理由だと思う。

やりたくないことをしてる時間と嫌いなことをしてる時間を徹底してなくしたからだと思う。

じゃあ、仕事はどうかというと、仕事は嫌いなことではない。かといって、好きでもない。

単に、得意なだけ。楽にその仕事ができるからその仕事をやっている。

これは、お金を稼ぐ上での、数少ない僕のルールである。

なぜ、仕事は得意なことをやったほうがいいのか。

それは、仕事中ノーストレスでいれるから。ってことは、仕事後もノーストレスでいれるってこと。

反対に、苦手なことをやれば、仕事中はストレスで過ごし、仕事後もストレスを抱えて過ごすということになる。

そうなると、好きなことをやる暇なんてなくなるわけ。

だって、そんなことしてる暇あったら、仕事のこと考えて、憂鬱になるという時間を過ごすから。

単純な話。

今が続いてるだけなわけ。

仕事中ストレス抱えれば、その後もストレスで過ごすことは理に適ってるし、

反対に、仕事中ノーストレスなら、その後もノーストレスで過ごせるだろうし、

そういう風に考えると、<我慢が美徳>という考えは間違いだらけ。

我慢して仕事してるから、そのお金で欲しいものが買えて、好きなことができるなんて思ってるんだとしたら、その考えは破棄して貰いたい。

我慢して平日働いてる人の休日は、結局、仕事のストレスを抱え、外出する余裕もなく、寝ているだけで終わる。その間頭の中は、仕事のネガティブに頭が埋められる。

結局、我慢からは、我慢しか生まれないのだ。

我慢の積み重ねは、嫌いとやりたくないの積み重ねであり、

我慢し続ければ、嫌いとやりたくないがあなたを覆い尽くし、

好きなことからどんどん遠ざけていく。

たぶん、今、好きなことをできてるのは、一日通して、ノーストレスで入れてるから。

 

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あなたがどれだけ大きな失敗をしたところで、会社は回る

混乱する人と混乱しない人。

落ち着いてる人と落ち着かない人。

慌てる人と慌てない人。

ネガティブな人とポジティブな人。

落ち込む人と落ち込まない人。

混乱する人は、総じてネガティブで、ことあるごとに落ち込み、慌てる人である。

混乱しない人は、総じてポジティブで、落ち込まないし、反省しない。

混乱する人と混乱しない人の違いは、失敗したあとの対応で分かる。

失敗して、落ち込む人は、なるようにならないと思ってる。

実際には、どんなに大きな失敗をしたところで、世界はなるようになってる。

あなたが仕事で失敗して、会社に迷惑をかけたと思ったところで、数時間後には平常通り会社は回ってる。

つまり、あなたが失敗してどれだけ混乱したところで、会社の被害はなく、もちろん混乱しない。

じゃあ、もっと話をワイドにしよう。

例えば、あなたが会社を辞めたいという思いを持ってるとしよう。

同時に、自分が会社を辞めることで会社に迷惑をかけてしまうという相反する思いを持ってるとする。

まず、このあなたが会社を辞めることで迷惑をかけてしまうという思いは持つだけムダだから、さっさと辞めたきゃ辞めましょう。

あなた一人会社を辞めたところで、会社は回るし、世界は回ってる。

もし、あなた一人会社を辞めて、会社が倒産したら、あなたがいても近い内にその会社は倒産してる。

現に、アップルの社長のスティーブ・ジョブズが死んでも、アップルは通常営業している。

だから、あなたがどんな偉い立場にいて、辞めたところで会社は回る。

それだけは覚えておいたほうがいい。

 

あなたが会社を辞めても、会社は回る。あなたが大きな失敗をしても、会社は回るし、世界は普通に回る。

あなたが失敗したら、誰かに迷惑をかけて、あなたの失敗の後処理やら修正やらしてると思って、申し訳ないという気持ちを抱え、一種の罪悪感を抱え、反省してるとしよう。

あなたの失敗の後処理や修正することがその人の仕事だから。各々、自分に適した役割をすることで、会社も、世界も異常なく回ってる。

逆に、あなたが失敗しなくなったら、その人たちの仕事を奪うことになってしまうから、そっちのほうが迷惑。

だから、あなたの仕事には、失敗することも入ってる。

失敗すること、迷惑かけること。それも仕事である。

反省して、次同じ失敗しないようにすることも大切だけど、それは仕事ではない。

「はんせいは

してもいいけど

しすぎるな」(五・七・五)

