「場数を踏む」とは、未熟な自分を出すこと
掃除がうまくなる本を読むだけで掃除はうまくならないし、
恋愛工学の本を読むだけでモテるようにならないし、
お金持ちになるための本を読んだだけでお金持ちにはならない。
要は、「やったか?」が一番大切なわけ。
普通の人は、練習して、準備して、人様に披露しても恥ずかしくないレベルまで持っててから、披露しようとする。
普通の人は、準備するために本を読む。
で、結果どうなるか?
準備するだけで、終わる。
肝心の「やったか?」はすっぽ抜ける。
大抵の人は、「やらない」
何か教えを請うて、行動する人は一割だというデータもあるぐらいだから、現実はそんなもん。
僕は、少しだけ準備する。もしくは、準備しない。
人様に披露しても恥ずかしいレベルでも披露する。
「上達する」とは、場数を踏んだ数と比例すると思ってるから。
だから、未熟でも「場数を踏む」
当然、笑われるし、恥をかくし、失敗する。
それでも、上達するから、そういうのん覚悟で、場数を踏む。
本を読んだり、調べたりするのは、「場数を踏んだ」後。
なんで失敗したのか調べて、修正してから「場数を踏む」
100点の自分に仕上げてから、人前で披露するとなると時間がかかりすぎるし、
一回しか場数を踏んでない人と10回場数を踏んだ人では、どちらが本番に強いかって考えたとき、どう考えても、後者だと思う。
準備してからだと上達のスピードが遅すぎる。っていうか上達しないことがほとんど。
人の体力や時間だって有限なのだ。
準備にエネルギーや時間を費やすより、「場数を踏む」ことにエネルギーや時間を費やしたほうが賢い。
まず、ナンパする。
まず、掃除する。
まず、行動する。
そっから、本を読むなりして、修正する。