未熟な自分を晒す。案の定、恥かく。だから、修正する。また、自分を晒すの繰り返し
徒然草という古文の文章にこんなことが書いてある。
「ヘタクソなうちは誰にも見せたくない。
こっそり練習して、ある程度見られるようになってから披露するのがカッコいい」と言うものだけど、そういうことを言っている人が最終的にモノになった例はひとつもない。
まだ未熟でヘタクソな頃から、ベテランで上手い人たちに混ざって、バカにされて笑われて、それでも恥ずかしがらずに頑張っていれば、特別な才能がなくても上達できる。
改めて、思う。
何かやりたいことがすぐやる。これが鉄則なんだと思う。
準備する、努力するは蛇足。
とりあえずやる。
やってから修正する、努力する、準備する。
でも、この考えは、一般的ではない。
一般的なのは、準備してから、みんなの前で披露する。
ピアノの発表会の二週間前から練習する。そして披露する。
サッカーの試合前は激しい練習する。披露する。
リコーダーのテストの前の日は練習する。披露する。
で、今、書いてて思った。理には適ってる考え方だよね一応。
準備して、ベストな自分に仕上げて、人前に出す。
ただこれ、徒然草の観点から見ても、僕の観点から見ても、「半分はあってるけど、半分は間違ってる。」
①準備すること。うん、大切。
②人前で披露する。うん、大切。
③準備して、人前で披露する。うん、順番逆。
④とりあえず、出す。その後、修正する。うん順番通り。
③だと、成長速度が遅いわけ。というより、成長しない可能性のほうが高い。
なぜなら、年追うごとに、人前で披露する場なんて自然に提供してもらえることなんてないわけ。
まず、受動的に表現する場なんて提供してもらえない。
だから、自分で表現する場を見つけて、そこで表現しないといけない。
能動的に動いて、まず表現する場を確保する。
確保したら、次表現するわけだけど、③の価値観のままだと、たぶん、表現できない。
なぜか?
恥ずかしいから。なにが?
未熟な自分で人前で表現することが。
だから、準備しまくって、少しでも自分が理想とするベストな自分に持って行って、表現しようと考える。
ただ、自分が思うベストな自分は来ない。というより、来てるんだけど、根っこに「未熟な自分で人前で表現することが恥ずかしい」「恥かきたくない」があるから、表現できない。
だから、まどろっこしいから一言で言えば、「未熟な自分を晒すこと」の覚悟があるかどうかだけ。
ゆずとかmiwaとかいきものがかりとか最初ストリートミュージシャンだったじゃん。
最初なんて、一番未熟だから、「恥かく」確率なんて、すごく高かったと思うけど、それより、「歌いたい」が勝ったから、ストリートで歌えたわけでしょ。
ストリートで歌えたか歌えないかは、才能の問題ではないよ。
物理的には、ストリートで歌おうと思えば、誰だってできるわけ。
みんなできるけど、こわいからほとんどやらない。
つまり、単純にやったかやってないかの差だけなんだよ。
じゃあ、やったら、確実にゆずみたいに売れるのか。
それは、ない。そこから、相対的に見て、うまいかうまくないかの話しになってくるから。
単純にその分野で上位なら売れる。それが現実。
でも、人前で表現した個人にフォーカスすれば、確実にうまくはなってる。
人前で披露して、反応確かめて、反応悪かったら、練習して、修正して、また、披露してを繰り返せば、そりゃうまくなる。
売れるかどうかはさておき、うまくならないと売れるもんも売れなくて。
ってことは、未熟なものでも出さないと行けなくて。淘汰されれば、それまでで。
競争の中で勝ちたいなら、競争の中で恥かいて、恥かきながら、うまくなって、相対的な順位上げるしかないんじゃない?
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