「失敗しても大丈夫!」が分かってる人は無敵だな
「さっさと負けましょう♪」
「さっさと嫌われましょう♪」
「さっさと迷惑かけましょう♪」
これどういうことかというと、負けられない戦いしてるときって、大抵、うまくいってないわけ。
例えば、バイトとかで、昼間の時間帯三人体制でお店回しましょうみたいなことあるじゃない?居酒屋とかコンビニとか。
そういうとき、一緒にシフト入ってる人が好きか嫌いかって重要だと思うわけ。
言い方変えると、自分の周りが味方であるという感覚か敵であるという感覚ね。
自分が好きな人とシフト入ってるときって、不思議と失敗しにくいのよ。
なぜかって、仮に自分が失敗しても好きな人が助けてくれるって信じてるから。
業務的な失敗を助けてるくれるってこともそうやけど、一番はメンタル面ね。
僕自身、失敗すること自体少ないんだけど、そりゃあ一か月に2,3回ぐらい小さな失敗するわけ。
失敗したら、あくまで可能性の話だけど、相手に
失望されたり
迷惑かけたり
嫌われたり
怒られたり
するわけじゃん。
で、失敗した後、一緒にシフト入ってる人どう思ってるかってことなんだけど、別に失敗した相手のこと嫌ったり、失望したりしない。
ほぼ、「ふーん。そうなんだ」で終わり。覚えておいてほしいのが、本人が失望されるじゃないかとか迷惑かけてるんじゃないかとかって思ってることってほぼまぼろしなわけ。
実際は、失敗しても大丈夫だし
失敗しても迷惑かけないし
失敗しても嫌われないし
失敗して迷惑かけたとしても、次の日、会社は回ってるし
どれだけ大きな失敗しても、会社は回ってるってことは
世の中に取り返しのつかない失敗なんてないってことを
証明してるってことだし、誰かが大きな失敗して、その失敗
見た誰かが、「すごくデカいミスしても、どうにかなるんだな」って学べば、
その人失敗するリスクがあってもやりたいことあれば挑戦しちゃうかもしれないし
それで、もしその人やりたいことやっちゃえば、大きな失敗したことで大きな価値を生んだわけ。
つまりね、何回も失敗して、何回も大丈夫やった人って、
「失敗しても大丈夫!」が五臓六腑に刻まれてる人で、もちろんその人自身が失敗しても大丈夫を知ってるけど、「失敗しても大丈夫!」を他人にも伝えるられるわけ。
それは「失敗しても大丈夫」と直接伝えるのか
本人が失敗してる姿を実際に見せれば、大丈夫やったら、あなたの周りにいる人は安心して「失敗できます」
つまり、「失敗してもいい」という感覚でなんでもやっちゃいます。
失敗してもいいからやりたいことやれたら、物事上達します。
以前より仕事を覚えようとします。
逆に、失敗してはいけないという感覚だと大抵、うまくいきません。
これは、仕事のシフトが嫌いな人と入ってるときは、この「失敗してはいけない」モードに入ります。
最近は、「失敗してはいけない」モードに入ることも少なくなってきたのですが、でも、たまにあります。
そして、ここでそもそもの前提を書いておきたいのですが、
「失敗してはいけない」モードに、嫌いな人によって入らせてるんじゃなくて、自分から「失敗してはいけない」モードに入ってるんです。
というより、嫌う側嫌われる側の関係があるとしたら、問題があるのは、嫌う側にあります。嫌われる側に一切の非がありません。
僕にも嫌いな人はいますが、善人ぶってこういうわけではないのですが、嫌われる側に問題があるわけではなく、100%自分の問題だと思ってます。
なぜなら、心の仕組みとして、人を嫌ったり、怒ったりするのは嫌いとする相手が自分の設定してるルールを破ってるからなんです。
つまり、嫌いな人が多い人って言う人は、許せないことが多いし、設定してるルールが多すぎるんです。反対にいろんなことを許せる人は、人を嫌いになりにくいし、そもそも自分に課してるルールがないってことは、基本的になんでもできちゃう人ってことになりますね。精神的自由人ってことかな。
僕の場合なんかで言うと、
自分より仕事ができる人
自分より視野が広い人
自分より正しいことがいえる人
つまり論理が強い人
自分より常識的な判断ができる人
が苦手なんだと分かりました。なんでも書きますが、こういう人が嫌いですが、こういう人には非がないってことだよね。
でも、こう書くと面白くて、以前の自分が憧れた人が今嫌いになってるんだと思う。
今、まったく憧れないよ。
仕事ができることにも論理的な判断ができることにも常識的な判断ができることにも一切興味ない。
今は、仕事できることより楽しみたいし、正しいこととかどうでもいいから楽しいことやりたいし、常識なんていらないと思ってる。
だからこそだよね。
以前いいと思ってた価値観の人が目の前に現れると、今の自分を強い論理をもって否定してくるんじゃないかと恐れるから、距離とっちゃうのよ。
だって、今、仮に、「フリーターより正社員のほうがいいよね。なぜなら、こうこうこうこうで」なんて説明されたら、言い返せないもん。
ディベート苦手な人手あげて!はーい!
