マルチタスク能力のあげ方

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マルチタスク能力について書こうと思う。

マルチタスク能力とは、複数のことを同時に処理すること。

正確な定義は分からないけど、大体こんな感じだろう。

何かの記事で読んだところ、居酒屋とかコンビニのバイトは、この能力が必要とされるみたいだ。

僕自身、今、コンビニとスーパーのレジをやってる。

4月までは、短期でスキー場のレストランのバイトをしてた。

それも3か所。1つは、ゲレンデの中のレストラン。2つ目は、ホテルの中のバイキングの配膳。3つ目も、ホテルの中で、これは、ファミレス的な、オーダー取って料理届けるみたいな一般的なホールの仕事をやってた。

週一回だけ休みがあって、それ以外の日は、3か所をぐるぐるしてた。

ほんでもって、今やってるコンビニとスーパーのレジ、4月までやっていたレストランの配膳の仕事は僕からしたらほとんど変わらない。

なぜなら、3つともマルチタスク能力が必要であり、その能力が最強なら、苦労しないからだ。逆に言うと、その能力さえあれば、しんどくない。

現に、今のバイトも4月までしてたバイトも、あまりしんどくない。肉体的にしんどいだけだから、ちょっと休みが欲しいなっていうだけである。

 

一応、どうやったらマルチタスクを使えるかとか、どういう意識で仕事をすれば、しんどくないかとか項目に分けて書いていこうと思う。

 

マルチタスク:自分

仕事してるときに何個か意識してることがある。

ざっと書いて行こう。

一つ目は、完璧主義を捨てること。

仕事というのは、大抵、これさえやっとけば一応大丈夫みたいなラインがあって、そこまで到達すれば、一応、怒られずに済むみたいなのがある。

100点を取ろうとすれば疲れるけど、60点なら疲れないよねっていう考え方。

っていうより、マルチタスクとは、100点を取ることを捨てることと言い換えてもいい。捨てないと、マルチタスクできないから。60点だと、まだ余力が残ってるから、他のことにも手が伸びるよねっていう話。

要するに、手抜きして、適当であればマルチタスクしやすくなるよってこと。

2つ目は、よそ見する能力ってことかな。

要は、完璧主義を捨てれて、適当になれば、その分余裕が生まれる。

余裕がある状況だと、視野が広くなる。反対に、余裕がない状況だと、視野が狭くなる。

視野が広くなってるってことは、いろんなところが見れるってこと。

忙しくなってくると、2個3個同時に情報処理する場面が頻繁に訪れるから、その時に備えて、日ごろからキョロキョロしとく。

それは視覚のキョロキョロだけじゃなくて、思考のキョロキョロもしといていい。

仕事のことを考えながら、仕事とはまったく関係ないこと考えるとか。それこそ、雑談すれば、もっと脳の処理が増えるから、雑談もいいかもね。そうやって、日ごろから、複数処理しとけば、忙しいときでも慌てずに済む。

ちなみに、混んでるときも混んでないときもほとんど変わらない。

まーそういうことだね。

 

マルチタスク:メンタリティー、他人

僕は、マルチタスク能力があるほうだと思う。

でも、僕よりマルチタスク能力がある人は、いっぱいいる。

昨日もいたし、おとといもいた。

そういう人は、僕より頭の回転が速くて、賢くて、論理力が強くて、正義感が強くて、仕事もできる。

どの能力でもそうだけど、自分より能力が上の人はすげぇ多いし、下の人もすごく多い。

で、僕の場合、自分より上の人に勝とうと思ったことがない。

なぜなら、自分が仕事ができるとかできないとかに興味がないから。

世の中には、仕事ができなくても楽しんでる人がいるし、反対に、僕より能力があってもしんどい人もいる。

僕は、仕事ができるかできないか以前に、自分が楽か楽じゃないかしかに興味がない。

1人のマルチタスク能力には限界がある。

っていうより、こんだけ散々書いたけど、マルチタスクは先天的なものであって、ある人にはあるし、ない人にはない。だから、身に着けようと思っても身に着けられるものではない。「男」と「女」みたいなもので、マルチタスク能力は自慢にはならない。

