常識や理性に縛られれば、直感が鈍くなる

汚い部屋よりきれいな部屋がいいはずだし、

ほこりがついている鏡よりほこりがついてない鏡がいいはずだし

毛だらけの布団より毛もクルクルで除去して、干した布団がいいはず。

常識的に考えてそうであるのとは別に、「心地よくありたい」という面から見たら、後者のほうがいいと感じる人が多い。(汚いほうが心地よいという例外もあるけど)

あくまで統計の結果であって、僕は、綺麗な部屋や干した布団を推奨したいわけではない。

もっと深い「心地よくありたい」という欲に従うことを推奨したい。

「心地よさ」も人それぞれポイントがあり、それを五感でキャッチできるかが大切になってくる。

僕の場合でいうと、比較的綺麗な部屋であるという自負はあるもののそれでも、ブログ書いている最中、鏡のほこりを「不快」だと感じた。

そう、この「不快だと感じた」ことが重要で、そのあと、「不快」の元を除去するかはどうでもいいというか、何より一番は「反応」できたかだ。

「反応」という言葉は、「もやっと」とか「ワクワク」に言い換えてもいい。

何に「もやっと」と感じて、何に「ワクワク」と感じるかは、人それぞれだし、ましてやそういう「反応」に人が気づかないことも多い。

常識や理性に縛られてる人ほど、そういう人が多い。

なぜなら、頭が「反応」してるんじゃなくて、心や直感が「反応」してるから、頭中心で物事判断してる人ほど、「反応」に気づかない。

反応はするんだけど、常識や理性が瞬時に蓋をし、「反応」それ自体があったことを忘れてしまうのだ。

現代人は、ほとんどこのケースだと思う。

じゃあ、どうすれば、「心地よくありたい」状態を作れるのか。

「衣食住」と「三大欲求」だけにとりあえず焦点を当てて生活をしてみましょう。

そして、その中で、「不快」に感じたもの、「心地よく」感じたものを書き出しましょう。書かないと、「反応」なので、すぐ忘れて、頭はそれさえなかったものと処理してしまいます。

「着たい服を着ているか」「食べたいものを食べているか」「目覚めがいいか悪いか」

「ベッドは快適か」「机の上にほこりがついている気になるかならないか」

などなど挙げればキリがありません。

そういった質問を自分に問いかけてみてください。

何に「反応」し、何に「反応」しないかは人それぞれです。

反応すれば、自分らしくあるための材料が増えたことになります。

「不快」と感じたならば、取り除けばいいわけだし、「快」と感じたならば、増幅させればいいだけですから。