ディベート強そうな人嫌いなわけ。だって、怖いじゃん、ディベート嫌いな人って必然的に感覚的に好きなもの選んで好きなことやってるから、「好きなことやる意味あるなんて」きかれたら、「別に意味ないけど」ってなっちゃうわけ。
てなわけで、今は仕事できる人怖い
論理強い怖い
視野が広い怖い
常識怖い
まぁ、怖いけど、怖がらせる側にはまったく非がないんだよね。
100%こっちの問題。
ちなみに、嫌いな人と一緒になると、ほぼ「失敗してはいけない」モードに入ります。
なぜなら、失敗したら弱みを握られると思ってるからです。
どちらも、負けたくないと思ってるので、必然的に減点法で物事見て生きます。
脳のなかでは「失敗したら迷惑かけるなー」とか「失敗して責め立てられたらどうしよう」と考えます。
我慢比べとか意地の張り合いです。この「失敗してはいけない」モードは確実に。
例えば、失敗してはいけない以外にも、
迷惑かけてはいけない
仕事できないと思われてはいけない
とか、周り回って、
この人と仲良くなってはいけないとか
思い始める。仲良くなっては負けだと思い始める。よくよく考えたらおかしいわけ。そんな法則ないじゃない。仲良くなったら負けとか他にも夫婦関係とかで喧嘩した後、お互い口も聞かないみたいなときって、「先に話しかけたら負け」とか「先に謝ったら負け」とかって話あるじゃない。
こんなもん、我慢比べしてないで、意地張ってないないで、さっさと先に話しかけたら済むのよ。
我慢比べしてるときの空気ってめっちゃ悪いのよ。すさまじく。
最近経験したからよく分かる。
だから、我慢比べせずに、先に白旗あげる。
つまり、先に話しかける。
小さい迷惑かけてみる(頼ってみるとか)
分からない仕事聞いてみるとか。
雑談するとか。
ろくに口もきいたことないなら、それやれば大抵、仲良くなれます。
まぁー意地の張り合いからプライド高くなってるから降りるのも相当つらいんだけどね。
うわー長くなったバイビー
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結果を出すことだけに集中します。なので、ブログ毎日更新しません!
ブログを更新すると決めて、今日まで約三ヶ月続いた。
まず、そんな自分を褒めてあげたい。四月に派遣先の新潟から神戸に帰って来てから、一週間後には、「毎日、書く」と決めて、今日まで到達した。
「4/18~6/18まで毎日ブログを更新する」と書いた紙を壁に貼り付け、その自分の決めたルールを守り、6/18どころか7/31まで来た。
自分の中では十分すぎるぐらい出来た。ベタな表現だけど、「やれば、できるんだな」と自分を他人事のように思う。
自分の決めたことを、ちゃんと守って、ちゃんとやった。
大抵、自分の決めたことなんて、途中でやめてしまって、三日坊主になる。
じゃあ、なぜ、ブログに限って言えば、更新できたのか?