最初から、搭載されてるもの。「男」で言えば、おちんちんがついてますってだけ。

だから、これから、書くことは、マルチタスクを持ってない人にも見てほしい。

自分ひとりのマルチタスク能力には限界があるってさっき書いた。

ってことは、他人を使えばその分分散される。

これも、立派なマルチタスク能力。しかも、他人に仕事を割り当てれば割り当てるほど、その他人は仕事を覚える。

そうすれば、自分は楽になれる。

そうやって、できる人が他人に仕事を任せてできない人になればなるほど、誰かが仕事ができるようになっていく。

これは、マルチタスク能力がなくてもできること。

単純に、分からないことを教えてもらって、しんどいことは手伝ってもらったり、任せたりすればいいだけ。

仮に、それができないんだとしたら、見栄を張ってるだけ。

どこかで、できる人と思われたいという願望があるから、プライドが邪魔してそれできないだけ。

自分が楽するっていうのは、そういう見栄捨てて、他人に任せるってことだから。

ってか、僕自身、仕事ができるとかできないとかどうでもいいし、自分が仕事ができないキャラになって、回りができる人になってくれるなら、喜んでそのキャラ引き受けるよ。

 

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意地の張り合いとか我慢比べとかしんどいから、さっさと負けましょう

「おもしろくなりたい!」って思ったなら、

「お笑い番組一日8時間見る」より

「ネタ作って、youtubeで作ったネタを披露したほうがいい」し

「毎日、違う人と会話したほういい」わけ。

「料理うまくなりたい!」って思ったなら、

「料理本を八冊熟読する」より

「クックパッド見ながら、簡単なものでもいいから作ったほうがいい」し

「作ったものを、SNS上に晒して、査定されればよりいい」 

 

要は、勉強することとか準備することってそんなに重要じゃないってこと。

料理でもお笑いでもそうだけど、準備する前に、人前に晒せってこと。

準備する前に晒すってことは、未熟なまま晒すってことだから、失敗して恥をかく可能性もあるわけ。

今、やりたいことがあって怖くてできないっていう人は、ほぼ恥かきたくないだけ。

そういう人に限って、「なんで、やらないの?」って聞いたら、そのレベルに到達するまでに努力してますとかお金を貯めるまでできないとかって言い始める。

それ、ほぼ100%ウソだから。結局、恥かきたくないだけだから。

ほんとに、やりたいことやりたい人とか、息吸って吐くか如くやりたいことができる人は、平気で恥かけるわけ。そもそも、恥かしいとも思ってない。

だから、恥かきたくないと思ってる人より、やりたいことやるための手段もあるし、手段は選ばないから、手段は無限にあるわけ。

 

あと、最近思うことがある。

僕は、二律背反の思いを抱えながら動いてる。

「恥かきたくない」と「恥かきたい」

「失敗したくない」と「失敗したい」

「負けたくない」と「負けたい」

「スタイリッシュでいたい」と「泥臭くなりたい」

「波風立てたくない」と「波風たてて、世間からずれて、変な目で見られたい」

失敗する可能性がある場面で、しばらく失敗してないと、「あー失敗したい」って思う。

なぜなら、うまくいってるときは、総じて、適当で、「失敗してもいい」っていうときで。

反対に、うまくいっていないときは、他人と比べてしまいがちで、我慢比べしてるとき。

我慢比べっていうのは、「先に失敗したほうがまけ」っていう意味合い。

我慢比べしてるときは、大抵調子が悪いし、「先に失敗したほうがまけ」って思ってるときほど、「さっさと自分が失敗したい」って思う。

実際、自分が失敗しちゃったほうが、気分が楽だし、現実がいいほうに転んでくれるから、先に失敗したほうがいいんだと思う。

あと、見栄張ってるときも調子が悪いし、普段はプライドが低いのに、ある問題に対してだけは、プライドが高いときもうまくいってない。

意地張ってるとき、プライド高いとき、うまくいってない。

例えば、何かに対して怒ってて、「先に謝ったら負け」モードに入ってるときあるじゃない?

