タモリとたけしの情報収集法
タモリさんとたけしさんをテレビで見るたびに、思う。
博識で、なおかつ、嫌みがない知識の出し方ができる。
何故、嫌みがないか?
おそらく、1つは、笑いのフィルターを通してるから。
もう一つは、無理して得た知識ではないから。
この理由が一番大きいと思う。
二人とも、知的好奇心が旺盛で、なおかつ、知識欲を満たそうとしないからだろう。
知識欲を満たすということは、承認欲求を求めることだ。
嫌みがある知識の出し方だと感じる人は、このパターンの人だ。
まず、前提として、二人とも、何かが好きから始まる。
タモリさんなら、鉄道、料理、船、ジャズ。たけしさんなら、料理、スポーツ、政治、映画。
何かの対象を好きになってそこから、探究する。
知識を得ようとして、得たんではなく、好きで調べていったら、勝手に知識が身についたという感覚に近い。
二人の名言から、これについて、掘り下げよう。
タモリの名言
お笑いやってるのとこういう番組やってるのと、気分的に差がないんですよ。同じ興味があることをやってるだけで。
お笑いで超一流の人が、お笑いに対してそこまで執着がないのがすごい。
いや、執着がなかったから、この地位まで行けたのかも。
1つのことだけ極めるからこそ、一流になれるというのが常識だけど
別に分散させてもいいんだ。
「これがあるからあれが駄目になってもいい」みたいな感覚って重要なのだろう。
たけしの名言
振り子の理論でいえば、暴力とは反対の方向へ振れるだけ振っておけば、今度暴力の側へ戻ってきたとき、今までよりも、もっとずっと過激に表現することができる。
振り子も愛と暴力の間でだけ振れるんじゃなくて、お笑いの方へも振ってみたいし、あらゆるところへ振っていく。その振幅が大きければ大きいほど、他へいった ときもっと大きいことができる。おいらは、平面的な振り子ではなくて、三百六十度あっちこっち振れて、結果的には水平にぐるぐる回ってしまうぐらいなこと をやりたいんだ。
僕の大好きな振り子の理論。
僕はこの名言を都合よく使ってます。
例えば、過去記事の最後のまとめの行。
過去記事で書いてるのは、知識についてではないけど、たけしさんが博識なのは、振り子の理論でも説明できるはず。
たけしさんは、頻繁にこの振り子の理論をたとえ話とかでも使う。
ということは、知識を取っていく過程でも振り子の理論を意識してる可能性が高い。
タモリさんと同じように、興味があるものをやる。
本業のお笑いとは違うものでも、振り子のように、お笑いに返ってくる。
だから、好きという理由だけで、やってもいいと思う。
好きなことをやるのに、1つに絞らなくていい。
複数やったほうが、振り子のように全部回ってくれる。