安っぽい表現だけど、この一言に尽きると思う。
「好きだから」
好きだから、毎日書けた。ブログ以外で毎日続いたのは、「高校の時のサッカーの自主練」だけだ。
部活の練習がある日も、ない日も、時間を見つけて、自主練した。
それもこれも、「好きだから」継続できたんだと思う。
そして、ブログもサッカーの自主練も継続できるものには、ある一個共通点がある。
継続して、最初の1,2週間が一番つらい。
正直、最初の⒈2週間はブログだって、サッカーだって、やらされてる感覚が強いし、努力してる感覚も強い。ブログを書くことも、サッカーも「好きなことではないかも?」って疑心暗鬼になりながら、半ば強引に続けた。
おそらく、「強引に続けた」というのが肝なんだと思う。
とりあえず、⒈2週間「強引に続ける」。
その後に、それでもまだ、「強引に続ける」感覚、努力してる感覚、やらされてる感覚がまだ残ってるなら、スパッとやめていい。
たぶん、あまり好きでもないし、得意ではないのだろう。
反対に、楽に継続できるように、軌道に乗ってる感覚に、ブレイクスルー感に変わったなら、続けちゃっていいと思う。
たぶん、それは好きなことで、得意なこと。
だから、今、やってることが得意かどうかを測るには、とりあえず、「強引に一二週間続ける」。そして、その後、楽な感覚かしんどい感覚を見て、楽なら続ける。しんどいならやめる。継続できるか否かの判断基準はそれだけでいい。
そして、今日、壁に貼ってある「4/18~6/18までブログ更新!」という紙を外し、新たに、「8/1~10/1までクラウドワークスを毎日一件書いてクラウドワークス〇〇万円稼ぐ!」と紙に書き出し、壁に貼り付けた。
「ブログ更新!」と書かれた紙より具体的で、結果にフォーカスした自分の決めたルールになった。
この場合、結果はお金ということになる。
今、お金に飢えてるわけではない。「どうやったらもっとお金を増やせるだろうな?」と単純に興味としてあるだけだ。
今日も、給料日だから、二つのバイト先の給料を確認してきた。
併せて「15万円」
想定内だ。そんなものは、給料日前に、給料明細を渡されるから、それ見れば、単純に二つのバイト先の給料を足せば、分かる。
ただ、今日、通帳見て、「15万円」という数字を見て、今月稼いだ額を実感し、改めて、思った。
「どうやったらもっとお金を増やせる?しかも好きなことで!」
この「15万円」は好きでも嫌いでもない「得意なこと」で稼いだお金だ。
自分が楽にできることだけを淡々とやった結果が、この数字である。
この数字を見て思ったのは、少ないお金でもいいから好きなことで稼いでみたいということと単純に数字として、スコアとして「15万より20万、30万」のほうが嬉しいし、美しいから、その世界見てみたいなと思う。
だから、一旦、ブログ毎日更新をやめにする。
「とりあえず20万円目指してクラウドワークス」やるよってことだね。
今月はクラウドワークスで結果を出すことだけに集中すること。
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ブログ書いてる今も、どこかの誰かはパコってる!