それとか、「先に話しかけたら負け」モードとか

「先に折れたら負け」モードとか、

こういうときね大抵、向こうも同じこと考えてるから、自分が負けだと思ってること、先にやっちゃえば向こう悔しくなるから。

結局、根っこは、単に見え張ってるだけだから。プライドが異常に高くなってるだけだから。

柔と剛で言えば、意地を張ってる状態は剛であり、肩にバンバン力が入っちゃってる状態なわけ。

だから、意地を張らせる原因を作ってる相手が剛のときは、こっちは柔らかくいればいいだけ。

要は、先に、ハイ、負けました!って言っちゃって、相手拍子抜けさせればいい。

「意地の張り合い」が行われてる土俵があって、その土俵を割っちゃうってこと。

要は、同じ土俵で勝負しない。「意地の張り合い」が行われてない土俵まで、持ち込めば、いいし、そこまで持ち込めば、土俵っていう概念もなくなるし、競争っていう概念もなくなるわけ。

そうすると、うまくいっちゃうと思うよ。

 

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他人見て、この人はすごいとかあの人はすごくないとかって判断しないほうが生きやすいよ

「勝つ能力」より「たくさん負ける能力」のほうが欲しい。

だって、そっちのほうが楽しいから。

「勝つ能力」を延ばそうとすれば、最終的に保身する。

今、もし、高い地位を確立してるなら、その地位を守ろうとする。

他人を見て、この人はすごいとかすごくないとか、この人は自分より上で、この人は自分より下とか上下の価値観で他人を見始める。

僕には、上下の価値観があまりない。

上下の価値観とは、この人はすごくて、あの人はすごくないって判断することである。

フリーターより正社員がすごいとも思わないし、

敗者より勝者がすごいとも思わないし、

頭の悪い人より頭のいい人がすごいとも思わないし、

力仕事してる人よりIT企業で勤めてる人がすごいとも思わないし、

年収低い人より高い人がすごいとも思わないし

仕事できない人より仕事できる人がすごいとも思わない。

もし、僕が上下の価値観で、物事判断してたら、世間が思う「すごい人」になろうとしたんだと思う。

今、フリーターだけど、正社員になろうとしただろうし、

今よりちゃんとしようとしただろうし、楽しさより正しさとか安定を求めるだろうなと思う。

そうやって、自分の人生つまらなくして、それと引き換えに、世間が思う「すごい人」になろうとしていくんだと思う。まぁーそんなもん幻想だけどね。

すごいとかすごくないとか幻想。どっちが上とか下とかも幻想。

あるかもしれないけど、それは目に見えてる三次元の情報だけ。

三次元の世界で、いくら「すごい人」になろうとして、例え、今より年収が上がったり、役職があがったりして、その世界では、すごくなっても、自分自身が満たされてなかったら、それは単なるハリボテにすぎない。

入れ物だけ豪華で、中身は空っぽ。蓋開けてみれば、何も入ってない。ほら、幻想。

だから、世間が思う「すごい人」になろうとしたところで、その先は、空虚であり、空虚が嫌なら、はなから世間が思う「すごい人」になろうとするんじゃなくて、楽しいと思えることだけやればいいだけ。

それは、上下の価値観を捨てることにもつながる。

要は、他人を見て、すごいとかすごくないとか判断しないようにするってこと。

そうすれば、楽しいと思えることだけ選べるようになる。

だって、上下の価値観が薄まれば、平気で、世間が思う「すごくない人」にもなれるわけ。

ってことは、以前より負けることもできるし、恥をかけることができるわけ。

だって、純粋に楽しいことが選べるってことは、優劣とか勝ち負けとかがどうでもよくなるってことだから、自然と挑戦する回数が増えるってことだから。

 

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自分ではない何者かになりたいのは、単に、失敗したくないだけ

