「さっさと負けましょう」ができれば、世界がひろがる

・意地張る

・プライド高い

・我慢比べ

・負けず嫌い

・拗ねてる

 

こういうのん全部同じくくりね。

例えば、お金の話。

お金をもらうことより稼ぐことのほうがすごいと思ってて、

なんなら、お金をもらうことが恥だと思ってたら、その分お金

受け取れないってことね。お金貰うこと=恥、負けだと思ってる限り、

お金受け取りの間口が狭いから、お金入ってこない。

お金欲しいなら、親なり、パトロンなりに「欲しいものあるからお金くださいなー」

って言えばいいだけ。

「お金欲しい」って言えないのは、お金をもらうことが恥だと思ってるから、負けだと思ってるから、親に迷惑かけると思ってるから。

だから、

「さっさと負けましょう」

「さっさと恥かきましょう」

「さっさと迷惑かけましょう」

ってことだよね。

「負けられない戦い」っていうのは、ほぼ幻想。

幻想かどうか確認するために、「さっさと負けましょう」ってことね。

お金の話で言えば、お金欲しいなら、親なり兄弟なりに「お金ちょうだい」っていうのが「負けにいくこと」「さっさと負けましょう」だね。

ほんでもって、「さっさと負けましょう」の結果なんてどうでもいいわけ。

本音(お金欲しい)に気づいて「さっさと負けましょう(親にお金もらう)」ができたことに価値があるわけ。

・「さっさと負けましょう」が一個できれば、競争の世界から足洗えます

・「さっさと負けましょう」が一個できれば、一個本音が言えたことになるし、やりたいこと一個やったことになる。

・「さっさと負けましょう」が一個できれば、前まで自分が恥だと思ってたことを、今回「さっさと負けましょう」でやったわけだから、次回も同じことができるし、それだけじゃなくて負けること、恥かくことに少しだけ免疫がついてるから「さっさと負けましょう」が板につくようになってるから、今度、自分がやりたいことが恥かく可能性があってもできちゃう。

・「さっさと負けましょう」が一個できれば(お金をもらう)、前まで、お金を得るための手段が「稼ぐ」だけだったのが、さっさと負けたことで、「もらう」という武器も手に入ったことになる。お金を得ることに関して言えば、「稼ぐ」と「もらう」の2つしかないわけだから、これは大きな進歩。

 

まぁこれお金を受け取る以外でも適用されるよね。

例えば、「知らない人と仲良くなりたい」を受け取りたいとするじゃない?

仮に、あなたが誰とも仲良くなれないとしたら、原因1つだけ。

「自分から話しかける」という行為をしないから。これしないのは、自分から話しかけて空気が変な感じになったらどうしようとか上手く話せなかったらどうしようって思って、自分からコンタクトとれないわけ。

要は、「負けたくないから」「傷つきたくないから」

自分から話しかけられない。ただそれだけ。

世の中のコミュ力ないとかほぼウソ。結局、自分が傷つきたくないから、話しかけないだけ。

コミュ力があるのは、才能じゃない。9割方「自分から話しかける」という勇気だけ。

だから、言ってんの。

「さっさと負けましょう」

「さっさと傷つきましょう」

って、

好きな人誘えないのも

断りたい誘い断れないのも

やりたくないことやってるのも

悩み構造すべて同じ。「さっさと負けましょう」ができないだけ。

だから、やるだけじゃんそんなの。

 

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