夜、暑さにうなされて、目が覚める。
とりあえず、Tシャツを脱いで、目を閉じる。
でも、暑いから、結局、エアコンを付ける。
少し寒い。だから、若干汗ばんだシャツをまた着るか、素肌に布団を被せるか迷う。
素肌に布団をチョイスすることが多い。10回の内の7回は、「素肌に布団」を選ぶ。
10回の内の2回は、シャツをチョイスし、一回はシャツと布団をチョイスする。
エアコンという文明の進化の象徴に感謝し、エアコンがもたらす冷気による快適さに感謝しながら、目をつむる。
でも、また、寒くなる。そして、また選択を迫られる。
エアコンの冷気が顔だけに浴びるように、布団をギュッとする。
素肌に布団をフィットさせるイメージだ。それで、また自分にとっての適温が保たれる。余談ではあるが、「10月になると、カップルができる率が高くなる」と有吉弘行がラジオで話していた。
なぜなら、「10月になると寒くなり、人肌が恋しくなるから」らしい。
人肌、恋しくなるから、誰でもいいから、手当たりしだいモテる男女は、男なら女、女なら男、オカマなら千葉雄大みたいな奴を見つけ出して、とりあえずセックスして、そっから付き合うかどうかを決めるのか、、、まーあくまで推測、想像でしかない。
おそらく、この見当は外れまくってる。いかんせん、彼女なんていたことがないから、分からない。
「経験のなさは、想像を育て、その想像は、大抵外れる」なんか名言っぽい。
額縁にして、壁に貼り付けようかな。まー冗談だけど。
でも、ここらで1個想像ではなく事実をぶつけやろうではないか?
今、こうやって僕がブログを書いてるとき、まさにそのとき、今、この瞬間に、どっかの誰かがセックスしてます!地球の裏なのか、マンションの隣の隣なのか、試しに、壁に耳をつけて聴いてみよう。くそーやらしい女のあえぎ声は聞けないぞ!
でも、僕は、神戸市の板宿というところに住んでいる。板宿に住んでるどっかの誰かは三宮に住んでる女を連れてパコってるかもしれない。
三宮ではないにしろ、この時間帯ではないにしろ。板宿のどこかで純粋にパコるのが好きだからパコってるのか?はたまた子作りという目的のための、通称目パコなのかは知らないけど、板宿にはいるし、板宿にはいなくても、新長田にはいる。
ふざけて書いてるように見えるかもしれないけど、あながち真面目に書いてるからね。
要は、あなたが毛嫌いしてることは、あなたとは関係ないところで行われてるってこと。
密輸も、裏ビジネスも、パチスロも、乱交パーティーも、枕営業も、呑気にブログ書いてる今も行われてるという事実ね。
だから、危機感持たないといけないわけ。他人事だと思っちゃいけないわけ。
オレオレ詐欺に引っかかるのは、結局のところ他人事だと思ってるからだよ。
しっかり、当事者意識を持つ。裏ビジネスも、密輸も、パチスロも、板宿のパコりにも当事者意識を持つこと。それすなわち危機感!
分かった?危険はすぐ近くに潜んでるから、自分の身は自分で守る。分かった?
危険な男から触られたら「ドンタッチミー」おいしいお菓子は?「ドンタコス!」イェーイ!
結局、エアコンの話どうなっちゃんだよ。まー快適がいいよねって話だね。
バイばーい!
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分かりやすい結果が出ると、どうなるのかなー
「他人を喜ばせたい」という欲がある。
ブログを書くのも、
人と会話するのも、
バイトするのも、
「他人を喜ばせたい」という欲を叶えるための手段に過ぎない。
他人が喜ぶなら、はたまたそういう実感が味わえるなら、そうなるように動く。
今までブログを書けたのも、結局のところそれしかないように思える。
ちゃんと社会から、他人から認められたという実感欲しさに、ブログも書けた。
認められたという実感は、ブログで言えば、アクセス数が増えることで味わえる。
けど、全然増えない。前は、一日の平均が40ぐらい、今は50ぐらい。
全然、満足してないし、結果が出たうちに入らない。
実感は結果によって、もたらす。成功とか報酬とか見返りと言い換えてもいいだろう。
とにかく、結果がほしい。
それも、できるだけ僕のやりたいこと、好きなことで結果を出したい。
それは何か?