ふと、矛盾に気づく場面がある。

失敗しないように、ミスがないように仕事してると、心のどこかで、失敗してくれないかなって思う。

失敗したとしても、悩まないし、落ち込まないだろうなと思うんだけど、失敗しないようにっていう意識でい続けることがしんどいし、めんどくさい。

「失敗しないように」

「負けないように」

「常識からずれないように」

「恥かかないように」

この意識になってるとき、同時に、「あー失敗して楽になりたい」とか「あー負けて、ほんとはちゃんとしてない人って思われたい」って思う。

たぶん、大抵の人は、

「失敗しないように」

「負けないように」

「常識からずれないように」

「恥かかないように」

だけを守ってるんだと思う。

なぜ、守るか?それは、それさえ守れば、波風立てずに過ごせるから。

自分の行動が周囲の琴線を立てずに済むし、要はおかしいって思われずに済む。

正しいけど楽しくない。「失敗しないように」は、成功することを意味しない。

結局枠からはみ出してないから、-1でも+1にもならない。0のまんまである。

正しい世界って、めっちゃ生きづらいわけ。

例えば、周囲の人が、きちっとしてて、頭が良くて、論理力がすごくて、瞬時に常識的な答えを導き出せて、要領が良くて、効率が良い人が自分の周りに居たらどうだろう?

普段、不真面目な人でも、そういう人に引っ張られて、ちゃんとしようとするだろう。

バカな人は、賢いフリをし始める。

「失敗しないように」の始まりは、バカな人が賢いフリするみたいに、自分ではない何者かになろうとする行為なんだと思う。

別に、論理力がすごい人とか要領が良い人が論理力にかける人とか要領の悪い人より優れてるなんて話はない。

論理力がすごくても、生きづらい人はいるし、要領が悪い人でも、生きやすい人もいる。

この違いは、自分ではない何者かになろうとしてるかしてないかだけ。

ありのままで生きれてる人、自分を生きれてる人は、しんどくない。

「失敗しないように」の世界で、失敗しなければ、とりあえず平穏でいられる。

けど、すごくつまらない。なぜなら、正しい答えだけ探し続けるだけだから。

その世界では、必然的に、正しいことを求めることが得意な人が勝つ。要は、論理力が最強な奴が、その世界で最強に君臨する。

今までは人間で、これからはAI(人工知能)だ。論理力、計算で人間は機械には勝てない。

人間にはエラーが出る。「失敗しないように」世界は、エラーがでない人が重宝される。

ただ、AIには勝てない。ロボットのような正確無比な人間はいるが、所詮、ロボットのようなであり、ガチのロボットにはガチの正確性が搭載されており、「失敗しないように」の世界ではロボットが占領する。

そもそも「失敗しないように」の世界自体が、人間がものすごい生きづらい世界なのだ。ロボットがその世界を担ってくれるなら、ロボットさまさまだし、もっとも理に適ってる。何かの調査によれば、ストレスのかかる仕事のほとんどが、ロボットにとって代わられるみたいだ。

要は、論理の分野は、ロボットがやってくれる。

一方で、感性の分野は、人間しかできない。

人間にあって、ロボットにないもの。それが感情である。

「好き、嫌い、しんどい、疲れた、苦しい」は、人間にしか出せないものだし、

正しさの答えが、例え、エラーだったとしても、人間味になるのだ。

だから、単純な話。

好きなことやって恥かけば、人間味になるし

好きなことやって失敗すれば、人間味になるし

そうやって、人間味が蓄積されれば、感性の分野で重宝されるだと思うよ。

眠い、寝ようっと。

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ブログを書きたいけど、書けるネタがなくなったときの対処法