 

ネガティブになるぐらいまで、いつまでも失敗のことを考え続けるような反省なら、反省なんてしなくていい。

精神衛生上良くない。

あなたが何をしようが世界は回る。

失敗しても回る。迷惑かけても回る。

苦手なことをしても回る。嫌いなことをしても回る。

あなた一人がやる行為の影響力は微々たるものであるという事実。

だったら、失敗してもいいから、迷惑かけてもいいから、やりたいことやっちゃえよってこと。

なぜなら、それでも世界は回ってるから。

 

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コンプレックスなんて捉え方しだいで、コンプレックスではなくなるよね

パッと思いつく「コンプレックス」はいくつあるだろうか?

・童貞である

・もちろん彼女いない歴=年齢

・友達少ない(中高の友達出来た覚えない。友達出来たのが、大学一年の終わりごろ。今でも付き合いがあるのは、その頃の友達だけ。実質三人。)

・ブサイクである(笑うと目が無くなるぐらい細い)

・低収入

・大卒なのにフリーター

・今、部屋が汚い

僕の場合のコンプレックスはこれぐらいか。

てか、無理くりコンプレックスひねり出しただけで、もうこれがコンプレックスって思ってないけどね。

世間一般的には、自分のこれはコンプレックスなんでしょう?っていうのを具体例であげているだけで、僕にとってコンプレックスというより事実という意味合いのほうが強い。ただの事実、現状の私はこれです。はい、どうですかってことだよね。

なんで、ただの事実に変わったのか?

それは、コンプレックスに対する見方が変わったから。変えたという表現もできるかもね。

例えば、友達が少ないことはコンプレックスになりうる。

でも、なる人とならない人がいる。

コンプレックスになる人は、その状況を楽しめてない人。

それと、ホントは友達が欲しいけど、見栄はってんのか、意固地になって、自分から話しかけようとしてない人。

こういう人は、友達が少ないことをコンプレックスにしやすい。

僕の場合、一人でいることが好きだったから、友達が少ないことがコンプレックスにならない。

あと、テレビとかでも、誰かが「中学高校と友達が出来ず、ぼっちでした」みたいなエピソードを話せば、みんながみんな「悲しい」とか「信じられない」とか「えー」とか「寂しい」とか言い過ぎてるんだよ。

そうやって、「友達がいないこと=悪い」みたいな価値観が出来上がるから、無理してしたくもない友達作りし始めるんだよ。

そんなもんやりたい人だけやらせとけばいいし、やりたくなきゃやらなくていい。

友達が少なくて、寂しいかどうかなんて、当事者が決めるから、外野は黙ってろ!

あと、友達が少なくて悩むんでるのは、時間のムダ。

全ての悩み事っていうのは、決めたら悩まなくなるから、2つ選択があるからさっさと決めろよ!

①友達欲しいなら、自分から話しかける、誘う。

一番、大切なことは、「自分から」というところ。

受け身の姿勢は、なんでもそうだけど、何ももたらさない。

願い事が叶うのは、待ってるからではなく、自分から動いてるから

②友達いらないなら、1人の状況を楽しむこと。

単に、自分の好きなことをやる。趣味を見つけて、趣味に没頭する。

お笑い見る、深夜ラジオ聴く、漫画読む、小説読む、サッカー観戦

映画見る。

ほら、世の中には、いっぱい娯楽がありますね。

 

友達がいないというコンプレックスだけじゃなくて、コンプレックス全般にいえること、それは、自分の中でどうするかを決めてないからコンプレックスとして存在し続ける。

それは、悩みに関しても同じ。悩み事が存在し続けるのは、結局、どうするか決めてないから。だから、悩みとコンプレックスは同意義語である。

悩みたいから悩んでる。コンプレックス抱えたいから抱えてる。

単に、問題解決ごっこしてるだけ。それは、悩みの大小関係ない。

結局、決めてないから、悩みは存在するし、なんで決めてないのかっていうと悩みたいから決めてない。

それは、口ではコンプレックスを解消したいとはいうけど、本心はそう思ってない。

悩みを解決しないのは、現状維持できるからだ。

決めて、動けば、現状維持できなくなる。決めないのは、現状維持したいからだ。

もちろん、本人は無自覚だよ、本人も気づいてない。

決めて、動けば、次のステージに上がる。(便宜上、次のステージって書いたけど、どっちが上とかないからね)