今は、「書くこと」で結果を出したいと思ってる。
だから、今もこうやってブログを書き続けている。全然、思うように結果が出ない。
どうやら、ブログをやってるほとんどの人が一日の平均pvが50以下みたいだ。
三ヶ月続けて、やっとこさ50に乗ったぐらいだから、ブログで結果を残すのは、難しいみたいだ。
もちろん、僕の記事にスターが付いたり、ブックマーク登録してくれたらうれしいなと感じるけど、物足りない。
もっと、自分に求心力とか影響力が身に付けばいいなと思う。
そういうものが身に付けば、結果が得られるなら、身につけたいし、そういうものがなくても、結果が得られるなら欲しいし、まず、大前提として結果が欲しい。
分かりやすい結果。
お金が稼げた。
書いた文章が認められた。
友達ができた。
恋人ができた。
なんでもいい。僕がいま持ってないものが欲しい。
「足るを知る」なんてどうでもいいから、ちゃんとお金は稼げるようになりたいし、もっと認められたい。
特に今は、もっとお金を稼ぎたいという思いと好きなことで稼ぎたいという思いが強い。
実際に八月からバイトのシフトも減って得意なことで稼げるお金が少し減る。
それもこれも、好きなこと、書くことでお金を稼ぐ可能性にかけたいから。
だから、そのためにわざわざ好きなことで稼ぐための時間も作った。
時間を言い訳に、好きなことで稼げなかったという逃げ道もふさいだ。
退路も断ったわけだから、次は、ちゃんと好きなことでお金が発生するように動くだけ。
最初は、小さな報酬、小さな成功体験かもしれないけど、出来るだけ積み重ねること。
「お金を稼ぐ」という単体で見れば、ものすごくコスパが悪いことをいっぱいするわけだけど、その状況もできるだけ楽しむ。
苦労せずに、楽にタスクをこなす。ゲーム感覚で。
八月からクラウドワークスで文章書くー
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友達を作ることもお金を稼ぐことも「ゲーム」です
友達は少ないより多いほうがいいし、
お金は少ないより多いほうがいいし、
コミュ力はないよりあったほうがいい。
あったほうが有利だし、いろんな面で確率とか可能性とかは上がるんだと思う。
前まで僕も、友達とかお金に興味なかった。というより友達が少ない自分とか、お金を稼げない自分を直視したくなかったから、見て見ぬふりして、友達とかお金以外に幸せのものさしを探してたんだと思う。
漫画、ドラマ、映画、お笑いを好きになれたのも、友達とかお金以外のものを探した結果だと思う。
でも、結局行き着くのは、人脈とお金だった。
友達を作るセンスも、お金を稼ぐセンスもないと一旦諦めたものと今また向かい合ってる。
また、友達を作ること、お金を稼ぐことに対する考え方も変わった。
極論だが、友達少ない人より友達多い人のほうが性格がいいし、
友達が多いということは、それだけ自分から話しかけた回数も多いし、
オープンマインドで自分のこと包み隠さず話してきたってことだし、
友達を作れるってことは、それだけその人にメリットがあるから、次、また会ってくれるわけだし、「また、会いたい」って思わせるのは、すごいことなんだと思う。
ネガティブで、陰口で、悪口で、なおかつ自分から話さず、人見知りをこじらせ、自分の殻に閉じこもって人に、「また、会いたい」と思わせる能力があるとは考えにくい。
ってことは、基本的に、明るくて、面白くて、悩みがあまりないみたいな人は、友達が多い。つまり、性格が良くないと、人脈もできない。
友達はいないよりいたほうが楽しいし、
お金はないよりあったほうが楽しいし、
だから、それらを獲得する「ゲーム」だと思えばいい。
どうやったら、もっとお金を稼げるか?
はたまた、どうやったら、楽に楽しく稼げるのか?
