「お金がない」という現実がもたらすメリット
現実は、自分を映す鏡である。
自己啓発やスピリチュアル界隈では、常識化された説だと思う。
自己啓発やスピリチュアルに疎い私ですら、「現実は、自分を映す鏡である」を認識しているということは、ここ数年で爆発的に人気になったのか、この言葉が無意識、潜在的レベルで引っかかったのどちらかだろう。
おそらく、どちらも正解で、ここ最近、「現実は、自分を映す鏡である」を感じさせられた出来事が起こったので、書きたい。
「お金がない」という現実が教えてくれたこと
先月まで、お金がなくなると、僕の通帳を持つ母親に、「お金がないから、振り込んでほしい」という旨を伝え、お金を振り込んで貰っていた。
だから、お金がなくなるという感覚も知らなかったし、不安もなかったのだが、今月から、通帳を持つ母親の懐事情が変わったらしく、多くのお金を振り込めなくなった。
だから、以前のように
お金がない➡貰う➡お金がある
というループが出来なくなってしまった。
そこで、僕は、考えた。お金が貰えないということは、お金を出すのを制限しなければなりません。
ですが、我慢することはいけません。我慢すると精神的にネガティブな方向に、マイナス方向に進んでしまう。
だから、単に刺激を満たすためにお金を費やすことはやめることを試みました。
まず、以前は、一日二食食べていたのですが、一日一食に減らしました。
前までは、朝飯をパンで済ましていましたが、「本当に、毎日同じようなパンを食べたいか」と自分自身の直感に問いました。
その結果、自分の直感は、パンを食べることを許可しませんでした。
朝、パンを食べなくなったことで、とりあえず、空腹を満たすためだけに、お腹に何かを入れるという価値観が無くなりました。
それだけではなく、純粋に食べることの喜びが増えました。
一日一食しか食べないわけですから、その一食を慎重に選ばなければいけません。
今、食べたいものを思考し、直感して、毎日自炊し、食べています。
だから、必然的に料理のレパートリーも増え、料理もうまくなってると思います。
それは、そうです。
「とりあえず、空腹を満たすためだけ」の食事は、いつもの選択をしてしまい、食事も速くすまそうとしてしまいます。
一方、一日一食だけの食事は、食に対して喜びを求めようとするため、毎回違う料理を味わおうとします。
「空腹をみたすだけの食事」と「一日一食だけの食事」比べたら、広い意味では、食欲を満たすという意味では同じかもしれません。
でも、「空腹を満たすだけの食事」は刺激が欲しいだけの人にしか見えない。
夜中のポテチもファーストフードも空腹を満たすという刺激であり、潜在的にそれを欲しているかというとそうではないはずです。
潜在的に欲しているとは、本当にやりたいこと、本当に好きなことと言い換えていいでしょう。
「単に空腹を満たすための食事」より「ブログを書く」ほうが僕にとっての喜びです。
「 ”” 」より「本当に食べたいものを食べる」ほうがいいはずです。
お金がないという現実は、刺激による選択を露わにし、直させる機会を与えてくれました。
お金に限りがあるとは悪いことばかりではないはずです。
お金に限りがあるということは本当にやりたいこと、好きなことにしかお金を出せないことを意味します。
そこで、刺激を満たすためだけの出費を見つけられたら、やめましょう。
やめたら、その分、好きなことに時間を費やせたり、ぽっと現れたりします。
僕の場合、一食減らしたおかげで、夜は、眠くならずにゆっくりブログを書いたり、読書に時間がさけるようになりました。