上に上がるってことは、傷つく可能性とか恥をかく可能性があるわけ。

そのマイナスを受ける可能性が怖いっていうのが根っこにあるから、悩みたくて悩んでるんだと思う。

結局、マイナスが怖いから動いてないだけ。みんな傷つきたくない。

その上で、コンプレックスを受け入れるのか、直すのか。

今の顔を受け入れるのか、整形するのか。

どちらか選択肢があって、決めたら迷わない。決めたら、どちらも正解。

受け入れるんなら、受け入れる。整形して、悩まなくなるなら、整形する。

整形が怖くてできないのは、結局、マイナスを受ける可能性があるからできない。

現状維持か上のステージに上がるを天秤にかける。

ノーならノーでいい。イエスならイエスでいい。

とりあえずどっちか決める。決めた道で幸せになる方法を模索していけばいいし、幸せになる方法なら、必ずある。

 

 

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すごい人は、最初からすごかったわけではない。

料理が好きだから、料理人になる

サッカーが好きだから、サッカー選手になる

書くことが好きだから、書くことで生計を立てたい

好きなことをずっとやっていたら、下心が出てくる。

この場合の下心は、好きなことでどうやったら自分の承認欲求を満たせるかとかビジネスにつなげられるかとかを考え始める。

それは、すごく真っ当だと思う。

好きなことをずっとやってたら、それで誰かに評価されたいとか、それで社会に貢献したいって思うのは、当然。

ただ、一個問題がある。

それは、距離である。

料理が好きだから、料理人になりたい。

この段階では、料理人になれてない。つまり、今はなれてなくて、未来はなっているってことだ。

だから、<今>と〈未来〉の差を埋めようとする。

単純に未来まで歩けばいいわけだから。<今>できることを淡々とやること。

<今>に集中するってこと。

毎日料理する。毎日料理本読む。そうやって、〈未来〉までの距離を縮める。

同時に、将来料理でお金を稼ぎたいとか社会に貢献したいって思ってるなら、未熟なうちに、人前に晒す。

人前に晒さないと、どこが下手で、どこが無駄で、どこを修正すべきかが分からない。

評価されるっていうのは、それだけ自分自身を成長させてくれる。

料理の場合で言うと、例えば、

インスタに料理載せるとか

自分のためにしか料理を作ったことないなら誰かに作るとか

そうやって、具体的にすれば、最終的な料理人になるまでの道が明確になる。

ちなみに、ローラは、魚の三枚おろしのやり方が分からなかったとき、和食で働いてる人に、直接電話で教えてもらったみたい。

それも、まったく面識ない状態で、電話して教えてもらったみたい。

「魚って、どうやって捌くんだっけ?分かんな~い?上手い人に電話しーよう!」

リアル、こんな感じだったんじゃないかな。

このエピソード聴いたとき、ローラまじすごいって思ったよ。

だって、素直すぎるじゃん。分かんないからとりあえずプロに聞いちゃおうで聞けるんだよ。

普通の人は、失礼だと思って聞けないし、相手にしてもらえないだろうと思って電話しない。

そういう自意識とか恥ずかしいっていう思いが邪魔してそういう行為できない。

多分ローラがやってることは、芸事がうまくなる一番の近道なんだと思う。

料理が好きだから、料理して、その料理インスタにあげて、あげるたびに、料理がおいしく見える写真の撮り方だったりを自然にマスターしていって、料理で分からないところはとりあえずプロに聞いて、教えてもらってみたいな。結局、料理本出してみたいな。

たぶん、ローラだからできるんじゃない。みんなやってないだけやればできる。

ローラは料理がうまいから、センスがあるからできるんじゃない。みんな人前に晒すのを怖がって、醜態晒したくないとか恥ずかしいとかもっともらしい理由つけて、やらないだけ。

例えば、今、あなたが憧れてる人は、最初からすごかったわけではない。

すごくない自分も人前に晒した。醜態も晒したし、羞恥心も刺激されるし、その状態から人前に出してる。

当たり前だが、すごい人は最初からすごいわけではない。

ローラだって、最初から有名なローラではない。

有名なローラになれたのは、かわいいからだけではない。

人前に晒して、もっとかわいくうつるように努力したし、バラエティのローラは芸人並みにおもしろいし、そうやっていろんな面のローラを出していくことで、バイオハザードに出れるようになったよね。

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