先月、通帳に10万と記帳されてたから、次の月はどうやったら20万と記帳されるだろうか?ボウリングの最高スコアを更新するみたいに、お金もスコアとしてしか見てない。
お金を多く稼いで、使えば、その分社会に貢献できる。
だから、稼げば稼ぐほど景気の底上げにつながるのは、周知の事実だ。
それが実感しにくいなら、「ゲーム」だと思い込むしかないのだ。
10万稼ぐより20万稼げたほうが、ポケモンのレベルが上がったみたいで楽しいだろう。
20万稼げたら、好きなものがいっぱい変える。だから、次は、30万稼ごうと思う。だって、もっと好きなものが変えるから。
そうやって、稼ぐことそれ自体が楽しくなれば、ゲーム感覚で稼げるようになれば、いいと思う。
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「朝まで生テレビ!」より「負けでいいんで、退席してもよろしいでしょうか?」
自分のことはコントロールできるが、他人のことはコントロールできないし
相手が正しいと思い込んでることを訂正することはできないし、
相手の考えも、思想も、哲学も変わらない。
だから、自分が「理解してほしい」と思っても、「理解されない」のは、自分の論理が100%正しいと思い込んでるから、理解されないわけだし、
悪い意味で自分=世界だと思い込んでる。というよりそう思い込まないとやってられないのだろう。
そもそも、「理解してほしい」も自分の論理を過信してる言い分だから、結局、「理解されたい」なら、「理解しようとしなさい」ってことになる。
「与えよ!さらば、与えられん!だっけ?ギブアンドテイク」ってことになる。
「理解しようとする」っていうのは、先に負けを認めて、降参しましょうってこと。
いろんな勝負があって、そこからさっさと負ける。
論理の勝負、意地の張り合い、我慢比べ、優劣の世界からさっさと身を引く。
勝とう!勝とう!って思ってるときうまくいってないし、自分のほうが正しいと思ってるときもうまくいってないし、誰かと比べてるときもうまくいってない。
だから、いくら自分が正しいとか向こうが間違ったことを言ってるとしても、こっちが先に折れるの。
先に負けないとずっと比較の世界に足つっこんでて苦しいわけ。
ちゃんと負けたら、みんな味方の世界になって、自分はのびのびできて、ますますうまくいくから。
あとね、向こうがどれだけ間違ったことを言ったとしても、反論しないこと。
反論したくなる気持ちをグッとこらえて、そこは我慢してスルーする。
じゃあ、相手の発言のどこを見て、言葉を返せばいいのか。
それは、相手がそれを言った意図を考えればいい。感情が言語化されたのが言葉だから。言葉の真意は、結局何らかの感情にたどりつくワケ。
だから、言ってることには共感できなくても、それ言ってるときの感情には共感できると思う。
言ってることどんなにはちゃめちゃでも、
「悲しい!」「つらい!」「寂しい!」っていう感情は分かるやん。
そこを、「うん!うん!」って共感する。
意固地な人、特に、頑固な男って、口では寂しいとかつらいなんて言わないから。
まー言わないよ。でもね、言ってる表面的な言葉じゃなくて、態度とか表情でほぼ分かるやん。この人構ってほしくて、わざと嫌われるようなことしたり、セクハラめいたことするわけ。
男だけじゃなくて、みんなそう。
感情を隠すのが人間。
で、みんな感情を隠せたほうが恰好いいと思ってるし、その方が勝ってると思ってる。
じゃあ、もう、どうすればいいか分かるね。
さっきも、書いた。「先に、負ける」に繋がってくるんだけど、「先に感情出せってこと」だよね。
これって、論理の世界、競争の世界じゃタブーなわけ。だからこそ、そっから、抜け出して、競争とは無縁のストレスフリーな世界に移りたいなら、プライド捨てて、先に感情だせってこと。
いつまでも「朝まで生テレビ!」してんじゃねぇよってこと。
あれ、見てる分には楽しいけど、あそこに座って論破にせいを出してる自分を想像すると吐き気するじゃん。
今の、僕なら、「負けでいいんで、退席してもよろしいでしょうか」って言って、席を外すと思う。そっちも勇気あるけど、負ける勇気に使うほうがいいよね。
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コミュ力があって、お金があって、恋人がいる人が評価されるのは、健全な世の中だと思う
オードリーの若林さんの新作エッセイ「表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬」のあとがき、キューバ旅行から帰って、成田空港に着陸しようとしてるところで思ったのは、、、
この街で誰にもバカにされずに生きるにはいくつ手に入れればいい?