「書くことない。どうしよう」

こんな日が毎日。毎日書けば、書くことがなくなる。当たり前だ。

書き始めて一週間で、自分のインプットが底をつく。

だから、すぐに、「書くことない。どうしよう」になった。

一日起きてすぐに、「書くことない。どうしよう」って思う。

でも、書くことが日課になると、脳が勝手に、書くための材料を集めようとしてくれる。

分かりやすいところで言えば、一日で起きた経験とか。

経験っていっても、毎日、未知の経験をするわけではない。

ほとんどが既知である。デジャヴっていう奴だ。

未知の経験は、ブログの材料になりやすい。

既知も、ネタが底を尽いたら、ブログの材料になる。

っていうより、実感としては、既知のほうがブログを書くことに関しては、お世話になっている。

僕も含めて変わり映えのない日々を過ごしてる。

みんな同じような景色を見て、仕事をするか、学校に行くかして、その後家に帰る。

仕事先では、人がいて、家には、人がいて。ということは人間関係の問題がついて回る。

みんな同じような生活をしてる。

でも、方や、すごく苦しんで生活してる人がいて、自殺したいっていう思いを抱えながら、生活をしてる人がいて。

一方で、人生、イージーモードで、悩みがまったくないという人もいる。まぎれもなく、僕のことである。

人生、イージーモードで、悩みがまったくなくて、しんどい思いをしていないことがここ一年のデフォルトになっている。

だから、日を追うごとにデフォルト前が思い出せなくなっている。

僕のデフォルト前は、ネガティブで、自意識過剰で、なんとなく生きづらくて、バカなくせに難しいことばっか考えていた。

それを心理学の知識を自分の体を人体実験として使い、半ば強制的に、イージーモードで悩みなしにした。

ただ、どうやって、変化したのか具体的には思い出せない。

思い出す手がかりは、デフォルト後の日常である。

主に、人と話しててとか、誰かが誰かに怒ってるのを見たり、または僕自身が怒られたり、嫌われたり、それでも僕は悩まなくて、ストレスを抱えない。

その瞬間、人生イージーモードにする手がかりとかノーストレスでいれる方法とかを思い出す。

「怒られた瞬間、こういう風な思考回路だから悩まないのかー。じゃあ、次、ブログに書くことは、この思考を書けばいいとか、人ってこの瞬間に苦しくなるんだろうなー。それは、共感できる。だって、前まで、その状況で、苦しんでたから。でも、今その状況自分に起こっても、ノーストレスでいれるわ。じゃあ、次のブログ。それ書こう」

結局、そういうことを書くようになる。

日常は、ただ日常を暮らせば、変わり映えはないけど、意識すれば、日常を違う角度から見ようとして自分が無意識に考えてることを発見できる。

これは、日常の中に、非日常を見つけるという行為である。

そうやって、明日も、日常の中の非日常を見つける作業をするんだと思う。

 

 

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人を嫌いになるのは、100%自分の問題。

昨日、ホンマでっかTVを見てたら、池田先生っていうハゲのおじさんが、女優と俳優に、「嫌いな人がその場に居たら離れますか?」っていう質問をしていた。

質問の意図は置いといて(ちなみに、人生がリア充する可能性)

僕は、嫌いな人がその場に居たら離れるなと思った。

なぜなら、いい気分でずっと過ごしてたいから。それだけ。

そもそも、嫌いな人はいるのかって話だよね。

当然、多くはないけど、いるよね。

で、これも当たり前だけど、その嫌いな人は、他の誰かには好かれてて、信頼されてるから、人の好き嫌いっていうのは、相手の問題じゃなくて、自分の問題だから。

人を好きになるのも自分の勝手。

人を嫌いになるのも自分の勝手。

ついでに、人を怒るのも、怒る側の勝手。怒られる側に理由はない。

だって、同じ状況でも怒る人と怒らない人が出るでしょ。

怒るのは、単に、自分のルールを破られたから、怒ってるわけ。

人の好き嫌いも、基本的にこれと同じ理論である。

要は、自分の哲学・思想・考え方と違ったものを目の前で見たら、その人のことを嫌いというボックスに入れてしまう。

じゃあ、ちょっと、僕の基本的な考え方を書いてみるね。

「頑張って結果を出そうとして出せてしまう人。賢くいようとして賢く入れてしまう人。仕事ちゃんとやろうとして、ちゃんとやれてしまう人。テキパキ動こうとして動けてしまう人。僕、こういう人みると怖くなっちゃう。同じ空間にいると、そういう人に無意識に引っ張られるから。もう、随分前に、賢くいれることも、仕事が出来る人でいることも、結果を出そうとすることにも、評価されようとすること。そういう競争から下りたから。例えば、自分と同じ空間に、自分より賢くて、仕事ができて、頭の回転がはやい人がいるとしよう。はっきり書こう。一言で言えば息苦しい。思考回路としては、怒られないように、失敗しないようにってなる。普段の自分と考えてることが真逆になる。普段は、失敗してもいいし、怒られてもいいから好きなようにやろうって思考回路だから。分かりやすく書けば、自分より賢くて、頭の回転が速くて、要領が良くて、論理力がすごい人が嫌いってこと。最低なのか、褒めてんのかよく分かんないけど、まぁ嫌いだよね。反対に好きな人は、ゆるい人、頑張らない人。世の中には、頑張って結果を出そうとして出せる人と出せない人がいます。仕事をはやくやろうとしてやれてしまう人とはやくやろうとしても遅い人がいます。僕が一緒にいて、心地いいと思える人は、結果を出せない人であり、仕事が遅い人。もっと言えば、そういう自分を受け入れてる人。頑張っても結果が出ない、頑張っても仕事が遅いを受け入れてる人は、そもそも結果が出る自分でいようとか仕事が速い自分でいようとかって思わない。