仕事ができて。
お金を持っていて。
ルックスが良くて
若くて。
恋人がいて。
もしくは、結婚していて。
子供がいて。
ファッションセンスが良くて。
頭が良くて。
デブじゃなくて。
キリがない。
僕はとっくに降りてる。
日本ではそういうところが評価される。日本だけではないかもしれないけど、資本主義の影響なのか、人間の持って生まれた競争意欲なのか分からないけど、やっぱり持ってない人より持ってる人のほうが優遇される。
僕自身、23歳という少ない人生経験の中で、たくさんの負けや多少の劣等感を抱いたこともある。
中学のときは、バスケ部で、自分なりに努力したけど、試合には出れなかった。
高校のときも、サッカー部で、家帰ってからも自主練したけど、試合には出れなかった。
中高の部活動では、自分より上には上がいるということを学んだし、将来的には勝てる所で勝負しないといけないなと思った。そう書いたが、気づいたのは最近である。
大学入学後も、大学生活で楽しめなかった鬱憤を晴らすために、認められなかった鬱憤を晴らすために、お笑いの養成所に入った。
結局、半年ぐらいで辞めた。お笑いの能力うんぬんかんぬんより「笑かしたい」っていうハングリーなエネルギーとか意志自体が掛けてたんだと思う。
とどのつまり、大学の少人数の輪の中で、おもしろいことを言って、ウケを取って、たまに、お笑いのラジオにネタ投稿して読まれたら、承認欲求はほぼ満たされていて、お笑いの才能があると思って、養成所に入ったのは勘違い甚だしいバカなのだ。
結局、辞めようと思ったのは、身近にいるもので「笑かしたい」欲を満たしてたからだと思う。
認められなかったら、ずっとやってたかもしれない。正直50点で満足してるだけだ。
友達を笑かしたところで、ラジオでネタを読んでもらったところで、社会では評価されない。
社会で評価されるもの、良しとされるものは、
友達四人だけにウケる内輪ネタじゃなく、ジャンル問わずいろんな人を笑かすトーク術とワードセンスだし
もっと言えば、友達四人だけを笑かす能力なんていらない。笑かす能力さえも社会で評価されるための絶対条件ではない。ただの手段だ。社会でよしとされるのは、今も昔もからない
仕事ができて。
お金を持っていて。
ルックスが良くて
若くて。
恋人がいて。
もしくは、結婚していて。
子供がいて。
ファッションセンスが良くて。
頭が良くて。
デブじゃなくて。
キリがない。
それが評価される世の中を愚痴ったってしょうがないし、そういうことが評価される世の中は健全だと思う。自分が評価されないのは、自分の能力を見てもらえないのは、間違えなく自分のせいだし、社会がよしとするこれらを「クソだ!」と罵っても、社会が評価するのは変わらない。お金を持ってて、恋人がいて、ジャンル問わず話せる雑談力を持ってる人に、お金がない、コミュ障、引きこもりニート、芸能人への誹謗中傷ツイートが勝てるわけないし、社会が評価するのは、間違いなく社会がよしとするものを持ってる人だ。
評価されたいなら、社会とよしとされるものをとるだけ。ものすごく、シンプルだ。
上に書いたことを少しでも身に付けば、評価される。
お金なんて働けばもらえる。お金を持ってる人は評価される。じゃあ、何も考えず機械の如く働けばいいだけ。「労働とはなにか?」「時給がうんぬん?」考える前に、バカになってとりあえず働いて、金稼げ。稼がないと評価されないし、社会から見向きもされないし、好きなものも買えないし、好きな人にも見向きもされない。
「お金で幸せは買えない?」そういうことはお金を稼いだあとのほうが説得力あるよ。持ってないときにいうのはダサいし。
「恋人なんていらないし」って強がるのは、恋人できて別れた後いったほうが説得力あるよ。持ってないときにいうのはダサいし。
社会で評価されるものに異議を申し立てるのは、それを手に入れたあとのほうが説得力あるし。持ってない人が吠えるのはダサいし。
今の世の中健全だし、競争が疲れたら、その競争から降りればいいだけだから。
ただ、社会に文句言ってるのはダサいから、社会から降りて、黙ってろってだけだね。
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