まとめれば、頑張らない人は好き。疲れないようにやってる人は好き。ゆるい人は好き。すごい自分になろうとしない人が好き。上機嫌でいれる人は好き。ちゃんといい意味で隙っていうか、欠陥があって、そこをちゃんと受け入れてる人は好き。要は失敗しても笑ってる人。っていうか鈍感な人」

まーこんな感じかな。

あんま自分の好き嫌い言語化したことないけど、言語化してもあやふやだよね。

 

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趣味がないと悩んでる君へ。これやるといいよ。

僕には、好きなことが山ほどある

・心理学

・映画

・小説

・漫画

・深夜ラジオ聴く

・ランニング

・サッカー

・料理

・お笑い番組見る

・ブログ書く

・スノーボード

こんなに好きなことがあるから、基本、暇な時間というのはない。

時間が空けば、漫画読んでるし、ブログ書いてるし、ランニングしてるし、何かしてる。

なんで、こんなに好きなことに囲まれて生活するようになったのかふと考えてみた。

何個か理由がある。

1つには、他の人に比べて、友達が少ないからだ。

実質、四人しかいない。四人とも今、社会人でみんな地方に飛んじゃってて、会えるのはゴールデンウイークとお盆と年末年始だけで、それ以外は一人で過ごしている。

別に寂しいというのはない。むしろ一人は結構すきだから。

1人でいると、必然的に、時間を潰せる楽しいものを見つけようとする。

年々、好きなことが増え、年ごとにハマるものは違うけど、一度好きになったものは、基本好きであり続ける。

だから、ふとしたときに、すごく前に好きになったものをやればまた、ハマったり。

今、ハマってるのは、漫画とお笑い見ることとブログ書くのとランニングと料理かな。

ハマってるし、毎日やってるもの。

二つ目は、これが一番大きい理由だと思う。

やりたくないことをしてる時間と嫌いなことをしてる時間を徹底してなくしたからだと思う。

じゃあ、仕事はどうかというと、仕事は嫌いなことではない。かといって、好きでもない。

単に、得意なだけ。楽にその仕事ができるからその仕事をやっている。

これは、お金を稼ぐ上での、数少ない僕のルールである。

なぜ、仕事は得意なことをやったほうがいいのか。

それは、仕事中ノーストレスでいれるから。ってことは、仕事後もノーストレスでいれるってこと。

反対に、苦手なことをやれば、仕事中はストレスで過ごし、仕事後もストレスを抱えて過ごすということになる。

そうなると、好きなことをやる暇なんてなくなるわけ。

だって、そんなことしてる暇あったら、仕事のこと考えて、憂鬱になるという時間を過ごすから。

単純な話。

今が続いてるだけなわけ。

仕事中ストレス抱えれば、その後もストレスで過ごすことは理に適ってるし、

反対に、仕事中ノーストレスなら、その後もノーストレスで過ごせるだろうし、

そういう風に考えると、<我慢が美徳>という考えは間違いだらけ。

我慢して仕事してるから、そのお金で欲しいものが買えて、好きなことができるなんて思ってるんだとしたら、その考えは破棄して貰いたい。

我慢して平日働いてる人の休日は、結局、仕事のストレスを抱え、外出する余裕もなく、寝ているだけで終わる。その間頭の中は、仕事のネガティブに頭が埋められる。

結局、我慢からは、我慢しか生まれないのだ。

我慢の積み重ねは、嫌いとやりたくないの積み重ねであり、

我慢し続ければ、嫌いとやりたくないがあなたを覆い尽くし、

好きなことからどんどん遠ざけていく。

たぶん、今、好きなことをできてるのは、一日通して、ノーストレスで入れてるから。

 

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